卵 その2
こと森において、木々を伝って立体的に移動するパンサー系の魔物は、群れる事が多いウルフ系とは別の意味での脅威だ。
ブラッドサイズパンサーは、その機動力に加えて2本の鎌刃を持っている。牙と爪は短く、そこだけ見れば危険度は低い。
だけど、あの2本の鎌刃の切れ味はブレイドラビの角刃を遥かに超える。触れただけで肉を、木々を、まるで水を切る様に音もなく斬り落とす。
「グルゥ!」
気が付いた時には既に首を、胴を真っ二つにされている。だから悪夢。……大丈夫、まだ、私は生きている。
「……っ」
左手で卵ちゃんを抱いて、右手でナイフを抜いて構える。ブラッドサイズパンサーを相手にして、生きて帰れたハンターは片手だけで数えられるくらいしかいない。
逃げるべき。殆どの人はそう思う。だけど、地の利を得ているブラッドサイズパンサーから逃げることは不可能だ。
視線を逸らせれば、その瞬間に飛び掛かってくる。背中なんて見せて走り出そうとすれば、並走して軽々と追い越して、背中を見た時には真っ二つ。
出会った場合の対処法は、たった一つしかない。真っ向勝負で勝つ、それだけだ。
「やっと出会えたって思ったのに……ツいてないっ!人生最高で最悪の日よ!」
片手で卵ちゃんを守りながら、右手だけで悪夢を倒す。……違う、両足を歩ける状態で残して、右手だけで勝つ、それが私の勝利条件だ。
ブラッドサイズパンサーは、こっちの様子を窺っている。向こうは一切油断していない。飛び込める一瞬の隙を狙っているんだ。確実に殺すために、最低でも腕や足を切り落として致命傷を与えるために。
あっちがここまで慎重になるのは、私が初撃を避けたからだと思う。鎌刃を用いた一撃必殺、それがブラッドサイズパンサーの狩り方だ。面向かっての真っ向勝負なんてしない。
だから暗殺は得意でも、正面からの戦いは苦手なのだ。私が付け入るスキがあるとすれば、そこしかない。
これが、私がかき集めたブラッドサイズパンサーの、親の仇の情報だ。敵討ちなんて微塵も考えていなかった。ただ、生き延びる確率を増やしたかったから調べただけ。今の私にとって、生き延びるための値千金の情報だ。
「落ち着け、私……」
じっと、ブラッドサイズパンサーから視線を離さないまま腰を落として対峙し続ける。
目が乾き始めてきた……。
左右に広がる鎌刃、もしそれらがなければ、アレはパンサー系の中でも最弱になる。どんな狩り方を選んだとしても、あの出鱈目な切れ味の鎌刃で止めを刺すしかないという事だ。
でもそれは私も同じだ。右手のナイフ1本だけで、確実に一撃で殺さないといけない。殺せなかったら鎌刃で首が飛ばされる。お互いに一撃必殺を狙っている状態だ。
私が狙うのは3か所、額と左右の眼窩だ。額にナイフを突き刺せれば、刃は脳に達して殺すことが出来る。目も同様、特に目は柔らかいから突き刺しやすい。
速度に絶対的な差がある以上、リーチで劣る私が接近して仕掛けるのは自殺行為だ。
なら──仕掛けるのは、ブラッドサイズパンサーが仕掛けたその瞬間だ。あっちが左右どちらの刃で私の首を刎ねるか、見極めて体をずらして、体と体が衝突する軌道上に動く。そして踏み込んで突き刺す。勝ち筋はそれしかないっ!
