濫觴編10-2:八歳の日常
イリアスティア・ツァーベル。
それが転生した俺……もとい、私の名前。
私が住む里の名前は“山間の里”。エルフの里は“砂漠の里”“泉の里”“渓谷の里”にここを足して、全部で四つ。固有名詞は無いらしい。
そして、それぞれの里は始祖である人神の遺産と、結晶柱というものを守護する役目を担ってる。
私が最初に見たクリスタルがまさにその結晶柱で、属性は土。
世界に土の因子を放出する役目を持つ結晶柱だ。
因子っていうのは、世界を形成する要因。
火の因子は世界を温かくするし、寄り集まると火になる。水の因子は逆に世界を冷やすし、寄り集まると水……一番一般的な例を挙げると、雨になる。
土の因子はある程度集まると土になって、更に集まることで金属を形成する。
風の因子はそのまま気流をつくり、世界樹から生まれる三要素を世界に循環させる。
世界樹っていうのは、魔素、精素、光素を齎す世界の根幹。世界には三本の世界樹があって、三要素の放出を三本が別々に行って、上手く世界中にまんべんなく広めているらしい。
まさに世界を支える大樹ってわけだ。
「……ふぅ」
私は一息ついてノートを閉じた。
ノートの内容は、学校で学んだことを纏めた物。
先生の話は、ファンタジーが大好きだった私にはとても面白い内容だ。
ただ一つだけ問題があるとすれば、無駄に長いこと。
今みたいに要点だけを抽出するのも一苦労だった。
「イリアは真面目だね~」
がばっと後ろから抱き着くように覗き込んでくるクラスメイト。
しかも女子だ! ぐへへ。
……なんてことは噫にも出さず、冷静に対応する。
「そんなんじゃないよ。忘れてそうだったから見直してただけ」
「またまたぁ~。また勉強教えてよ!」
「いいけど……今度途中で逃げたら分かってるよね?」
「うっ……」
じゃれついて来る友達を往なしていると、男子たちが羨ましそうに眺めてるのが見えた。
ふはは! 羨ましかろう!
なーんてことを考えていても、表に出すことはできない。
友達にドン引きされて距離を置かれるからっていうのは勿論あるけど、もう一つ。
イリアスティアは優等生、っていうイメージを壊しちゃいけないからだ。
……本音を言えば面倒くさいから取っ払っちゃいたいけど、下手なことをするとお母さんたちの期待を裏切ることになるから、それも難しかったりするんですよねー。
「イリアー、ラザーリ先生が呼んでるよー」
名前を呼ぶ声に我に返ると、別のクラスメイトが教室の入り口で呼んでいた。
「わかったー」
ノートを机にしまい、教室を出る。
枝を伝って幹に入り、螺旋階段を上って四層目の枝に出ると見えるのが職員室だ。
「失礼します」
「おー、こっちだイリア」
扉を開けて職員室に入ると、すぐに担任に呼ばれた。
「なんですか?」
「えっとな、解放の儀式っていうのは知ってるよな?」
「……はい」
解放の儀式。
それは、エルフの子が生後間もなく結晶柱を通じて神から授かった力を、使えるように引き出す儀式のことだ。
聞いた感じ、潜在スキルを全てレベル1の状態に覚醒させて、習得傾向を明確にするのと同時に、取得速度を速めるための儀式っぽい。
覚醒されるスキルの中には当然魔術スキルも入ってるから、魔法を習うための儀式と言う側面が強いみたい。
「それに、お前を参加させようっていう話が出ててな」
「えっ……でも、それって高等部に上がってからじゃ……」
「そう。特例ってやつだな」
高等部は15歳から入る学校で、今の私は初等部。今年で8歳だから、あと七年は魔法の勉強はできないはずだった。
家にあった魔術書を読もうとして怒られてからは、お母さんたちを心配させるわけにはいかないと思って魔法を見て見ぬ振りしてきた。そんな私にとって、この話は願ってもいないことだった。
授業としてなら、きっとお母さんたちも認めてくれる。
そう思った私は、一も二もなく先生に頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「一応、ご両親の許可をもらえよ。ほら、この書類にサインを貰ってこい」
