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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第一章
5/26

 翌日――目覚めは早かった。しかも、頭はすっきりとしている。

 目的があると自主的に目が覚めるのだと感心しながら、着物を着替えた。昨日だって、朝餉の支度をするという目的があったのだが――それはそれ、これはこれ。

 早起きできたのだから、ついでに朝餉の支度もできるだろう、今日こそは勝った、と意気揚々と台処へ向かった――のだが。

 敵は手強かった。昨日と同じように、孤月が朝餉の支度をしている。しかも、今始めたのではなく、粗方仕上がってしまっていた。


「どうして! もう!」


 小春は地団駄を踏むが、孤月はちらりと一瞥するだけだ。


「お前の考えは分かっている」


 その言い方に、嫌な予感がしたが、気付かぬふりで訊ねる。


「考えって、何よ」

「おれに食わせるつもりなのだろう」

「……」


 なぜ、良い予感よりも悪い予感の方が当たってしまうのだろう。返事はしなくとも、その沈黙は充分に肯定の役割を果たした。


「何度言えば良いんだ。おれは食わなくて大丈夫なんだよ」

「……でも」


 全く同じことを思う。何度言えば、一緒に食事をしたい、という小春の気持ちが分かるのか。孤月も小春にそう思っているのなら、少しくらい理解してくれても良いではないか。小春の頭を、孤月が優しく撫でる。


「気遣いは嬉しい。ありがとう」

「でも。今晩は私が作るわ。孤月には作らせない。だから、食べられるものが並べば、一緒に食べて」

「ああ、そうだな」

「本当ね? 約束よ。食べられるものが、好きなものが並んでいるのに、嫌いだって嘘は吐かないでね」


 孤月の表情が強張ったように見えた。小春の気のせいかとも思ったが、続いた声は間違いなく震えている。


「食べられる……? おい、小春。何を作る気だ? そもそも、おれが食べられるものなぞ、誰に聞いた」


 何事にも動じない孤月が珍しく動揺している。肉が好きというのは知られたくないことだったのか。夕餉に並べるまで秘密にしておくつもりだったが、少しばかり匂わせたくなった。孤月が動揺する様子をもっと見てみたい。


「和尚さまよ。しっかり食材も揃えているんだから。楽しみにしていてね」

「おい、小春、お前……食材って、まさか……」


 孤月を放って寝殿へと戻る。背後で小春を呼ぶ声が聞こえたが、一度も振り返らなかった。この計画はうまくいった。孤月には聞こえない所まで行き、諸手を挙げて飛び跳ねた。




 朝餉の最中も、孤月は落ち着きがなかった。いつものように、階に腰掛けて煙管を吹かしてはいたのだが、視線はちらちらと小春の様子を伺っている。あの孤月を動揺させている、それは今までにないことで心躍るものであった。タマ子に目で合図を送ると、珍


