濫觴編10-7:拘束
たぶん、精神的な消耗が大きかったんだと思う。
その日は、ベッドに潜り込むなり眠ってしまった。
そして不意に違和感を覚えて目を覚ますと、
「……え? なに、これ」
私の首に、妙な布が巻き付いていた。
ベッドから降りて鏡を見ると、【神の目】で表示されていたのは[封魔の呪布]の文字。
魔術が、封じられてる?
なんで……?
色んな予想が頭の中をぐるぐる回って、でも、一向に結論は出ない。
……なんて、嘘ばっかり。
結論を出すのが怖いだけだって、誤魔化しているだけだって、本当は気づいてた。
でも、それも見ないふりをして無理やり思考を中断して部屋を出ると、そこには誰もいなかった。
時計って言う概念が里には無いから今が何時なのかもわからなくて、窓から外に視線を移すとそれなりの数の人が仕事を始めてるみたいだった。
だとすると、お父さんとお母さんは仕事で、ユーリは学校に行った後なのかもしれない。
「寝坊、しちゃったのかな……」
呟いて、支度を済ませた私は学校に向かうことにした。
昨日の今日だから休みになってるかもしれないけど、ユーリがいないなら授業があるのかも、って思った。
重い足取りで外を歩くと、幾つもの視線を感じた。
そのどれもが以前とは違う、刺すような感じがして……自然と俯いて歩くようになっていた私は、何も考えないように努めた。
何かを考えれば、全て悪い方に考えてしまいそうで……足を、止めてしまいそうな気がした。
歩き続けるには、思考を手放すしかなかった。
通いなれた道のはずなのに、やけに遠く感じる里の道を進む。
学校に着くと、まるで鉛を埋め込まれたみたいに足が重く感じた。
昨日見たクラスメイトたちの目や表情。
それらが脳裏をよぎって、胸が締め付けられる。
それでも教室に辿り着いてドアを開くと、それまでの喧騒が嘘だったみたいに静まり返った。
「……おはよう」
振り絞るように声を出して、誰にともなく挨拶する。
でも、言葉は返ってこなかった。
視線は逸らされて、席まで歩こうとすると私を避けるように道が開く。
……もともと面倒くさいって、こうなることを望んでたじゃないか。
そう考えたけど、全然気持ちは軽くならなかった。
不意にシモンの姿を捜したけど、教室のどこにも彼はいない。
静まり返ってしまったみんなに申し訳なくて、授業が始まるまで外にいようかなとも思ったけど、ちょうど先生が来てしまって、それもかなわなかった。
入室した先生は、教壇に移動する。
その様子はいつもと変わらないように見えるけど、当の本人である私からすれば“見ないように”気を付けてるのが丸わかりだった。
「……えー、皆も知ってると思うが、昨夜、我が里は襲撃を受けた。その修復と警備体制の強化に伴って、暫くの間休校となる。校庭は開放しておくので、復習は欠かさないように」
表面上は静かだけど、クラスメイト達は動揺してる。
でも特にフォローを入れるわけでもなく、先生は締めの言葉を続けた。
「以上だ。みな、速やかに帰宅するように」
本当にそれだけを告げるために来たらしく、先生は足早に教室を去っていった。
これで今日は終わりらしいけど、誰も席を立とうとしなくて、教室は妙な緊張感に包まれていた。
……もしかしなくても、私のせいだよね。
先に出ちゃおう。
そう思って立ち上がると、周りの子たちがビクリと身体を揺らした。
わざとじゃないって分かってる。
でも、悲しくなるのは堪えようが無くて、これ以上苦しい思いをする前に教室を出てしまうことにした。
「!」
「痛っ……!」
焦っていたのか、教室を出る時にちょうど入ろうとしていたらしい女の子にぶつかってしまった。
私はともかく、転んでしまった女の子の方も特にケガはしていないみたいで、すぐに気を取り戻したように私を見上げた。
「ごめ――」
「ご、ごめんなさい!!」
女の子の大声が、私の声を覆い隠すように響き渡る。