「……来なさいよっ!やってやるんだか──
「ミ ツ ケ タ ゾ !!!」
「っ!?」「グルゥ!?」
言葉と共に、冷たい何かが背を伝った。それが殺気だと気が付くまで、数秒の時間を要した。およそ生き物が出せる殺気じゃない……っ。
ブラッドサイズパンサーも、私と同じなんだろう。さっきまでと打って変わって、意識が周囲に散って注意が散漫になっている。
瞬間、暴れ狂う横風がブラッドサイズパンサーを飲み込み……
「ガ……ルァ……っ!?」
横一文字にスライスされ、上半分が風に乗って血を散らしながら宙を舞った。
「ひっ……」
ドチャッと、上半分が落下して、血のにおいが充満する。その落ちた向こう側に──巨人が居た。
背は私よりも高くて、私がよく知る大人2人を縦に並べたのと同じくらいの高さだ。浅黒い肌、長い緑髪に角を生やし、銀色の胸当て・手甲・具足を身に着けている。右手のしなった剣からは、ブラッドサイズパンサーの血が、ぽとぽと滴り落ちて緑の草を少しずつ赤く染めていた。
「見つけたぞおおおお!」
「ひいっ!?」
「卵だ!! 俺の卵だろう!? なあ 俺の卵だろうそれ! 卵置いてけ!! なあ!!! 」
「ひぇああああああ!?」
怖い怖い怖い怖い怖いいいいいい!!!殺されるーーーーー!!!何なのよ何なのよ何なのよーーーー!!
「助けてーーーー殺されるーーーーー!!!」
「……は?なんでオレが──ぶぼっっ」
次の瞬間、巨人の顔面に巨大な水の球がぶつかって全身を濡らした。
「さ、さぶいいいっ!!」
さっきまでの殺気はどこにもなくて……怖い巨人は全身ずぶ濡れてガタガタ震えていた。
「ジーク、脅かしすぎ」
水の球が飛んできた方向から、水色の髪に紅い瞳の、黒いフリフリの可愛い服を着た女の子が姿を見せた。
さっき私が見た女の子だ。よくみると、ラビ系の魔物みたいな長い耳に、ウルフ系の魔物みたいな尻尾が生えている。耳も尻尾も、髪と同じ水色だ。首にはウルフ系の従魔に着けられるような首輪が巻かれている。なにより……女の子は私より大きかった。
女の子は私の方まで歩いてくると、少し腰をかがめて目線を私に合わせた。
「大丈夫?けが、してない?」
「は、はい、だ、だ、だいじょうぶ……です……」
「ジークがごめんね。……まあ、あれで頭も冷えたと思うから」
頭どころじゃないと思うんですけど……。
「へぶしっっ!!ぉぉぉ……寒い!!」
「自業自得だ馬鹿野郎」
奥からもう一人、巨人が現れた。
「ナナにぃ!」「ナナクサ!」
黒髪黒眼の男の巨人で、背はずぶ濡れの巨人と同じくらい。他に何の特徴もない……けど、何か変な感じだ。
「ジークよ、お前何でファーストコンタクトがあんな口上なんだ?あんな島津バーサーカーみたいな口上は怖がらせるだけだろうが!なんで普通に、「こんにちは、いい天気ですね」って言えないんだ?」
「す、すまん……」
「謝る相手が違う、俺じゃなくてあっちに小さい可愛い子に謝れ。ちゃんと目線を合わせて頭下げろ」
「え、小さい……?」
小さいって、私?そ、そりゃあ、この中で一番小さいのは私……え?私が、一番小さい?え?可愛い?
「すまなかった!」
「ぴっ!?」
頭の中でぐるぐる考えていたせいで、浅黒肌の巨人が近づいてくるのに全く気がづかなかった。
「も、もういいから、私も、助かったから……」
「そ、そうか……へぶしっ」
「あ、あの、巨人さん」
「……俺か?」
「私って……そんなに、小さくてかわいいですか……?」
「ん?ん~……俺ら基準だと小さいな。ユーディもだいぶ小さいほうだしな」
ナナクサって呼ばれた黒髪の巨人は、ユーディって呼ばれた水色の髪の女の子の頭に手を置いて撫でた。少し前髪が動いて、ちらっと額に黒色の宝石があるのが見えた。
「んっ……はふっ」
……いいなぁ。立ったまま誰かに撫でられた記憶なんて、私にはない。
「それに、磨けば光る。身綺麗にすれば十分美少女だ」
「びっ……びしょ……」
美少女……私が……美少女……。そんな事、初めて言われた……。
「ナナにぃ、浮気?」
「そんな意図はない。純然とした事実を言ったまでだ。俺の中の一番がユーディなのは揺るがないし、抱くのもユーディだけだ」
「ん……♡」
……もしかして、夫婦なの?や、それよりも、聞きたいことが!