しいものを見たと目を丸くしている。昨日と立場が入れ替わり、小春が笑いを堪える番だ。

 いつもより大急ぎで食事を終えた。


「ごちそうさまでした。孤月、出かけてくるわ」

「タマ子も、行ってきます!」


 二人に続けとばかりに、孤月もいそいそと立ち上がる。


「お、おれも行こう」

「孤月は付いて来ちゃだめ」


 ここは、しっかりと言っておかなければいけない。


「いや、昨日のように遅くなると危ないだろう」

「遅くならないから大丈夫よ」


 今日は、動物を捕まえて料理をしなければならない。遅くなる訳にはいかないのだ。下手に付いて来られては、計画がぶち壊されかねない。


「いや、しかし」

「付いて来ないでね」


 なおも食い下がろうとする孤月をそのままにし、竹筒の水筒に水を入れ屋敷を出た。向かうは一路、昨日仕掛けた罠の場所である。




 山道を歩きながら、タマ子は大喜びだった。


「孤月さま、面白かったの」


 必死に食い下がる姿を思い出し、小春も笑う。


「本当にね。そんなに一緒に食べるのが嫌なのかしら」

「もしかしたら、嫌いなものを食べさせられると思っているのかもしれないの」

「ひどい。そんなに信用ないのかな、私」

「信用はしていると思うの。信用するかしないかじゃなくって……」


 何と言えば一番適切か、タマ子は腕を組んで必死に考えているようだ。

 いつも、孤月は小春の喜ぶことをしてくれる。だから、たまにはお返しをしたいのだ。そして、折角ならば驚かせたい。


「孤月の喜ぶ動物が捕まっているといいな」

「そうねえ。でも、大きな動物が捕まっていたらどうするの」


 二人で運べるだろうか。いや、そもそも捌けるだろうか。結果を確認する前から、あれこれ想像しては悩む。昨日仕掛けた罠に辿り着いた時には、少々息が上がっていた。

 期待に胸を膨らませ、仕掛けた罠を見る。果たして――獲物はかかっていた。


「でも……これ」

「何かしら……」


 糸に引っかかっていたのは、丸い透明な硝子が二枚。硬い棒状のものでくっつけてある。これはどう見ても動物ではない。妙なものは捕まったが、肉はない。大見得を切った手前、何も肉がないのでは格好が付かない。腕を組んで考えこむ小春の着物の袖を、タ


マ子が引いた。


「ねえ、下……」

「下?」

「何か、居るの」


 促されて覗きこむと、人間の姿があった。倒れたまま、動かない。


「タマ子、ちょっと……どうしよう……!」

「こっちから、下りる道があるのよ」


 タマ子も色を失っていた。大急ぎで下まで下り、恐る恐る確認する。

 倒れていたのは、やはり、間違いなく人間の男だった。着物と、袴。その上にはひらひらとした大きな布を羽織っている。髪は目元を隠すまで伸びていて、襟足もやや長い。


「し――死んでいるの?」

「そんなこと言わないで」


 そういえば和尚が言っていた。近頃、人間が歩いていると。この男がその人間だろうか。


「あの、罠のせい? 私たちが悪いの?」

「そうとも言い切れないのよ」

「どうしよう……」

「小春、どうする?」


 互いに、これからどうすれば良いか分からずに狼狽えるばかりだ。死んでしまったのならば、どこかに埋めて弔ってやらねばなるまい。だが、問題はその後だ。男の家族、知人が山に分け入って来てしまったらどうしよう。男が死んだ原因は小春たちにある、と


揉め事になりかねない。

 その時わずかにではあるが男の指先が動いたように見えた。


「動いた?」

「動いた……ように、見えたの」

「生きてる?」


 男に駆け寄り、脈を見る。手首に触れた指先から、しっかりと伝わってくる。


「タマ子、孤月を呼んできて」

「孤月さまを? どうするの? その……」

「生きているんだから、助けなきゃ。屋敷に運ぶのよ」

「でも、孤月さま、人間がいるって知ったら嫌がるの」

「どうして」

「知らないけれど。……嫌がるの」

「じゃあ私が怪我したって言って!」


 まだ、どうするか――行くか行くまいか、タマ子は悩んでいる。それでも、この山道では、小春よりもタマ子の方が速いのだから、行ってもらわねば困る。


「早く!」

「怒られても知らないのよ!」


 何を言っても聞かぬのだと分かり、踵を返し、駈け出してくれた。

 タマ子が戻るまで、小春にもすべきことがある。男の容態を確認しなければ。


「大丈夫、すぐに助けが来るから」


 声を掛けると、男の口が微かに動いた。意識もある。孤月さえ来てくれれば、助かる。みるみる希望が湧いてくるのが分かった。


「もう一度、言える?」


 聞き漏らさぬよう、唇に耳を近づける。


「み……ず……」


 水、と。掠れた声が確かにそう紡いだ。


「水ね。持ってきてるから」


 腰に下げた竹筒の封を開け、男の口許に運ぶ。ゆっくりと傾けたが、水は口の端から零れてしまう。唇はからからに乾いている。水を飲ませてやりたいが、どうすれば良いのか。こんな時、孤月ならばどうするだろうか。小春が苦しんでいる時、どうしてくれた


だろうか。


「あ……そうだ!」


 思い出したのは、風邪をひいた時のことだ。口移しで薬を飲ませてくれた。あれは、苦い薬が飲めなくて、吐き出さないようにするためだったか。

 見ず知らずの相手にそんなことをすれば、後で知られた時に迷惑がられるかもしれない。しかし、水を欲しがり苦しそうにしている男を見ると、放っておけなかったのだ。

 口に水を含み、男の唇に重ねる。苦しくないよう、ゆっくりと水を移した。男の喉が動く。少しずつではあるが、ちゃんと飲んでいる。


「ん……」

「気が付いた?」


 男がようやく目を開けた。焦点の定まらぬ目ではあったけれど。


「ねえ……さ……?」


 覗きこむ小春を誰と勘違いしたのか、うわ言のように呟く。そして、再び目を閉じた。苦痛に歪むものではなく、落ち着いた表情で。

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