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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第一章
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 タマ子が出て、座はしんと静になる。何か話題はないかと考えを巡らせる。


「き……今日は、良い天気ですね」

「はい。雨が降っていなくて助かりました」


 本当に、と頷く。そのまま会話は広がらず、続くのは沈黙だ。考えれば考える程、何を話せば良いのかわからなくなる。小春が一人、懸命に頭をひねっていると、横から孤月が問いを投げた。


「なぜ、この山に来た」


 問いに、静磨はすぐに答えなかった。不機嫌にさせてしまったかと、慌てて取り成す。


「あ、いえ。失礼なことでしたら無理に答えなくても……。ね、孤月。いきなり失礼よ」

「何が失礼なんだ。意味もなくうろつく場所ではないだろう」

「だけど――」


 また始まりかけたやりとりを打ち切るのは、静磨だった。


「探しに来たんです」

「探しに?」

「そう。大切な……」


 しかし、その後は続かなかった。何を、と続きを催促する前に、ぱたぱたと軽い足音が近付いてくる。タマ子が眼鏡を手に戻ってきたのだ。


「帰って来た」

「速いですね」

「タマ子だけなら、このくらいです」


 タマ子は、手にしていた眼鏡を得意顔で差し出す。


「これでしょう?」

「ああ、そうです。これです」


 静磨は眼鏡を受け取り、壊れていないかを確認してかける。幾度か瞬きをし、辺りを見回した。ぼんやりと、明後日の方向を見ていた瞳がしっかりと焦点を定める。


「良かった。ちゃんと見える。本当に、ご迷惑をおかけしました。何から何まで、ありがと――……」


 にこやかに挨拶をしかけ、その表情が凍り付いた。真っ青になり、ぱくぱくと口を開くが、言葉が出てこない。


「どこか、まだ痛いのですか?」

「大丈夫?」


 タマ子が布団の上に身を乗り出すと、静磨は後退る。脚はまだ痛い筈だが大丈夫だろうか。


「ひっ――! 猫が――!」

「猫?」

「喋っ……猫が……!」


 大急ぎで山道を駆けたせいだろう、タマ子は子供ではなく本来の姿――大きな白猫に戻っている。つやつやとした毛並みと、二又に分かれた尾。瞳は、おかっぱの子供と同じように黄と青の色だ。小春にはごく日常のありふれた光景であったから、静磨が怯える理由が分からない。タマ子と共に首を傾げる。


「失礼な男だな」

「ちょっと孤月」


 本人を目の前にして言う孤月も充分失礼だ。小春が窘める。


「すみません、孤月ったら礼儀知らずで」


 静磨に向き直ると、茵から這い出し柱の陰に隠れようとしている。


「静磨さん?」


 脚を折っているのに、そんなに動いてはいけない。


「つ……つの……つの、が……」

「つの?」


 孤月を指さし、震えている。端正な孤月の顔、その額には二本の角が確かに生えていた。

 小春とタマ子の視線が、孤月の額に向けられる。


「角が、どうしたのかしら」


 タマ子は付き合っていられないというように、廂に向かう。そこで軽やかに一回転の宙返りをした。白猫の姿からおかっぱの子供に戻る。


「ばっ――化物――っ!」


 鼓膜をびりびりと震わせる大声を出し、静磨は布団を被ってしまった。




 孤月は沸点が高い。滅多なことでは怒らない。嘘を吐かれた時など、著しく信頼を裏切った時くらいだ。だが、その孤月が今までに見たことがない程に怒っていた。当然と言えば当然だろう。嫌々助けた男から不躾に指をさされ、さらには化物呼ばわりされたのだ。静磨を信頼していたのではなく、誇りを傷付けられたのだと思う。

 タマ子も可哀想だ。礼を言われてすぐのあの仕打ちなのだから。

 このままでは、事が大きくなるだけだ。怒る孤月と呆れるタマ子の腕を引き、一旦寝殿に戻った。戻ったは良いが、席を外したくらいで片付く問題ではない。


「あの……ね、そのう……」


 怖ず怖ずと小春が話し掛けると、赤い獣のような瞳に睨まれた。


「……ごめんなさい……」


 静磨の反応は失礼だが、間違っているとは言い切れない――のだろう、多分。小春には分からないが。

 孤月もタマ子も、静磨の言葉を借りれば人間ではなく化物だ。それだけではない。廃寺の和尚だってそうだ。この山には、化物――小春たちに言わせれば、あやかしだが――が多く棲んでいる。タマ子は百年以上生きた白猫だし、和尚は廃寺に棲み着くあやかしだ。そして、孤月はこの山で一番力を持つ鬼である。小春はそんなあやかしの山に嬰児の頃に捨てられ、孤月に拾われた。あやかしたちとは家族のように暮らしてきたから、怖いなどと思ったことは一度もない。しかし、静磨のように初めて触れる者にとっては怖いのだ。


「なぜ小春が謝る」

「罠を仕掛けたのは、私だもの」


 そのせいで、静磨に怪我を負わせ、孤月に頼んで屋敷に連れてくることになった。それがなければ、孤月も嫌な思いをせずに済んだだろうに。


「ならば、あの男に謝れ。おれに謝らなくて良い」

「そう、だけど……でも」

「それとも、何だ。あの男の言ったことか? それをお前が謝るのか? 筋違いだろう」

「……はい……」


 代わりに謝るのは筋違いだと、小春も分かっている。しかし、嫌われたくなかったのだ。あやかしたちが人間を嫌えば、いずれその中に小春も含まれてしまうのではないか。人間だからという理由で嫌われてしまうのではないか。それが怖かった。


