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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第二章
8/26

 誰かから、こんなにもじっと見詰められることが今までにあっただろうか。

 静磨の手は、小春よりも大きかった。大きくて、筋張っていてごつごつしている。孤月の手に似ている。何だ、人間もあやかしもそう大差はないのだ。そろそろと、その手が離れる。先程まで小春に向けられていた視線は、少し引き攣った表情で小春の背後を見上げていた。


 そういえば、足音が聞こえた筈だ。今は静かになっているが。

 固まってしまった静磨につられて振り返ると、孤月が厳しい表情で立っている。


「あ。孤月」


 布団の中からではあったが、静磨がぎこちなく深々と頭を下げる。


「先程はすみませんでした」

「静磨さん、怪我が治るまでここで――」


 言葉よりも手の方が速かった。


「来い、小春」


 挨拶も何もなく小春の腕を掴み、踵を返した。孤月の力は強く、簡単に振り払えるものではない。引きずられるも同然に寝殿へ連れ出される。静磨も止めることはできず、呆気にとられていた。


「ちょっと、孤月。痛いわ」


 そんな抗議も、聞こえてはいるだろうが、自分の意に沿うものではないから相手にしないのだ。


「孤月!」


 大きな声を出したが、ぎろりと睨まれてしまった。化物と言われた時も怒っていたが、それ以上に機嫌が悪く見える。抵抗を諦め、黙って引きずられるまま寝殿に戻った。

 タマ子と何かあったのだろうか。いやしかし、それが小春を引きずる理由になるとは思えない。




 さて、寝殿に連れ戻されたは良いが孤月の機嫌は一向に良くならなかった。孤月、タマ子、小春がそれぞれ等しく間を取って三角を作って座る。

 対屋に居なかったため状況の飲み込めていないタマ子は、孤月と小春を見比べておろおろしている。その様子を見る限り、孤月との間に何かあったようではない。

 どのくらい、重い沈黙が流れただろうか。耐えかねたタマ子が、明るい声で提案する。


「そうだ! 今日は久しぶりに、孤月さまの笛が……聞き……たい、です……ね……」


 最初は溌剌としていた声も、孤月のひと睨みでみるみる細くなっていった。見ている側が可哀想になるくらい、項垂れて小さくなってしまう。そして、蚊の鳴くような声で謝罪をした。


「……申し訳ありません……」


 謝罪に、しかし孤月は何も言わなかった。むっつりと押し黙ったままである。

 孤月は、思えばいつでも威張っている。何十年――いや、何百年も周りから敬われてきたのだ。威厳も付けば威張りもしよう。が、理屈の通らぬことはしない。我侭を言って困らせるようなことはないのだ。我侭は、もっぱら小春やタマ子の担当で、孤月はそれに振り回される方である。小春やタマ子を相手にする孤月は、いつもこんな気分なのか。匙を投げずに付き合ってくれる、懐の大きさは計り知れない。


 密かに、心の中で孤月に謝る。いつも迷惑をかけて申し訳ないと。いつものお詫びではないが、迷惑を被るのがこの座に居る二人だけなら構わない。面倒ではあるが、罪滅ぼしで付き合うにやぶさかではない。が、今は事情が違う。静磨が居るのだ。小春の仕掛けた罠で怪我をさせてしまった静磨が。


「孤月、どうして怒っているの?」


 できるだけ油を注がぬよう、優しい声音で問う。


「怒ってなどいない」


 明らかに不機嫌な声で返されては、まるきり説得力に欠ける。


「怒ってる」

「怒っていない」

「ほら。怒ってるじゃない」


 問いかけは次第に棘が混じり言い合いになっていく。やはり、怒っている。我侭にも怒ったことのない孤月が。化物と言われたことがそんなに腹立たしかったのだろうか。人間の小春にとっては些細なことでも、あやかしの立場では捉え方が違うのかもしれない。ならば尚更、その怒りを解消しておくべきだ。不動の体勢で孤月と対峙した。少しでも目を逸らせば負け。鋭い孤月の視線に負けぬよう、口を真一文字に引き結んで対抗する。