大丈夫だから。
そう言う間もなく、女の子は怯えた様子で捲し立てる。
「ごめんなさい! わたし、気付かなくてっ、ごめんなさい!」
「あの――」
「ごめんなさい! どうか、殺さないでっ!」
「っ」
懇願するみたいに突きつけられた言葉。
怯えの底に見える、自分とは別のモノを見るような視線。
頭が真っ白になった私は、直後にかぁっと血が上るような感覚がして、
「そんなことしないっ!」
気づけば、叫んでいた。
私は皆のことが大事だから、守ろうと思って努力した。
チートを貰った時はやましい気持ちもあったけど、この気持ちに嘘偽りはない。
なのに、むやみに人を傷つける人間だなんて……侵入者と同じだなんて、思われたくなかった。
……でもそれは、私の都合のいい願望だったんだと思う。
私の考えを酌んでくれるとか察してくれるなんて……そんなこと、だれもわかるわけないのに。
「ご、ごめんなさい!! ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい!!」
謝り続けるその姿は、まるで土下座してるみたいだった。
騒ぎを聞きつけたのか、周りに人の目が集まってきて、冷たくて重い圧力が増していく。
どうしよう。
この場所を離れたいけど、誤解を解かずに行ったら事態は悪化するかもしれない。
でも、このまま女の子が落ち着くまで待ってるうちに誤解が広まって、状況が悪化しちゃうかもしれない。
悩む私が答えを出せずにいると、近づいて来る気配があった。
それは、家を出てきてからずっと貼り付くようについてきた気配。
「……一日も持たんとはな」
その声に視線を向けると、守備隊長さんが五人程の部下を連れてこちらに向かってくるのが見えた。
そして、
「イリアスティア・ツァーベル。お前を連行する」
取り囲まれるように槍を突きつけられた私に、彼はそう言った。
「どこへ、ですか……」
「長老様のもとだ。抵抗すれば、この場で無力化する」
本気の目。
そう察した私は、それでもなにも考えようとせず、ただその言葉に従うことにした。
手には枷を嵌められ、部下の人たちが私を取り囲みながら人垣の中を歩いて行く。
当然だけど、学校を出ても多くの人がいた。
その誰もかれもが私を見ていて、……でも、昨日までとは全く別の感情の視線だった。
暖かさの欠片もない、冷たい視線。
幾つもの視線が実際に圧力を持ってるみたいで……足取りは重くなり、心は重く、沈んでいく。
やがて長老様の屋敷に着くと、取り囲んでいた人たちが一歩前に出て、まるで長老様を守る様に脇を固める。
状況が整ったことを認めたのか、長老様は一つ頷き、柔らかい微笑みを浮かべて私を見据えた。
「イリアスティア。自分の置かれた立場が分かりましたか?」
その言葉を聞いて、私が泳がされていたんだって気づかされた。
呪符を貼って力を封じ、周りからどんな感情を向けられるか、自分がどんな状況か身を以って理解させる。
私を大人しくさせるには有効な手段だって、自分でも思う。
でも、知りたくなんか無かった。
衝いて出そうとした言葉を呑み込んで、頷く。
「…………はい」
「それは良かった。……最後くらい、大人しくしていて欲しかったと言うのが本音ですが」
最後……?
その言葉の意味を問う間もなく、長老様は微笑みを消し、告げた。
「イリアスティア。貴女を、外患誘致、書庫の無断侵入、並びに魔術書の無断閲覧の容疑で拘束しました」
「え……」
「貴女が先の他種族侵入の際に迎撃に当たり、講義外の魔術を使用したことは調べがついています。禁じられているにもかかわらず知識欲を優先させるその精神性と、それを抑制できない脆弱性。これらは里を脅かす危険性が高いと判断し、無期限の禁固を言い渡します。もう一点、貴女には悪魔と交渉した容疑が懸けられています。こちらが確定した場合、死刑となります」
ちがう……。
違う!
