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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第一章
6/26

 程なく、タマ子が孤月を連れて戻ってきた。


「小春、大丈夫か――……」


 しかし、この場の状況が思っていたものと違うのか呆然としている。嘘を吐いて連れて来るように言ったが、それを一から説明している暇はない。小春は、孤月に早く動くよう急かす。


「孤月。この人、怪我をしているの。早く手当をしなきゃ。家まで運んで」


 孤月は、隣に立つタマ子を睨みつけている。タマ子は小さな身体をさらに小さくした。


「……小春」


 小春の願いとは裏腹に、孤月は動いてくれない。狩衣の袖を引っ張り催促すると、力一杯振り払われてしまった。珍しく怒っている。今日はやたらと表情が変わる。珍しい日もあるものだと呑気なことを思った。孤月は地の底から響いてくるような声を発した。


「おれは、小春が怪我をしたと聞いたのだが」

「ごめんなさい。それは嘘なの」

「人間の男が倒れているとは聞いていない」

「私が教えないように言ったの」


 孤月は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「帰るぞ」

「待って。この人を」

「……放っておけ」


 言うなり、孤月は踵を返す。帰らぬよう、再び袖を引いた。全身に力を込めて。


「嫌。助けるの」

「放っておけと言っている」

「私のせいで怪我したかもしれないの」


 まだはっきりと原因は分からないが、あの蜘蛛の糸の罠に引っかかってしまったのかもしれない。どこかを引っ掛けてしまい、脚を踏み外した、とは充分に考えられる。あれがなければ、落ちなかったかもしれない。いくら袖を引いても、びくともしなかったのが嘘のように、足を止めて振り返る。きっと――いや、間違いなく怒っている。だから必死に顔を伏せて見ないようにした。見ればきっと、怖くて怯んでしまう。


「どういう意味だ」

「それは……後でちゃんと説明するから」

「先に話せ」

「話したら、助けてくれる?」

「それは聞いてから考える」


 それでは、聞いた後で見捨ててしまう可能性もあるということだ。今の孤月の反応を見れば、運んで貰えない可能性は高い。男に近付き、腕を取る。


「我慢してね」

「おい、小春」

「私が自力で運ぶわ。孤月の手を煩わせなければ、文句はないでしょう?」


 気を付けながら、男の身体を起こす。


「小春、待て」

「もう孤月には頼らないわ」


 しかし、思った以上に男の身体は重く、よろけてしまう。


「……お前は」


 孤月はため息を付き、男の腕を掴むと、軽々と抱え上げてしまう。大の大人の男を、孤月は俵のように肩に担いだ。


「変な運び方をすると、怪我が酷くなる」


 そんな理由を付け――事実もあるだろうが――手伝ってくれる。


「ありがとう、孤月」

「話は、屋敷に帰ってからだ」

「はい」


 小春が怒られる程度で孤月が手を貸してくれるのなら安いものだ。




 孤月の手にかかれば、男一人を屋敷に運ぶなど造作もないことだった。とりあえず、タマ子が使っている西の対屋へ寝かせる。手当をすると言っても、小春には何の知識もない。結局は孤月の手を借りることとなるのだ。孤月は手際良く、男の怪我の具合を確認する。


「怪我の手当など、したことがないだろう。どうするつもりだった」


 たっぷりと棘のある語調で言われ、小春は笑って誤魔化すことしかできなかった。男を屋敷に運ぶことで頭がいっぱいだったのだ。

 タマ子は不機嫌な孤月に怯えて近寄れず、柱の影に隠れ、廂から様子を見守っていた。


「脚の骨が折れているらしい」

「治るの?」

「どうだろうな。これは……おれでも難しいかもしれん」


 さあっと血の気が引く。


「歩けなくなるの……?」


 まさか。自分のせいで。他人を不幸にさせてしまうなど、どうやって償えば良いのか。


「何でもするわ。お願い、孤月」

「タマ子も!」


 遠巻きに見守っていたタマ子も、小春の傍に駆け寄り深々と頭を下げた。


「やけに親身だな。知り合いか?」

「知り合いじゃないけれど。……怪我をしたのは、私のせいかもしれないの。だから」

「さっきも言っていたな。こいつが怪我をした原因が、小春にあるのか?」

「ある……かもしれない」

「そこを詳しく話してもらおう」


 口許は口角を上げ笑みの形を作っていたが、目は全く笑っていなかった。


「その……蜘蛛の糸を張って、罠を作ったら、この人が引っかかって……崖から落ちてしまったみたい」


 小春の説明を保証するためか、横でタマ子も力強く頷く。孤月はその様子を見ながら大仰に腕を組む。


「なぜ、罠を仕掛けたんだ?」

「……動物を、捕まえようと……」

「なぜ動物を捕まえる必要がある」

「それは……その、孤月が……」

「おれは、無益な殺生を好まぬが」


 こういう時の孤月は意地が悪い。理由など今朝のことを思えば大まかにでも察しが付いている筈なのだ。それを、気付かぬふりをして全て吐かせる。ぼんやりとした相談で納得してくれる相手ではない。