 どれ程、そうやって睨み合っただろう。引き下がらない小春に根負けしたか、孤月がようやく口を開いた。


「ああ。怒っている。だから、あの男を追い出せ」

「どうしてそうなるのよ」


 怒っているのを認めたは良いが、それが静磨を追い出すことに直結するのは納得がいかない。


「小春が追い出さんのなら、おれが追い出すぞ」

「無茶言わないで」

「おれは気に入らん」

「気に入らないのは分かっているわよ。それでも、怪我が治るまでは居てもらって良いでしょう?」

「いいや。あいつは気に入らない」

「気に入らない、気に入らないって……。ちゃんとした理由を言ってくれなきゃ、納得できないわ」


 明確な理由を教えてもらえなければ、一歩も譲るものかと構えていたが、続いた孤月の発言に、小春はぽかんと呆けてしまう。


「……軽々しく、お前の手に触れただろう」

「うん」


 ようやく話す気になってくれた。相槌を打って先を促すが、中々続かない。


「それで?」


 痺れを切らして続きを催促すると、全く同じことを繰り返す。しかも、一言一言をやけにきっちり区切って。


「軽々しく、お前の、手に、触れただろう」

「ああ……そうね」


 確かに手を握られた。孤月と同じ大きな手だと思った。


「何が、そうね、だ。あんな無礼な男を置いてはおけん」


 さも重大な事件であるかのように言う。手を握っていた程度だ。大袈裟な反応に思わず笑ってしまった。


「手くらい、良いじゃない」

「くらい、だと?」

「そうよ。何でもないじゃない」


 そんな些細なことで怪我人を追い出す方がどうかしている。しかし、感じ方は人それぞれ。小春にとっての些事は、孤月にとっての大事件のようだ。声が震えている。


「何でもない訳がないだろう」


 なぜ、孤月がそこまで怒るのか。


「ここは、人間を置いておく場所ではない」


 きっぱりと言い切ったが、その主張の違和感は拭えない。


「だったら、私は何」


 人間は置けないという孤月が、小春を拾い育ててくれているのだ。理屈が通らないのではないか。それとも、小春も出て行けと言うのか。


「お前は別だ」

「じゃあ静磨さんだって」

「小春に気安く触れる奴を、置いておけるか」

「私が構わないって言っているんだから、良いじゃない」

「お前が構わなくても、おれが構う」


 手を握った程度で、こんなにも怒るとは思わなかった。ならばもし、水の件を知られたらどうなるだろうか。口移しで飲ませたと知れば――。


「……でも。私は孤月の玩具じゃないの。私のすることに、反対ばかり。私だって、考えて動いているんだから」


 小春自身も意外な言葉がついて出た。そうではない。孤月に玩具扱いされているとは思っていない――筈だ。ただ、静磨を置くことに賛成して欲しかっただけなのだ。


「あの、孤月――……」


 弁解しようと言葉を探すが、思い浮かぶのは醜い言い訳ばかりで、気持ちをそのまま伝えられるような言葉が分からなかった。

 だったら、どんなつもりで言ったのか。咄嗟にでも出たということは、少なからずそう感じていたのではないか。そうでなければ、出てこないのではないか。


「……そうだな。お前は、おれの玩具じゃない」


 言い過ぎた、とも違う。整理の付かない感情が溢れてきて、もうどうしようもなかった。


「小春の傍には、人間が居た方が良いのかもしれないな」


 それだけを言い残し、孤月は立ち去る。ただ、その後姿を見送ることしかできなかった。

 呼び止めて、違うと言えば少しは良くなったのかもしれない。だが、簡単に思えるそれができなかった。

 長い長い一日の終わりが孤月との喧嘩とは、目も当てられない。体力も気力も、ほとんど残っていなかった。全身の力も抜け、溜息を付く。タマ子が遠巻きに、様子を伺っていた。ちらちらと視線を感じるが、何も言ってはこない。


「どうしたの」


 痺れを切らして問うと、もじもじしながら口を開いた。


「あの、ね。夕餉……どうしよう」

「夕餉……?」

「私たちの夕餉」


 そこまで言われて、はたと気付いた。外は明かりを灯さなくてはならない程、暗くなっている。一連の騒動ですっかり忘れていた。


「孤月は――」


 いつも作ってくれていたから、無意識のうちに頼ってしまう。しかし、その孤月も朝から駆り出され、静磨を運んだり手当をしたりと忙しくしていたのだ。それでなくても、小春は宣言していた筈だ。今日の夕餉は孤月には作らせない、と。

 あんな言い合いをした後で、夕餉を作ってくれとは言えない。

 小春を追い詰めるかのように、タマ子と、次いで自分自身の腹が鳴る。支度をしなければ――小春は台処へ急いだ。

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