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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第一章
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 立ち話もなんだから、と本堂の前の石段に和尚と並んで腰掛ける。タマ子は端から話に付き合う気がないらしく、ひらひらと舞う蝶を追っていた。


「旦那の好物なぞ、小春の方がよく知っているだろうに」


 一緒に暮らしているのだから、それが普通だ。誰だってそう思う。理想と現実を比べて、小春は拗ねたように膝を抱えた。


「孤月、私の前では何も食べないんです」

「ほう」

「食事は作っても、自分は食べないんです。何を食べるのかって訊いても、霞を食べる、なんて言うし」


 ぽつぽつと、孤月の好物を教えてもらう理由――食事事情を説明する。和尚はうんうんと頷きながら、始終楽しそうに聞いていた。


「私が作れば、味見も兼ねて食べてくれるかもって思ったんです」

「それは面白いことを考えたな」


 褒められ、ぱっと明るい気持ちになったが、その後に続く顛末を思い出し、項垂れた。


「今朝なんて、孤月が勝手に支度をしたんです。だから、ね……寝間着のままで様子を見に行ったら、朝餉の支度の前に着替えろなんて言うし」


 膝の上に顎を乗せて、愚痴っぽく今朝のことを話すと、和尚は膝を打って笑った。


「そりゃあ傑作だ」


 話を聞く分には傑作だろう。聞く分には。しかし当事者はたまらない。


「笑い事じゃありません」

「あー……まあ、そうだなあ」

「孤月をぎゃふんと言わせたいんです。好きなものを用意して」

「好きなもの……? ぎゃふんと言わせるのなら、嫌いなものではないのか」

「それは……その。いつも作ってもらっているのに、嫌がらせはしたくないなって」


 恩を仇で返したくはない。この場合はぎゃふんと言わせるよりも、驚かせると言った方が正しいか。


「だから、孤月の好物を教えてください」


 小春が熱っぽく語りすぎたからか、和尚は、ああ、と唸り、答えづらそうに頭を掻く。


「いやあ……何だったかなあ」

「孤月と昔なじみの和尚さまにしか聞けないんです」

「そうだなあ……」

「このままじゃ、孤月が飢え死にしてしまいます」

「いや、いや。それはないだろう」


 和尚の否定は速かった。悩んだ素振りは欠片もない。


「やっぱり、知っているんですね? お願いします」

「いや……知っているというか、なあ」

「お願いです。和尚さまだけが頼りなんです」


 しつこく訊ねる小春に、とうとう和尚も根負けした。


「そういえば……肉を食べていたな。動物の肉だ」

「肉……ですか」


 小春が記憶している限り、食事に動物の肉が並んだことはなかった。肉の臭いを嫌がると思ったのだろうか。一言、断れば良いのを、黙って一緒に食べないとは孤月らしいと言えば孤月らしい。


「動物は、どうやって捕まえるんですか? 孤月は、どうしていましたか?」

「そこまでは、わしだって知らん」

「そうですか……」

「そもそも、昔のことだぞ。ものすごく昔のことだ。だから今は好みが変わっていると……小春?」


 和尚が横で何か話しているようだったが、小春の耳には届かない。難しい顔をして考え込んでいると、木の実拾いに飽きたタマ子が駆け寄ってくる。


「小春。もう終わった?」


 話し掛けられても、小春の反応はない。


「小春ったら。ねえ!」


 耳元で大きな声を出され、ようやく気付いた。


「え? あ――うん。そうね」


 しかし、返事は上の空だった。孤月が動物の肉を好むようだ、とは分かったが、手に入れるには、どうすれば良いだろう。


「遊ぼう。それとも、帰る?」

「うーん……帰る……かなあ」

「だったら、行くのよ」


 難しい顔のままタマ子に手を引っ張られる。


「ああ、そうだ。近頃人間が歩いているようだからな。タマ坊も小春も気をつけるんだぞ」

「どうしてかしら」


 不安げなタマ子とは対照的に、小春は目を輝かせる。


「どこの人? 男の人? 女の人? 仲良くなれるかしら」


 興味津々に詰め寄ると、和尚は後退る。


「ちらりと見ただけだから、分からんよ。だが、あんまり近寄らん方が良い」

「どうしてですか。仲良くなれるかもしれないんですよ」


 仲良くなり、人間の暮らす村の話を聞けるかもしれない。何しろ、近頃は人間が来たという話を聞かない。これは、またとない好機なのだ。


「なにをし始めるか分からん奴らだ。用心するに越したことはない」

「でも」

「小春、いいから」


 タマ子は小春の反論を遮り、手を取り駆け出す。無理やり引っ張られる形になりながら、小春は後に続いた。




 寺の石段を下りながら、小春はずっと考えていた。いかにして動物の肉を手に入れるかについて、である。捕まえようにも、動物はすばしこい。小春に勝ち目はないと言い切ってしまって良い。あまりに険しい顔をしていたのだろう、気遣ってか怯えてか、タマ


