濫觴編10-3:異変
お母さんの説得の失敗から数日後。
「……はぁ」
その日何度目かも分からない溜息を吐いて、その度に思い出して落ち込む。
原因は勿論儀式を受けられなかったことに未練が残ってるせいだし、一瞬でも湧いて出た希望のおかげで、失望の度合いが増してるせいでもあった。
「…………やめやめ!」
いつまでも引き摺ってても仕方ない。
そう気を取り直して下校した私が向かったのは、自宅ではなくお隣さん。
「今日はどうしよっかなー」
「イリアちゃん、いつもごめんね~」
「気にしないで、ドルテおばさん」
魔法の暴発で怪我をしてしまったシモンのお母さん、ドルテおばさんの代わりに夕食を作るのが、最近の私の日課になっていた。
お隣さんってこともあるし、私の家事技能が上がるってことでお母さんも快諾してくれてるから、実際のスキルアップもあわせて一石二鳥。
魚を捌いていると、おばさんがうっとりしたような表情で私を見つめていた。
「イリアちゃんみたいなお嫁さんが欲しいわね~」
「あはは……」
死んでも嫌です。
勿論口には出さず作業に専念していると、シモンが帰ってくる気配がした。
「ただいま~……って、イリア、今日も来てるんだ」
「うん。……大丈夫?」
「あ、当たり前だろ……!」
泥だらけのシモンはどう見ても疲労困憊で、浮かべた笑顔は引き攣ってる。
その姿を見てもおばさんがあんまり動揺しないのは、その原因がいじめなんかじゃなくて、私のお父さんに稽古をつけてもらってるって分かってるからだ。
なんでも、ユーリとお父さんの稽古を偶然見かけたらしくて、次の日にはお父さんに稽古をつけてくれるよう頼み込んでいたんだとか。
それからは、ユーリと一緒に訓練漬けの放課後を過ごしてるみたい。
「あんまり無茶しちゃだめだよ?」
「……うるさいなぁ」
なっ。
人の親切に対して、なんて可愛くない返事でしょう。
……なんて言葉を言ったのはおばさんで、私としてはまぁ男なんてこんなもんだよなーって思っていたりする。
前世では、よくおばあちゃんのお節介に冷たい返事をしてしまって、亡くなった後に後悔しまっくたからよく覚えてる。
「いいよ、おばさん」
「ダメよ~イリアちゃん。言う時はちゃんと言っておかないと、夫婦なんてやってられないんだから」
なんの心配をしているのか、聞きたくありません。
何にしても、このままにしておく訳じゃないですよ。
「大丈夫です。今日はキャロットスープにすることにしましたので」
「え!?」
「イリアちゃん……やるわね」
ニンジン嫌いのシモンが悲鳴を上げ、ドルテおばさんは感心していた。
前世で母さんがやっていたことなんだけど、食べ物を残すことは神への冒涜だって考えるエルフには効果倍増だった。
それから少しして、料理が完成。
「これでよし、っと。じゃあおばさん、私帰るね」
「あら、イリアちゃんも一緒に食べましょうよ」
「ごめんなさ――」
「!!」
「「 ? 」」
ごめんなさいと言いかけた時、警報のような甲高い音が響いた。
今まで聞いたことのない音に私とシモンはお互い首を傾げていたけど、ドルテおばさんだけは様子が違った。
「イリアちゃん。ここにいなさい」
「え?」
「いいから」
私は、今の音が何だったのか、どうしておばさんが語気を強めたのか……そのどちらも聞くことができなかった。
それは、おばさんの表情が、今まで見たことのないような険しい顔をしていたからだ。
警戒心だけじゃない。
嫌忌、憤怒、憎悪……そんな負の感情がない交ぜになったおばさんの表情に、私とシモンは何も言えずに立ち尽くしていた。
張り詰めているわけじゃないんだけど、どんよりとした重苦しい空気を破る様に、玄関をノックする音が聞こえた。
一層警戒を強めたおばさんは、魔術の発動をサポートする杖に手を掛けた。
でも、【気配察知】で相手が誰か分かっていた私はおばさんに大丈夫と手を振って見せる。
「ドルテ、キリルだ! イリアはいるか!?」
ドア越しに聞こえる、切羽詰ったお父さんの声に、ドルテおばさんは小さく息を吐いて緊張を緩めた。
「いるわよ。……シモン」
「あ、うん」
シモンがカギを開けると、お父さんは私を見つけるやおばさんたちに挨拶も言わずに駆け込んでくる。
ドルテおばさんに負けず劣らず険しい表情だったけど、お父さんの場合はそこに焦燥が混じっていたので余計に酷かった。
「イリア、すぐに帰るぞ」
「え? う、うん」
おばさんたちに挨拶をしようと思ったけど、掴まれた腕を引いて強引に連れていかれたから、咄嗟にお辞儀することしかできなかった。
それでもおばさんが苦笑ぎみに手を振ってくれたからよかったけど、普通だったらお父さんのしたことは失礼だと思う。
「お父さん、何があったの?」
何か理由があるってことはわかるから、私はただ自分が納得したくてお父さんに説明を求めた。
でも、お父さんも家にいたお母さんも、何も説明しようとしない。
私と一緒で何もわからないユーリは、お母さんの隣に座り、不安げな顔でエプロンの裾を握ってる。
子供だから余計なことを教えたくないって思ってるんだとしたら、私は大丈夫。
精神年齢はもう大人だし!
