戦士が目指す先
時間は昼間、ナナクサらが分断された2時間後程度まで遡る。
ジークは焦っていた。
石壁への突きを繰り返すことおよそ2時間。汗だくになりながらも石剣を用いた体当たりじみた突きを繰り返す事67度。ヒビこそ入れども未だ破壊へは至らない。
「ぜぇ……ぜぇ……。急がないト……」
全力での一点集中で突きを繰り返してきた。だが、疲労と焦りがその精度を徐々に削ぎ落としていき、5回に1回の割合で要所に当たる程にまで落ちた。肉体的にも精神的にも、限界が近い状況だ。
(どうすればいイ?)
この場所には何もない。あるのはジーク自身と、ひと振りの石剣のみである。
(このヒビなラ、グレンなら一撃で壊せるだろーナ)
[撲殺剣]の必殺とも言える一撃なら……。
だが、ここに[撲殺剣]はないし、あったところでジークに扱いきれる代物ではない。上位進化したとはいえ、そこは理解していた。してはいたが、この絶望的状況がもしもを夢想させたのだ。
(考えロ。ナナクサも言っていタ。諦めるのは、考えて考えて考え抜いて、自分が持つ全てを出し切ってからだト)
腰を下ろし、息を整えながら、焦りを押し殺して考える。
考えるが、この突きの一撃以上の威力を出せる手段はない。脚力、体重、腕力全てを乗せた突き。これを越える技術が、ジークにはなかった。
(ナナクサなら、どうすル?)
そう考え、あることに気づいた。
(術……なラ?もし使えれバ?)
ジークは記憶をたぐり寄せる。あの日、ナナクサとともに術の資質を調べた日のことを。
「まずは自分の手に、体内の魔力を集めろ。これが基本だ」
(意識を右手に集中しテ……)
手のひらに何かが集まる感覚。目に見えない、匂いも音もないが、確かにそれがある。ここまでは出来ていたのだ。
「この魔力をイメージに沿って変換することで資質を判定できる。ただ、陰陽と時空はイメージだけでどうにかなるもんじゃない。それを感覚で使えるのは、所謂天才だな……一部アホもいるが」
(俺には理論なんて分からなイ。氷と雷は見たことがなイ。試せるのは火、水、風、土ダ)
ジークは火を鮮明にイメージした。
かつて見た群れの火付け番が起こした火を。肩に火傷をつけた火を。ナナクサ、グレンとともに囲った火を。
「だめカ……」
手のひらに変化はなかった。
同様に、水、土を鮮明にイメージするが、変化は起こらない。
残るは風だけだ。
「風……カ……」
ジークが初めて風を感じた、いや、意識したのは、ナナクサとともに故郷の森を抜けた時だった。
森の奥では木々が風を防ぎ、間を縫うように流れる僅かな空気の流れだけがあった。故に、火ほどに鮮明なイメージを持っていない。否、ジークにとって最もイメージしにくいものである。
「フー……」
深く息を吐き、最後の集中に入る。
(思い出せ、あの風ヲ。ナナクサの上で浴びた風ヲ。木のてっぺんで浴びた、死地で浴びた砂混じりの風ヲ)
ジークは想起する。
風に撫でられた感覚を。風に熱を奪われる感覚を。風が運ぶ匂いを。
ふわりと風がジークの頬を撫でた。
「……できタ?」
ジークの手の中で風が小さく渦巻いていた。
(やっタ!……いや、これをどう使えばいイ?)
歓喜したもつかの間、手札が1枚増えただけで、有効な使い道がわからない状態である。
ポーカーで例えるなら、手札のワンペアがツーペアに増えただけ。フォーカード級の壁相手には全くの役不足だ。
(ぶつけてみるカ?……やらなくてもわかる、威力がたりなイ。なら、ナナクサみたいに固めるカ?)
ナナクサが撃って見せた[ウィンドカッター]。これならなんとかと思い、手の中で空気を固めてみる。
しかし、できなかった。一定は圧縮できた感覚はあるが、それ以上は何度繰り返しても、綻びはじけてしまう。試行錯誤の果ての結論から、詠唱も理論も無く出来る事は風をそのまま撃ち出すことだけとわかった。
(どうすればいイ?)
ジークはまた悩んだ。
なにか、今までの経験にヒントはなかったか、生まれてから今までのことを、順に追想する。
「だめだーーー……なにもなイ」
そもそもジークはまだ生まれて1年程度しか経過していない。経験と呼べるほどの経験を積んだのは、グレンとの組手くらいである。ナナクサがジークのゴブ生の短さを知って、いろいろ経験を積んでみろと言ったのかは定かではない。
(……オレにはやっぱり、これしかなイ)
ジークは石剣を両手で握り、構える。
(そうだ、使えるのが分かったからって、それがすぐに使い物になるわけないんダ。出来るまで何度も何度も繰り返ス。新しいことを使えるくらいまで、いや違う、オレの突きを超えるくらいにするには時間がぜんぜん足りなイ)
ジークは構え、床を蹴り、両腕を伸ばし突きを放つ。
当てては、離れ、構え、外し、また離れ、構え、当てる。
何度も、何度も、何度も繰り返す。
(もっとダ。もっと、強ク。もっと、早ク)
ぽとりと、柄を握る手から血が滴り落ちる。
上位進化したばかりのジークの皮膚は、さながら脱皮したばかりのセミの体のようなものだった。
手の皮はずる剥けになっているだろう。痛みがないはずがない。だが、それでもジークは止めない。
(もっとだ、もっと、強ク!)