「ありがとうございます!」
私は担任から紙を奪い取るように受け取り、職員室を飛び出した。
教室に戻ると、数人が一纏まりになって何かを話し合っていた。
そのうちの一人の女の子が、私を見つけてブンブンと手を振る。
「あ、イリア戻ってきた! これから――」
「ごめん! うちに帰らなきゃいけないの!」
「えー!」
「そんなー」
友達に手を振りながら机のカバンを手に取り、私は教室を出てようとした時、ちょうど入ってこようとした子にぶつかってしまった。
「ご、ごめん、大丈夫? って、シモンか」
「僕だったらいいのかよ! ……ったく。イリア帰るの?」
「うん」
「じゃあ僕も帰ろ」
シモンはお隣さん。所謂幼馴染だ。
前世の感覚的には十分美少年なんだけど、美少年の中ではパッとしないっていう残念な子。ついでに言うと、成績も残念な子で、よく私に勉強を教わりに来たりする。
周囲にはそれがどう映っているかというと、
「んだよー、夫婦そろって付き合いわりーぞー」
「アツアツだねぇ~あははは!」
「ちょっと、やめなよー」
概ねこんな感じ。
同じ子供でも、エルフならもう少し理知的だと思っていた時期が私にもありました。
子供は子供。
大人になるにしたがってエルフらしくなっていくんだから、やっぱり環境って大事だね。
ふと気が付くと、シモンが顔を真っ赤にして俯いていた。
うぶですね。
「シモン、気にしなくていいよ。行こ」
「あ、うん……」
シモンの手を取り、私たちは学校の巨木を後にした。
家に帰り、私はさっそくお母様に書類を渡して許可を貰おうとした。
……んだけれど。
「いけません」
と一蹴されてしまった。
当然、私としては食らいつくしかない。
「どうしてですか!? 先生方は……!」
「まず教養を身に着けなさい。魔法と違い、知識や振る舞いは長年の積み重ねが大事なのですから」
もはや微分積分も思い出せるか危うい身としては、積み重ねが大事という言葉は耳に痛い。
「で、でも、魔法だけに集中するわけじゃありませんし……」
「なりません」
「……はい。ごめんなさい……」
取りつく島もなかった。
お母さんの思い描く理想の女性エルフ像は、品行方正・清廉可憐。
遺産や結晶柱の守護としてどうしたって自衛の力は必要なのに、そんなものは不要だと言わんばかりにその理想を私で体現させようとしている。
そのせいか、最初に「俺」と言ってしまった時は酷かった。そんな野蛮な言葉を女の子が使うものではないと激高し、ついには「俺」と言ってしまった日は食事抜きってルールができてしまったり……。
言葉遣いだけでなく、振る舞いにしてもそう。
初等部入学当時、ケンカを仲裁しようとしたら殴られそうになって、思わずカウンターを食らわしてしまったことがある。
その時には、
――女の子が手を出すなんて野蛮です!
なんてことを言われた。
なら黙ってやられればいいのか、と言いたくなったけど、私は堪えた。
私のことを思って言ってくれているんだと、分かっていたから。
大事に思ってくれてるんだから、私もそれに応えたいって思ってる。前世でできなかったことでも、この身体でならできると思うから。
だから私は、この八年間、お父さんやお母さんの望む子供でいるように努めてきた。
とはいえ、家ですることと言えば、勉強と家事ばかり。
この八年間で里にある大抵の書物は読んでしまったし、家事に関しても大抵のことはできるようになった。
それもこれも、生まれる前に付加させたチートのおかげだ。
ありとあらゆるスキルを付加させたわけだけど、最初からスキルレベルがカウントストップしてるわけじゃなかった。やらなきゃ上がらないのは皆と同じ。
同じとは言っても、どのスキルに関しても【天才:S】スキルが適用されてるから、普通のスキル所有者よりも成長が速い。加えて上限が取り払われてるから、やればやるほどスキルレベルは上昇していく。
問題なのは、その上昇に私の意志が反映されないこと。
レベルアップで得たスキルポイントを割り振ってスキルレベルを上昇させるわけじゃなくて、スキルを使った経験値が、そのままそのスキルに加算されていくシステムだった。