子は一言も話し掛けない。

 しかし一人で考えこんでも名案は浮かばない。そこで、小春よりも山に詳しそうなタマ子に助けを求めることにした。


「ねえ、タマ子。あのね――」


 小春が続けるよりも先に、タマ子が被せてきた。


「山から下りるのは、だめなの。孤月さまに怒られるわ」

「……違うわよ」


 ずっと黙り込んでいたから、山を下りる算段をつけているのだと思ったのか。その証拠に、タマ子は小春の手を離そうとしない。


「動物って、簡単に捕まえられる?」


 構えていなかった方向からの問いらしく、大きな目を瞬かせた後、首を傾げる。


「動物? 種類にもよるの。でも……どうして?」

「孤月に食べさせたいの。ねえ、どうにかならないかな」


 タマ子は腕を組んで考えていたが、はっと何か思いついたようだった。目を輝かせて飛び跳ねる。


「罠! 罠を仕掛けると、きっと捕まるのよ」

「罠……」


 なるほど、と小春も頷く。その手があったか。


「蜘蛛のね、糸を張って。そこに引っかかってくれると私たちでも簡単に捕まえられるの」


 確かに、蜘蛛の糸が絡まって動かない相手ならば、容易に捕まえられそうだ。しかし、それには大きな障害がある。


「でも、蜘蛛の糸なんてないわ」


 名案だが、蜘蛛の糸がなければどうしようもない。すぐに諦めてしまった小春だが、タマ子に鼻で笑われる。


「あるじゃないの」


 ほら、と指さしたのは寺の総門だ。よくよく見れば、太い蜘蛛の糸がびっしりと張り付いている。


「ずっとあのままだか、ら持ち主もきっと忘れているの」

「ああ!」


 ぽんと手を打って、タマ子と顔を見合わせた。お互い、目がきらきらと輝いている。回れ右で寺に取って返す。本堂に駆け込み、和尚を呼んだ。


「和尚さま! 和尚さま!」

「総門の蜘蛛の糸をください!」


 のんびりと出てきた和尚は、ああ、とのんびりと返事をした。


「そういえば、あったなあ。近頃は持ち主も来ん。好きに持って行け」


 了承の返事を聞くやいなや、タマ子は総門へと昇る。器用なものであった。するすると上まで上り、糸を手繰り寄せて腕に巻き付けていく。小春はすることもなく、下からタマ子の様子を見守っていた。


「しかし、蜘蛛の糸なんぞ何に使うんだ」


 様子を見に来た和尚が問う。小春は、にいっと歯を見せて笑った。


「内緒、です」


 門から飛び下りたタマ子は、そのまま勢いに任せて石段を駆け下りる。小春もその後に続いた。


「気をつけるんだぞお」

「はあい」


 和尚の声を背に受けて、二人は飛び跳ねて応じた。




 動物を捕まえたいと言い出したのは小春だが、いざ実行するとなるとタマ子の方が乗り気だった。きょろきょろと辺りの様子を見ながら、どこに罠を仕掛けるかと吟味している。ここはどうか、と小春が提案しても、少し考えて神妙に首を振る。


「こういうものは、慎重に考えないといけないの」

「ふうん」

「あんまり山奥過ぎても引っかからないし。難しい所ね」


 方々を歩きまわり、崖の手前にある二本の大きな木を見付けそこに決めた。


「ここに、糸を仕掛けるの」


 片側の木から、もう片側の木へ。横に糸を這わせる。


「もっと、細かく張らなくて良いの?」


 蜘蛛は、もっと細かく糸を張っている。それに比べると、二人の作ったものは間がすかすかだ。


「いいの。これに引っかかれば遠くへは逃げられないのよ」


 自信満々なタマ子に、それもそうかと納得する。仕掛け終わった罠に、所々葉を貼り付けて、遠目から目立たなくして作業を終えた。


「これなら、大丈夫だわ」


 自信満々に、腰に手を当てて満足している。捕まらなかった時は――その時になって考えるのが一番だろう。今日できることはここまでだ。額に薄っすらと浮いた汗を拭う。


「喉がからからなの」

「明日は、水を持って来ようか」


 疲れたが、仕掛けた罠は良い出来だ。二人、並んで満足気に眺める。そして、顔を見合わせてにたりと笑った。




 一日中外に出ていた上、身体を動かしたから屋敷に着いた時にはもうへとへとだった。


「ただいまあ」


 揃って挨拶をすると、夕餉の支度をしていた孤月が奥から出てきた。


「遅かったな。昼も食べずに何をしていた」


 孤月は何も知らない。今日、二人が何をしてきたのかを。そして、明日二人が何を持って帰ってくるのかを。小春はタマ子と顔を見合わせて笑う。


「どうした。もうすぐ夕餉ができるぞ」

「はあい」


 今日は孤月に食べさせるものはないが、明日は驚かせてやるのだ。孤月が支度してくれた夕餉の間も、タマ子と目をあわせては声を押し殺して笑い合った。

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