そう自己弁護して、私は自分の部屋に戻ってから【千里眼】を発動した。
【千里眼】の視認距離を最低にしてから透過能力を上げていく。
うまく家の外を見ることができたら、そこから徐々に距離を広げ、私は里を見渡した。
「っ――」
上げそうになる声をなんとか押し留められたのは、偶然としか言いようがない。
視線の先にあったのは、死体。
里の大人たちは、死体を運び、積み上げていた。
でも、その死体は魔物のものじゃなくて……ヒト。ぐずぐずに焼けたり一部が欠けたりしてるけど、それは紛れもなく人間だった。
辛うじて見て取れる身体を見て見ると、獣のような耳だったり、普通の人の耳だったり……その死体はどれも、エルフではない人種のように見える。
大人たちの視線が移動したのを見て取り、その先に目線を送ると、大人の一人がまだ生きている人間を捕まえて来るのが見えた。
そのエルフではない人間は普通の男の子で、大人たちに何事かを叫んでいた。
でもすぐに後頭部を殴打されて意識を失い、どこかに連れて行かれてしまう。
「……」
胃のあたりがちりちりする。
魔術で死体を処理し始めた大人たちから視線を外し、里の森全体を見回すけど、そこには戦った跡が残ってるだけで人影は無い。
……とういうことは、生き残ってるのはあの男の子だけ?
私は嫌な予感がして、見るなっていう理性の警告を無視して男の子の行方を探した。
里には、子供が入るなと言いつけられている場所が4つある。
まず土の結晶柱がある洞穴の祠。
次に神々の伝承や魔術の書などが保管されている書庫。
武器を作る工房。
そして最後の一つが、守備隊の詰所近くにある牢屋で――
「ひっ!!」
そこでは今、私と年端も変わらない男の子が、拷問を受けていた。
ずぶ濡れになった彼は泣き叫んで、幾ら叫び首を振っても焼き鏝を押され、釘を刺され、目を潰され、回復魔術で致死から引き戻されて、何度も何度も何度も何度も――
「イリア!!」
「っ!!」
驚いた拍子に【千里眼】が解けると、目の前にはお父さんが立っていた。
お父さんはものすごく険しい顔で私の両肩を掴んでいて、お母さんやユーリも私を心配そうな表情で見ていた。ユーリに至っては、今にも泣き出しそうな顔でお母さんにしがみついてる。
「……すまない、痛くなかったか?」
「え……?」
お父さんは私に反応があったことで安心したのか、溜息を吐いて私に謝罪した。
痛い?
そう言われてみれば、頬の辺りにほんの少しだけ違和感がある。
私が呆然としていたから、気つけに叩いた……とか?