きつく柄を握り直し、構え……。
「感覚で使えるってのは、まあ、特権だわな。なにせ、小難しい理屈がいらない。手を動かすように、足を動かすように、自然体で出来て当たり前っていうやつだ。……ま、それでも難しいのは変わりないだろう。本来ありもしない、見えないモンを知覚して……例えるなら、目隠ししてコップの取っ手を掴めっていうようなもんだからな」
床を蹴ると同時に、風が吹き荒れた。
「もっと!!」
そこでジークの意識は途絶える。
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「……そうダ、俺は結きょク、壊せなかっタ」
ジークが自室のベッドからむくりと起き上がる。
時刻は深夜。三日月が窓から見えるくらいに傾いている。
(どうすればよかったんダ?)
ジークは全てを出し切った。経験、技術、資質と、持ち得るその全てを。破壊できると、確信していた。
結果的に壊せず、起こされた時には両頬がなぜかヒリヒリしていた。ボロボロになっていたはずの両手は、自然治癒したのか新たな皮膚ができていた。
「解らないナ……」
ナナクサの来ているシャツと色違いの白シャツを羽織り、ズボンを履き、自室から抜け出す。
向かったのは庭先だった。以前、シルベイクァンが素振りをしていた場所だ。そこに先客がいた。
「グレンカ?」
「……ジークか」
グレンの全身には包帯が巻かれたままだ。リレーラの魔力が追い付かず、翌日改めて治癒をすることになっている。下手に動けば傷が開くため、安静にしていなければならない、そのはずだった。
「何してル?」
「……考えていた。どうすれば、勝てたのか。……私は、勝利などしていない。敗北した」
グレンは語り始める。自分が飛ばされた先にいた相手のことを。
あの2本のナイフはその相手の得物だったこと。
明らかに身軽な相手であり、ナイフに毒が塗られていることを警戒していたこと。
[撲殺剣]を置き、動きを捉えるため徒手で挑んだこと。
「もし、あれに毒が塗られていたならば、私はこの場に立つことはなかっただろう……」
「けド、今生きていル」
「次があると思うのか!!」
さぁ……と、風が静かに吹き流れる。グレンの言葉は、熟練の戦士が半人前の戦士を叱咤するそれだった。
「……私が奴の両腕を握りつぶせたのは偶然、幸運だった。同じ幸運は二度起きない……」
「幸運……カ」
その一点に関しては、ジークも共感を覚えた。
壁を破壊できたとして、その向こうに敵がいないとは限らない。もしいるとしたら、破壊する前に気絶したこと、それ自体が幸運だったのだ。破壊が叶っていたならば、間違いなくジークは喰われていた。しかし素直に喜べるものではない。力量不足が招いた幸運なのだから当然だ。
「考えて考えテ……」
「勝利へ至らず……」
「俺ガ……グレンが出した答えは間違っていたのカ?」
「間違ってはいないはずだ。それを為せるだけの力がなかった……私たちが未熟だったのだ」
未熟。
今回のダンジョン攻略は、ジークとグレンにまだまだ未熟であることを刻み込む結果となった。
「そう思ってんなら、さっさと寝ろ」
ぴしゃりと、上から声が聞こえた。
ジークとグレンが上を見上げると、窓からナナクサが身を乗り出していた。
「まずは体を休めてコンディションを整えろ。未熟だと思うなら、納得できるまで鍛え上げりゃいい。俺だって、本気で何か作るときは納得いくまでこだわり続ける。妥協なんざ一切しない」
「ナナクサ……」
「ナナクサ殿……」
半目のナナクサの口調は、どこかぶっきらぼうだった。気心を許している相手で口調が砕けるのはわかっているが、気だるそうな感じである。
「俺が昔、恩師から言われた言葉だ。上達を焦らず急げ、ってな」
「焦らず急ゲ?」
「急ぎと焦り──これを混同しちまうと、かえって変な癖ついて悪化しちまうからな……。まあ、大事なのは自分が納得できるかどうかだ。強さ云々に限らず何事もな。っつー分けで俺は寝る、ねみぃし。おやすみ」
ナナクサは体を引っ込め、パタンと両開きの窓を閉じた。ジークとグレンは閉じられた窓を、しばらくの間ただ呆然と見ていた。
「もしかして、起こしちゃったのカ?」
「おそらく……」
ジークとナナクサは顔を見合わせる。
二人は知っていた。ナナクサが寝不足の時、寝起きの機嫌は最悪だったことを。特に、バランドーラ死地における、夜間の見張り交代時。そのときは特にひどかった。
「「寝よウ」」
これ以上ここで話せば、またナナクサを起こす事態になりかねない。そうなれば、一体何が起こるのか。火の玉が降ってくるのか、竜巻で吹き飛ばされるのか、鉄串で串刺しか。不機嫌状態のナナクサならば実際にやりかねない。逆鱗を撫でたワグナーの末路を見ていた二人は、彼が激高した際の凶暴性をよく知っていた。
二人は音を立てないよう、こっそりと自室へ戻る。
「焦らず急げ、カ」
「自分が納得できるか……」
余談だが、ナナクサはこの程度の話し声で目が覚めることはない。狭いベッドの両隣りに抱き着いて寝ているリラとユーディにせがまれおとぎ話?を聞かせていた結果、かえって興奮されて眠らなくなってしまった。延々続けるわけにも行かず、適当に切り上げ、ようやく眠ったころにジークとグレンの話し声が聞こえてきため、抱きついているユーディとリラを引きはがして窓から身を乗り出したのだ。
なお、そのおとぎ話の内容は、犬猿の仲の「金メッキの重装兵」と「汚い忍者」が、ケンカしながら共に街を救う話である。
お読みいただき感謝です。これにて迷宮探索編終了です、はい。この後しばらくは日常が続きます。……束の間の。




