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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第二章
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 鬼、というと野蛮なものと思われるらしい。いつだったか、タマ子からそんな話を聞き、驚いたことがある。それまで、鬼とはすべからく細やかな生き物であると思っていた。


 台処には、そんな孤月の性格がしっかり現れている。道具は決められた場所にきっちりと収まっていたし、何より掃除が行き届いていた。孤月が大切に使っている証拠だ。自分は食べないのに、小春とタマ子のために毎日、作ってくれる。冷静に考えれば、そこまでしてくれる相手が玩具のように見ている筈はないのだ。

 何と言って謝ろう。もっと孤月に感謝をしよう。


 だから、夕餉の支度は孤月の苦労を知る絶好の機会だ。張り切って腕まくりをした――は良いが。孤月は何を作ってくれていただろう。いつもの夕餉を思い出す。白米。味噌汁。おひたし。煮物。膳に並ぶとりどりのおかず。孤月は食べ合わせも考えていてくれたのだ。


 腕組みをし、考える。食材は、ある。菜っ葉も根菜も木の実も。しかし、それをどう料理すれば良いのか皆目見当が付かない。塩や砂糖の他に、何を使って味を付ければ良いのだろう。

 真剣に頭を使えば使う程、空腹感は増す。一度意識してしまうと、どうしようもない。短時間で手早く支度できるもの、と言っても小春は台処に立ったことが殆どないのだ。要は空腹が満たせれば良い。幸いにも、今朝孤月が炊いた白米がある。空腹の時は、何を食べても美味しいものだ。後は、周りを納得させるのみ。


「小春、何か手伝うことはある?」


 折よくタマ子が様子を覗きに来た。


「タマ子、あのね」


 意を決し、タマ子に向き直る。しかし、何と言おう。何が食べたいか、と訊いてもきっと希望には応えられない。その沈黙を、タマ子は良い方に取った。楽天家なのだ。


「もしかして、もうできたの?」

「まさか」


 強く首を振り否定する。何を言い出すのか。これでは切り出し辛くなってしまった。


「だったら、早くするの。タマ子も手伝うのよ」


 張り切って言われても、小春にはどうすることもできない。タマ子の手伝いがあったとしても、どうにかできる腕がないのだ。ぱん、と手を合わせ深々と頭を下げた。


「ごめんなさい! おむすびで我慢して!」

「……え?」

「時間もないし、お腹も空いたし、おむすびならすぐに用意できるから!」


 孤月の手を借りぬのであれば、それしか道は残されていない。タマ子が嫌だと言おうと。どんな反応をされるか怖ろしくて、頭を上げることができない。


「ああ……うん。タマ子、おむすび、好きよ……」


 ようやく返ってきた反応に顔を上げる。


「ありがと――」


 礼の言葉は中途半端に途切れた。タマ子の表情があまりにも虚ろだったのだ。


「タマ子……?」

「うん……タマ子、おむすび、大好き」


 明後日の方向を見て同じことを繰り返す。それもこれも、元はといえば料理もろくにできないのに作ると言い出した小春の責任だ。一昨日のことがなければ全ては始まらなかった。考えても溜息しか出てこない。

 後で孤月に謝る。ただし今は夕餉の支度が先だ。




 おむすびは一人あたり三個。合計で九個作ったが、無理矢理数を合わせたため大きさはまちまちだ。小春は小さなおむすびを三個、自分用にと皿に乗せた。タマ子と静磨には大きなおむすびを選んだ。


「小春、良いの?」


 皿を手に、タマ子は済まなそうにしていた。


「良いの。これで充分」


 強がりでしかないが、これだけしか用意できなかった自分の責任だ。


「ありがとう、小春」


 タマ子はどうにか納得してくれたが、残る問題は――静磨だ。嫌がられても困るから、了解を得ぬまま作ったが、果たして吉と出るか凶と出るか。静磨の分も取り分けて、意を決し、対屋へ持って行った。


「すみません。今日、おむすびしか用意ができなくて……」


 本当は料理ができないのだが、こんな言い方をすると時間があればもっと作れるのだというように聞こえる。卑怯だと内心で項垂れたが、静磨は嫌な顔ひとつしなかった。おむすびを一つ取り、一口頬張る。