「大丈夫です。ごめんなさい」
本当にダメージはないから、お父さんの問いに対する答えに嘘は言ってない。
でも、笑顔は浮かべられなかった。
警報だったらしい音がもう一度が聞こえたのは、夜も開けようと言う頃のこと。
大人たちは夜通しで警戒に当たっていたみたいで、この夜は結局外に出ることができなかった。
夜が明けると普通に授業は行われて、クラスの子たちはなんだかんだ言って今までなかったハプニングに興奮しているみたいだった。
臆病な子が村の緊張感に怖がっていて、それを馬鹿にするような子がいたり、それを見た正義感のある子が諌めていたり……いつもの風景の延長みたいな感じ。
その一方で、私は昨日一睡もできなかったから、授業中はずっとフラフラだった。
眠れなかったのは……目を瞑ると、色んなことを思い出してしまうからだ。
死体の山。
子供への拷問。
……何より怖かったのが、大人たちの表情。
いつも優しいあのおじさんが、あの綺麗なお姉さんが、うだつの上がらないお兄さんが……みんなが別人のような表情をしているのが、怖かった。
あれは、人間を見る目じゃない。
容赦のない害意。
妥協される余地の無い憎悪。
絶対的な嫌忌。
知っている人の……知っていると思っていた人の中に、あんなモノが住み着いているんだと知って、怖くなってしまった。
「イリア、具合が悪いなら無理するな」
そう言って私の肩に手を置いたのは、ラザーリ先生だった。
丁度授業の終わる鐘が鳴って、私は半ば強制的に医務室に運ばれた。
精神安定や睡眠の魔術で私が眠ったのを見届けた後、運んでくれたクラスメイトは退室。
医務の先生が出て行ったのを見計らい、私は寝たふりを辞めて上半身を起こした。
精神安定に使われる魔術は、本来敵の集中力を乱すもの。
そして、睡眠の魔術はそのまま敵を眠りに誘う魔術だから、今みたいに効果を弱めてしまうと私の魔力抵抗で無効になってしまうんですよね。
それは兎も角、私は【千里眼】を発動した。
探すのは昨日の少年。
好奇心なんかじゃなくて、胃の中に残るような不快感を取り除きたくて……後悔すると頭のどこかで分かっていても、探さずにいられなかった。
「……っ」
結論から言うと、彼はまだ工房にいた。
……死体になっていたから、あったっていうのが正しいのかもしれない。
その姿は……まともな部分が残ってないくらい痛めつけられていて……しかも、片手じゃ足りないくらい、色んな方法で苦しめられたんだってことが、素人の私でも分かった。
「……ぅっ、ぇ」
怒りや憎しみをぶつけられた痕。
そんなふうに思えて、私は胃の中の物を吐き出しながら、ただ、泣くしかできなかった。
どうして、ここまでできるんだろう。
どうして皆、あんなふうになってしまったんだろう。
色んな疑問が思い浮かんでは、昨日見た泣きじゃくる男の子の顔が瞼の裏に焼き付いたように離れなくて……辛くて、悲しくて……泣くことしかできなかった。
戻ってきた医務の先生に介抱され、私が落ち着いた頃には、もう他の子は下校してしまっていた。
時折感じる、鼻の奥に残る胃液のつんとした匂いに顔を顰めながら帰り支度をしていると、教室にラザーリ先生がやってきた。
「イリア、一人で帰れるか?」
「はい、大丈夫です」
自分でも信じてもらえないだろうなとは思ったけど、案の定先生は溜息を一つ吐いてひとつ前の席に座った。
私も座るように促されたからそれに従うと、先生はやや困惑気味の表情で口を開く。
「イリア。お前は先生が受け持ってきた生徒の中でもかなり優秀な子だと思う」
まぁチートですし。
そんな茶々を内心で留め、先生の言葉に耳を傾ける。
「でも、お前はまだ八歳なんだ。子供なんだ。……辛ければ辛いって言っていい。我儘を言って、それが通用するかしないか、その沙汰で社会を学べるのは子供の特権だ。お前はもっと大人を頼りなさい。……いいね?」
「……はい」
確かに、私は一人でなんでもするようにしてきた。
それはスキルのレベルを上げるっていう目的があったからけど、精神的には大人だから、っていう意地があったのかもしれない。
……チートで何でもできる気になって、聞き分けのいい子供を演じていたのかもしれない。
私はいつの間にか俯いていた顔を上げて、先生に言った。
「……知りたいことがあります」
私の言葉が意外だったのか、先生は目を瞬かせていたかと思うと、優しい笑顔を浮かべた。
「何でも聞いてくれ」
「……昨日のこと、なんですが」
昨日の鐘はなんだったのか。
里の外の人間は私たちエルフにとってなんなのか。
そう訊ねると、先生はあからさまに顔を顰めた。
何でもなんて言わなければよかったって言いたげな顔だったけど、先生は観念した様に息を一つ吐いて、居住まいを正した。
「いいか、これは学校を卒業した時に教えることなんだ。お前なら理解できるだろうし、受け入れられるだろうから教えるんだ。……他の子には絶対に言わないこと。約束できるか?」
「はい。絶対言いません」
真っ直ぐ見返す私を見て満足したのか、先生は頷き、口を開く。
「昨日の鐘は、結界の警戒域にエルフ以外の者が侵入したことを知らせるものだったんだ」
「侵入者……」
遭難者ではなく侵入者。
それはつまり、害意を持って近づいてきた者ってこと?