「あ、あの、もしかして巨人さんって、他にもたくさんいるんですか?」
「あー……その話はちょっといて置く。少し卵を見せてくれないか?ああ、触るつもりはない」
そっと、左手の卵を両手で掬う方に持って見せる。
「……少し、動かしてくれ、そう、穴が見えるようにだ」
そっと、足が出てきた穴の方を向けると、何か小さな破片を取り出して見比べはじめた。
「……ジーク、ビンゴだ。この卵がジークので間違いない」
「本当か……へぶしっ!!」
「破片の形状と色が一致したから間違いないだろ──お?」
にょきっと、4つの穴から足が出てきて、コロンと転がって手の上で立った。
「この足は……やはりか」
「ナナにぃ、一旦戻らない?ここだとゆっくりできないし、ジークが風邪ひいちゃう」
「そうだな。……丁度昼時か。済まないが、ついてきてもらえるか?その卵のことで話がある」
……ついていって、食べられたりとかしないよね?
グギュルルル……。
うっ……なんでこんな時にお腹の虫が……。
「食事くらいなら用意するぞ。まあ、魚尽くしになるが……」
「魚!高級食材!行きます!!」
こうして私は、魚料理に釣られてホイホイついていくことにした。
「あ、ナナにぃ、私たち自己紹介してないよ?」
「む、そうだな。俺はナナクサ。通りすがりのケーキ屋さんだ」
ケーキ?ケーキって何?
「ん、ユーディリア。ナナにぃの妻」
夫婦だった……残念……。
「で、そこの残念なイケメンが」
「残念って言うな。オレはジークフリートだ」
「ここ最近のお前を見ていると、残念以外の感想が出てこないんだがな……」
「ぐっ……すぐに汚名挽回するぞ!」
「正しくは名誉挽回、あるいは汚名返上だ。そういうところも含めて残念なんだよ……」
「ん、強いんだけどね……」
強いのは分かる。目の前で、一瞬でブラッドサイズパンサーを斬っちゃったし。
そうだ、私も
「っと、私はスピネっていいま──」
ピシッ
「──あ」
言い終わる前に、手の中の足だけ出た卵に大きな亀裂が入って──
バキンッ
「クァー」
岩が割れたような音とともに、4本の足と翼を生やした全身真っ白な生き物が、殻を破って生まれた。
ぱっちりと空いたつぶらな瞳が、私を見上げた。
その瞬間、私の中の何かが、生まれたてのこの子と繋がった。多分、契約できたんだ。これが、契約した感覚……なんてどうでもよかった。
「やはりグリフォンだったか」
ナナクサさんがなんか大事な事を言った気がしたけど、私の耳には全く届いていなかった。だって……
「か、かわいいいい……」
「クー♪」
中身がこんなに可愛いなんて思ってなかったんだもん!!!ああもう何この子、めちゃくちゃ可愛い!!!!
小さく鳴くと、背中の羽根をパタパタと動かして、私の右肩に留まって、スリスリと頬刷りしてくる。あ、だめ、幸せ過ぎてどうにかなっちゃいそう……逝っちゃう、お花畑が見える……。
「な、な、な……なんで……オレが温めたのに……」
「ナナにぃ、どうしてジークのほうに行かなかったの?」
「あー……纏めて説明するわ。ただ、一言で言うなら、ジークは運がなかったってことだな……」
お読みいただき有難うございました。皆、有精卵を食べるときは覚悟を持とう。最悪、一生卵と鶏肉が食べられなくなるぞ?次回は6日に