「ああ、美味しい」


 何の変哲もないおむすびだが、やけに喜んでくれた。思えば、助けた時に水を飲ませたきりなのだ。腹も減っていただろう。おむすびを食べる間、静磨は無言だった。

 おむすびを食べ終え、静磨は怖ず怖ずと切り出した。


「僕は、やっぱり出て行きましょうか」

「そんな、ここに居てください」

「ですが」


 寝殿での話が聞こえたのだろうか。面と向かって言われた話ではない分、どこか言いづらそうにしている。


「怪我が悪化してしまいます」

「麓の村ですから、すぐ近くです」

「そんな。――……あ。すみません。奥さまがお待ちですか?」


 すっかり失念していたが、山の下には夫婦という男女の関係があると聞いている。そういった女性が居るのならば、こうして引き留めておく方が迷惑だ。初めて人間に会ったものだから、静磨の立場を深く考える余裕がなかった。


「いや、そうではないんです。そういった人は居ません。一人で暮らしています。しかも、好き勝手に旅にでるものだから、村の人たちにもあまり心配されないという有様で……」


 つまり、山を下りても看病してくれそうなのは村人くらいだ、ということ。ならば、無理に下りなくとも良い。


「でしたら、ここに居てください。その……不純ですが、話を、聞きたいので……」


 ここで療養してもらうと付いてくる、静磨から聞く山の下の話。静磨の身体が心配でもあるのだが、それ以上に楽しみだった。やや身勝手で不純な理由だったから、ぼそぼそと少し聞き取りにくい声になる。


「ご迷惑でなければ、甘えてもよろしいですか」

「喜んで!」


 即座に頷いた。あまりに反応が早かったからか、静磨は楽しそうに笑った。




 静磨が食べ終えた皿を下げ、それとなく孤月の姿を探す。しかし、どこに行ってしまったのか見付からなかった。

 諦めて溜息を付くと、背後から肩を叩かれた。不意のことに驚いて振り返ると、タマ子がじっと見上げている。


「驚かさないでよ」


 趣味が悪い、と口をとがらせる。タマ子は不本意そうに膨れた。


「何度呼んでも気が付かなかったのは小春の方なの」

「あ……そうだったの」


 孤月の姿を探すことに一生懸命で、タマ子の声は届いていなかった。


「それなのに。小春ったら」

「ごめん、ごめん。何かあったの?」


 見れば、タマ子は寝間着に着替えて休む準備万端だ。枕まで抱えている。


「寝る場所がないの。一緒に寝て良い?」

「あ、そうか」


 タマ子の茵は静磨が使っている。寝床を探し、うろうろしていたのだろう。眠気と闘いながら。必死に目を擦っている。


「そうね。一緒に寝よう」


 タマ子の手を引き、小春が使う対屋へ戻った。




 小春が格子を下ろしている間に、タマ子は茵に潜り込んでいた。そっと覗くと、もう気持ち良さそうな寝息を立てている。今日一日、色々なことがありすぎて疲れたのだろう。

 小春も、寝間着に着替えタマ子を起こさぬよう布団に入った。


 しかし茵に入っても、ずっと今日のことを考えてしまう。小春がもう少し、考えて動けば良かったのか。手を握られても、すぐに振り払えば良かったのか。

 しかし、悪意を向けられているわけでもないのに、そんなことをしては失礼だ。それに、村の話が聞けるのは嬉しかったのだ。初めての、人間の口から聞く村の話。嬉しくない筈がない。


 身体は疲れているのに中々寝付けず、寝返りをうつ。

 なぜ、孤月は静磨を置くことに反対するのか。手を握ったくらい、何ということはない。相手は怪我人なのだ。


 夜風に乗って、笛の音が聞こえてきた。孤月が吹いているのだ。幼い頃から、小春が眠れない夜は決まって吹いてくれた。気持ちが落ち着き、安心して眠れるのだ。

 それまでの悩みも、次第に薄れてゆく。また、明日。全て孤月に話そう。今日はもう眠ろう――そう、思えた。

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