先生は私から視線を外し、遠い眼をして教室の外を見遣る。
まるで、此処ではない何処か……あるいは、今ではない時を見つめるように。
「……エルフの里は、昔から色々な者に狙われてきた。里の結晶柱を狙う者、エルフが守る伝承や魔術の書物……時には、エルフそのものを狙う者もいた。エルフは、全員見目麗しいからな。奴隷商人の間では垂涎の品、なんだとさ」
おどける様に笑ったわりに、目が笑っていなかった。
愛玩用として捕まるなんて、義もへったくれもない理由で襲われるなんて冗談じゃない。
先生は私に向き直り、
「俺たちエルフは特別な種族だ」
と続けた。
「この世には色々な種族がいてね、数ばかり多い普人、獣のような獣人、鳥のような鳥人や魚のような魚人。愚かな妖精や根暗なドワーフなんて種族もいる」
転生前の光とは違い、毒が混じった紹介。
でも、先生の言葉から感じる雰囲気が昨日見た大人たちと重なって、冗談交じりでもふざけてるわけじゃないんだと気付かされた。
「我々エルフは他の種族よりも不老長寿であり、知性や魔力も高い。イリアはまだ見たことは無いだろうが、天宮に住む竜の神の眷属である竜人くらいだろう。私たちと互角に渡り合えるのはね。……今言った中で信用できるのは、竜の神とその眷属が住まう天宮くらいだ」
「テングウだけ、ですか?」
「そう。他は敵だ」
反論の余地は無い。
そう感じさせる口調に、私は言葉を失った。
エルフが他種族を嫌う設定はよくあるけど、実際に見せつけられると胃のあたりがきゅうっと締め付けられるような感じがする。
「エルフが特別でいられるのは、世界を形作る結晶柱と、神……正確には始祖である人神様の遺産を忠実に守って来たからなんだ。その証拠に、好き放題に生きてきた妖精と言う種族は祖を同じくしながら、矮小で脆弱な身体に変えられてしまったからね。そうでなくても、結晶柱と人神様の遺産は悪意ある者の手に渡れば、確実に世界を害してしまうものだ。人神様が救ってくださったこの世界を、再び荒れさせるわけにはいかない。我々が守るものの重さと、その責務はあまりに大きい。……いや、イリアにはまだ早かったかな?」
「……いえ。よくわかりました。どうしてエルフが里を守るのか……、それに、どうして里を他の種族が狙うのかも」
利益と力。
欲に駆られた人間が出てくるのは世の常だとして、それをずっと守って来たから……襲われてきた歴史があるから、それを知る大人たち――エルフは他の人種を敵と見限り、侵入者を容赦なく処断してきたんだ。
「本当は学校を卒業した時に聞いて、守備隊に配属して数年後に直面する現実なんだ。でも、イリアはもう見てしまったんだろう?」
思わぬ質問に驚きを隠せなかった私を見て、先生は苦笑した。
「さすがに分かるさ。里の外の人間をエルフではないと判断したことには驚いたけどね」
「あの……このことは……」
「分かってる。ご両親には黙っておくよ」
そう言って立ち上がった先生は、ふと何かに気付いたように私を見て、目線をゆっくりと上下させた。
かと思うと頭を振って眉を顰め、こめかみを押えてから私に向き直る。
「……まだ体調が戻らないようなら送っていくが?」
「い、いえ、大丈夫です。ありがとうございました」
「ああ。気を付けて帰りなさい」
さようなら、とお辞儀をして、私は教室を後にした。
少しだけ駆け足だったのは、妙な悪寒を消したかったからだ。
この悪寒の正体は私にもわからない。
先生は何を見たんだろう……先生が私を見た前後でこの感覚に襲われた気がする。
そんな疑問は解決することなく、私は無事帰宅した。
体調不良だったことを心配されたけど、それ以外はいつもと変わらない日常。
……違う。
こうして心配してくれる人たちがいる。
それに、脅かされて初めて、いつもの毎日が大切に思えたりすることだってあると思う。
大人たちは、笑顔の裏に恐ろしいものを隠してたんじゃない。
守りたいっていう思いが強いから、敵意も大きくなるんだ。
なら、私もできるだけのことをしよう。
万が一があっても。大事な人たちを守れるように。
そんな風に強く思った。
…………思おうとした。
――――あの男の子にした拷問も、里を守るために必要だったの?
……無意識のうちに、しこりみたいに残る違和感から目を逸らしたくて。