ウインドウが出てくるわけじゃないけど、スキルのオン・オフを意識的にできなかったら、神童か化物扱いされたと思う。
スキルの覚え方も思っていたのとは違って、何か行動しないと覚えることができなかった。
たとえば、【調理】スキル。
これは料理をしなかったら発現しないスキルで、他のスキルも該当する行動を取らないと発現することは無い。
折角全スキルを持ってるのに、行動しなければ無駄になってしまうということだ。
ただし、この【調理】スキルも行き過ぎると中毒性を持つようになっちゃうから、使うタイミングというか、加減が必要になる。
「……家の中で上げられるスキルは殆ど上げちゃったしなぁ~……」
魔法とか格闘系は禁止されてるから、どうしてもやれることは限られてしまう。
ベッドに仰向けになって倒れ込むと、妙な感覚が脳裏を過った。
立ち上がって鏡の前に立つと、目視した者の情報を表示する【神の目】によって、私自身の能力が顔の左あたりに表示される。
項目をめくるように開いていくと、更新していたのは【気配遮断】スキルだった。
さっきので、また隠れ潜むレベルが上がったらしい。
天才ってすげぇ。
不意に気になって扉を見ると、直後にノックの音が聞こえた。
「夕飯の時間よ、イリア。お父さんたちを呼んできて頂戴」
「わかりました」
母の声に答え、何となく鏡に視線を戻すと、今度は【気配察知】スキルのレベルが上昇していた。
自分の才能が怖い。……チートですけど。
夕飯の前となると、お父さんは西の森でユーリの特訓をしてる頃だ。
ユーリは私の弟で、今年六歳になる初等部の一年生。
私の時は四半世紀近くかかったらしいけど、今回はたったの二年。
お父さんとお母さんの頑張りは私もよく知っているので、ある意味さっさと身籠ってくれて嬉しかったです。ええ。
だけど、本当は妹が良かったなーとか思っていたりする。
女の子だったら、私への期待が逸れて、上手くいけば全部任せられるかもって思っていたからだ。それに妹なら思いっきり可愛がれるしね!
……でも運命とは残酷なもので、男の子が生まれたおかげで、両親は更に私を争い事から遠ざけるようになってしまった。
そして、ユーリには私に向けられない期待を背負わせることになってしまう始末。
その結果が、五歳から始めてる武術の稽古でしたとさ。
――お前はお姉ちゃんを守らなければならない。
どんだけ私が大事なんですか、お父さん。
よく分かっていないだろうに、あい! と元気よく返事をした弟を可愛く思うけれど、正直物心つく前から言い続けるのは洗脳と変わらないと思います。
そんなことを考えながら森を進むと、やがて何かがぶつかり合うような鈍い音が聞こえてきた。
改めて大きな気配のする方に向かうと、音も大きくなっていくのを確認した。
ここで一つ深呼吸。
覚悟を決めて、目を開く。
……うん、視界に虫はいなさそう。
胸を撫で下ろし、改めて歩みを進める。
「あ、おねえちゃん!」
私が近づくと、気づいたユーリがこちらを振り向いた。
そこにお父さんの木剣が振り下ろされ、満面の笑顔が苦痛にゆがむ。
「馬鹿者。稽古の途中に余所見をする奴があるか」
「……ひぐっ……」
あ、泣く。
「びぇぇええええ!」
泣いた。
走った。
抱きついてきた。
おおよしよし。
「お父さん、夕飯だそうです。ユーリも」
弟のサラサラすぎる金髪を撫でながらお母さんの言葉を伝えると、お父さんは力を抜いて軽く息を吐いた。
ユーリの木剣を持ってあげようと手を伸ばすけど、お父さんにそれを取り上げられた。
「帰ろうか」
直接的には何も言わないことが、逆に「お前はこんなものを持つ必要はない」っていう意味を強めている気がした。
再来年から始まる剣術や弓術の授業はどうするつもりなんでしょうね。
その翌日、職員室に向かった私は先生に親の了承が得られなかったことを話した。
先生はすごくがっかりした表情をしていたけど、私だって受けたかったんですよ?
良い子にしてるんだから、たまの我儘くらい聞いてくれればいいのに。