「静磨さんの様子を見てくる」


 怯えていたから慌てて退散したが、相手は怪我人だ。放ったらかしにしてはいられない。この中でその役目を全うできるのは小春だけなのだ。




 西の対屋を覗くと、静磨が布団から起き上がろうとしている所だった。骨を折って、手当をしたばかりだというのに。


「無理をしないで」


 倒れそうになっていた静磨に慌てて駆け寄る。肩に小春の手が触れると、強張るのが伝わった。


「あ……すみません。怖いですよね」


 自分も化物だと思われているのかもしれない。同じ人間には見えないのだろうか。小春は、自分が何者なのか分からなくなる。あやかしでもなければ、人間にも受け入れてもらえない。


「あなたは、名前は何というのですか」

「え?」

「名前……訊いていなかったから」


 そうだ。静磨には訊いたが、自分たちは一切名乗っていなかったと気付く。いくら助けたとは言っても、これでは怖がられてしまうのも無理はない。怖がる理由は他にもあるだろうが。


「私、小春といいます。猫……眼鏡を拾ってきたのがタマ子で、もう一人の男の人が孤月」


 些細なことでも、静磨を刺激しないよう言葉を選ぶ。一つの質問に返すと、静磨は間髪入れずに次の質問を投げてくる。


「あなたは、人間ですか?」

「はい」

「だったら。母親は居ますか」


 身を乗り出して問われ、反射的に身を引く。


「私、赤ん坊の頃に、この山に捨てられたんです。それを、孤月が拾って育ててくれたんですよ」


 できるだけ暗い話にならぬよう、明るく伝えたのだが、静磨は申し訳なさそうに俯いた。


「そう……ですか……」


 それは、どうも申し訳ないというよりも、小春の答えに残念がっているように見えた。そして、すぐに表情を改め、謝罪した。


「済みません。辛い話を……」

「いいえ。少しも辛くはありません。孤月は、大切にしてくれるから」


 産みの親に捨てられたことは不幸かもしれないが、山で暮らすことを不幸だと思ったことは一度もない。


「だけど、化物に育てられるなんて――」

「孤月も、タマ子も。化物なんかじゃありません」

「角が生えていたし、猫だったじゃ……」

「でも、化物ではないんです。大切な……家族です」


 静磨は複雑な表情を浮かべ、黙りこむ。今だって、無理にでも起き上がろうとしていたのだ。山を下りるつもりだろう。きっと、恐怖心が消えなければ、ここに居て怪我を治して欲しいと言っても受け入れてもらえない。


「他の人にとっては怖ろしいかもしれないけれど……少しも怖くはないんですよ。見た目が変わっているだけで」


 怖がらないのは小春だけかもしれない。少しでも理解して欲しいが、押し付けてしまっては逆に孤月たちを悪く思われそうだ。


「ですが、怖いものは……怖いですよね。すみません」

「いや……」

「怪我がちゃんと治って山を下りたほうが良いと思ったのですが、孤月に麓まで付き添ってもらえるよう頼んでみます。その間だけ怖いかもしれませんが、私も付いて行きますから。だから、少しだけ我慢してください」


 しかし、静磨は意外なことを言い出した。


「あなたは……ここを出ないのですか?」

「出るって……?」

「山を下りて、人間の村で暮らさないのですか」


 問いかけに、きょとんとした。今まで小春が一度くらい下りてみたいと思っていたことよりも、遥かに先のことだ。暮らしてみるなど、考えたこともない。身の丈に合わぬようなことに思えるのだ。


「ええ……まあ、一度くらいは、下りてみたいとは思います。だけど、暮らすのは……ちょっと」


 下の世のことは何も知らないのだ。どう暮らせば良いのか分からない。ここには、あやかしたち――小春にとっての家族が居るのだ。


「人間が嫌いですか」

「いえ、そうじゃないんです。全く。好きか嫌いかなんて分かりません。今日、初めて自分以外の人に会ったんです」


 妙な誤解をされないよう、慌てて補足する。だから、好きも嫌いもないのだ。


「ここには私の家族が居ますから」

「家族……? ご両親が、ここに?」

「いえ。孤月やタマ子が私の家族なんです。孤月たちが居る所が、私の住む場所ですから」

「だったら、僕が――……」


 静磨は言葉を選ぶように黙りこむ。僕が――どうしたのだろうか。中途半端に途切れた言葉は、中々続かない。首を傾げて黙っていると、意を決したように口を開いた。


「怪我が治るまで、ここに居て構いませんか」


 あれだけ怯えていたのが、どういう風の吹き回しだろうか。


「でも……怖くはないのですか?」


 それ以上の反論を遮るように、静磨は小春の手を握る。


「あなたが居れば、大丈夫です。それに、せめて話だけでも聞いてみませんか」

「話……ですか?」

「はい。人間の村の暮らしを。山の下も、良い所なんです。何でも教えます」

「い――良いんですか?」

「喜んで」


 渡殿を通りこちらに向かう足音が聞こえた。


「小春、どうだ――」


 孤月の声が聞こえたが、中途半端に途切れる。それよりも、じっと向けられる静磨の瞳から目が離せなかった。

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