「孤月に、食べさせようと思ったの。お肉を食べるって聞いたから」


 深い溜息が聞こえる。小春は小さくなって項垂れた。孤月が手を構えるのが視界の端に見える。打たれるかと身構えたが、予想に反して優しく頭を撫でてくれる。


「こんな結果ではあるが、おれを気遣ってくれたんだな」

「孤月……」

「おれは、食わんでも生きていける。小春が健やかに育ってさえくれれば、それで良い」

「……」

「だから、もう二度と罠を仕掛けるなど下らんことはするな」

「はい……」

「よし。ではこの男の手当をしてやろう」


 孤月は手際良く脚に添え木をし、布で縛り付ける。


「歩けるようになる? 大丈夫?」

「当たり前だ。治れば歩けるようになる」

「でも、さっき……どうだろうって」


 孤月でも難しいと言っていたではないか。

「嘘だ」

「嘘……?」

「お前が勝手をするから、少々お灸を据えてやった」


 得意げに笑う。不安がらせたのは芝居だったのか。一本取られた悔しさで小春は膨れる。


「まあ、丈夫そうだからそこいらに放り出しておけば良い」

「そこいら?」

「ああ。倒れていた所にでも運ぶか」

「まさか。ここに置いておくわ」

「馬鹿を言うな」

「馬鹿を言っているのは孤月の方じゃない。こんな、怪我をした人を放り出せるの?」

「おれは追い出せる」


 間髪を入れずに返ってきた答えに、小春は何も言えなくなる。冗談だろうと思ったが、孤月の目は本気だ。本気で男を放り出すつもりだ。男を運んでくれた時は、孤月の優しさに心を打たれたというのに。


「……孤月、優しかったのに」

「それとこれとは話が別だ」

「同じよ。怪我をした人を放り出すなんて」

「生憎と、冷血なのだろう。おれに人並みのことを期待するな」

「孤月の馬鹿!」

「馬鹿で結構。小春が無事ならば、他はどうでも良い」

「……ん……」


 二人の会話の間に、微かな声が割り込む。


「目が覚めたみたい」

「おい。さっさと起きて出て行け」

「孤月、黙って」


 子供のように拗ねて、孤月はそっぽを向いてしまった。


「大丈夫ですか? 崖から落ちて怪我をしていたのよ」


 ぼんやりとしている男に、少しでも思い出してもらおうと見付けた時の状況を伝える。


「ありがとうございます」


 身体を起こそうとするが、まだ痛むのだろう。顔が歪む。気が付いたばかりなのだ。


「無理をしないで」


 手を添えて、男を再び寝かせる。


「お前、名は何という」


 高圧的な孤月の態度にも、男は嫌な顔ひとつせず、素直に答える。


織原(おりはら)静磨(しずま)です」

「手当はした。すぐに――」


 放っておくと、出て行けとばかり繰り返す。小春は手で孤月の口を塞いだ。


「怪我が治るまで、ここで過ごしてください」

「ああ……はい……」


 小春の勢いに、男――静磨は押し切られるように頷いた。意思というよりも、勢いに流されてと言った方が正しい。


「小春、おれは――」

「孤月の言うことは、気にしないでください」


 口を塞ぐ手を剥ぎ取り、文句を言う孤月だったが、負けてはいられない。ずいと身を乗り出し孤月を封じる。

 騒がしいやり取りを前に、静磨はぼんやりとしていた。止める者も居ないから、タマ子が静磨の顔を覗き込む。


「タマ子……? 何をしているの?」


 見れば、タマ子は頬を伸ばしたり歯を剥きだしたりと百面相をしている。静磨は、何が起こっているのか理解できないらしく、きょとんとしている。


「……驚かないの」

「何か、驚くようなことをしているんですか?」

「いや……まあ……」


 タマ子の百面相が、驚けるものかは分からない。が、毛の先程の反応も見せないのは引っ掛かる。


「誰か、居るだろうという位は分かるんですが、それ以上は……ちょっと」

「もしかして……目が、見えないんですか?」


 まさか、落ちた時に怪我をしたのでは、とうろたえたが、当の静磨は冷静だ。


「ええ。近眼なんです。いつもは眼鏡をかけているんですが、どうも落としたようで……」

「メガネ?」


 タマ子が首を傾げる。


「こう、丸い硝子が二つくっついたようなものです。あれを落として、見えなくなって足を踏み外したんだろうなあ」


 両手の親指と人差し指で二つの丸を作り、それをくっつけて説明する。ぼんやりと見覚えのある形に、小春とタマ子は顔を見合わせた。二人共、真っ青になる。静磨の言っているものは、仕掛けた罠に引っかかっていたあれに違いない。やはり怪我の原因を作ったのは小春たちだったのだ。


「タ……タマ子が探してくるのよ」

「ありがとう。お願いね」


 言うなり、ばね仕掛けのように勢い良く立ち上がり、座敷を出る。


「いや、ですが、危ない……」


 にこやかに見送る孤月と小春とは対照的に静磨は真っ青になっていた。崖から落ちた当人だから当然か。


「タマ子に任せていれば大丈夫です」


 大船に乗ったつもりで、と胸を叩いたのだが、静磨の不安の色は消えなかった。

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