「違います!」
両脇から槍が突き出されて行動を制されるけど、それでも言わなきゃいけなかった。
そんなデタラメな話を認めたなんて、思われたくなかった。
「私はっ……!」
「これは決定事項です。拒否すれば、更に重い処罰になりますよ」
本当に有無を言わさず、私はその後すぐ手枷を嵌められ、牢屋に連行された。
牢の中は光が入らないせいか黴臭くて、長く人の手が入ってないのか埃も酷い。
意識するせいで生じた幻覚なのか、本当に残ってるのか分からないくらい微かな血の匂いを感じながら、私はずっと寝台の皺を見つめていた。
……どうしてこうなったんだろう。
どこで間違ったんだろう。
私はただ、みんなを守りたかっただけなのに。
そう考える度に、沈んでいくような感覚に襲われて……その度に気持ちを奮い立たせる。
あの時私が動かなかったら、誰かが怪我していたかもしれない。怪我よりもっと酷いことになっていたかもしれない。
だから、私は間違ってない。
皆分かってくれる。
今我慢すれば、きっと誤解だって分かってくれる。
ここから出してくれる。
前世だって、失敗してもみんな変わらなかった。
変わらないでいてくれた。
前世みたいに、今回だって、できることを頑張ったんだ。
だから、だからきっと……。
……そう考えて、心と身体を必死に守ろうとした。
…………そう考えないと、なにもかもが終わってしまいそうな気がして、押しつぶされそうだった。
扉の開く音が聞こえては、その度に期待して……ご飯が持ち込まれる度、身体を洗うための桶を持ち込まれる度に心が折られて、身も心も、凍っていくみたいだった。
何日かすると、ご飯も喉を通らなくなって、無理に口にすると吐いてしまうようになった。
それでもこの体は死んでくれなくて、スキルで自動的に最善の状態に保たれる。
……なのに、凍えるくらいに寒い。
――……どうしてこうなっちゃったんだろう。
何度も何度も繰り返してきた、いつもと同じ疑問が浮かぶ。
感謝されたかったわけじゃない。
褒められたかったわけじゃない。
認められたかったわけじゃない。
ただ皆を守りたかったはずなのに……、皆から怯えられて、怖がられて……。
前世は何の才能も無くて迷惑ばっかりだったけど、この身体ならって思ったのに……。
いつも答えがでなくて、心を巻き込んで重く沈んでいく。
こみ上げてくるもので視界がぼやけるけど、それが何度目かなんて、もう覚えてない。
それに、今回は意識まで朦朧としてきた。
どこかで感じたような感覚に思えて記憶を探ると、まず過ぎったのは悪魔に魔法をかけられた時のこと。
――化け物。
その言葉が不意に思い浮かんで、みんなの表情が腑に落ちた気がした。
しばらくすると記憶はさらに遡って、この世界に生まれ落ちた時のことを思い出した。
あの時も、上手く動けなかった。
長老様の言葉を聞いたり、お父さんに連れ出されたり……。
あの時の暖かさが、今はどこにもない。
おとうさん……、
おかあさん……、
どうして、助けに来てくれないの……?
あの時みたいに、かばってくれないの……?
わたし、がんばったよ?
あなたたちにとって、従順じゃないわたしは化け物ですか……?
「――」
何かが聞こえた。
その音でいつの間にか途切れていた意識を取り戻すと、鉄の柵の向こうに人影が見えた。
……誰だろう。
もう期待することも怖くなってしまった私は、ゆっくりと意識を覚醒させて、その人影に目を向ける。
「ようやく起きましたね」
テレンティア様。
そう理解して、安堵している自分がいた。
……勿論それは、期待しなくて良かった、っていうことに対してだ。
「刑の変更を伝えに来ました」
「……」
変更、ですか?
そう口にしようとしたけど、それは言葉にならなかった。
テレンティア様は怪訝とした表情を浮かべたものの、結局言葉を続けた。
「イリアスティア・ツァーベル。貴女の身柄は、ウィンディアに送られることになりました。後日、彼の国より使者が到着します。それまでは現状が維持。このまま大人しくしていなさい。良いですね?」
「っ……」
はい。
そう言おうとしたけど、やっぱり声は出なかった。
取り敢えず頷くことでその場はやり過ごし、人の気配がなくなった所で声を出そうと試みることにした。
「っ、……、…………」
……いくら試してみても、声は出なかった。
呼吸はできる。
爪で皮膚を裂いても自動回復は普通に発動した。
どうして?
どうして声がでないの?
もしかして、この呪符のせい?
そう思って手をかけ、外そうとしてしまった手を降ろす。
外せば何かのペナルティがあるかもしれないけど、チートの私ならなんとかできると思う。
……でも、この呪符を外したら、またあらぬ誤解を受ける気がした。
これ以上なにか下手なことをしたら、いままで耐えてきたことが無駄になっちゃうかもしれない。
さっき言っていたウィンディアは、エルフの族長たちが住んでる国だって聞いたことがある。
日本で言う最高裁みたいなところなら、そこで誤解を解けば、きっとまた……。
新しく芽生えた希望を抱いて、私はその日一日を過ごした。
異変が起きたのは、その日二度目の食事が運ばれた直後だった。
「っ――がぁッ!?」
牢からは見えない場所で物騒な物音と声がして、牢の鍵が開かれる音が暗い部屋に響いた。
なんだろう。
そう思って何とか身体を起こした私の前に立つ、一つの人影。
「出るぞ、イリア」
そう言って手を差し出したのは、幼馴染の男の子……シモンだった。