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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第五章
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「どうするの、小春さん」

「どうする……って。別に、どうもしないわ」


 静磨の顔も見ず、短く答える。どうするも何も、決めるべきことはないのだ。孤月に出て行けと言われ、長年暮らした山を下りた。孤月のことは心配だ。しかし、人間とあやかし、きっちりと線を引かれてしまったのだ、今更、何ができる訳でもない。


「気にならないんだ、小春さんは。意外と冷たいんだね」


 ひんやりと冷たい声だった。突き放すような、他人ごとのような。


「まあ、行かない方が賢明だよ。村の若い衆が退治に行っているからね。小春さんが行くのは危ない」

「退治……? 何を」


 小春の問いかけに、静磨は笑った。


「分からないのか。――人喰い鬼の、だよ。最近、山で姿を見たという人が居たんだ。また、食われるかもしれない。ただ、今までは屋敷の場所が分からなかったから。だから、僕が教えたんだ」

「どうして」

「邪魔だったんだよ。――……居なくなってくれれば、もしかしたら……」


 もしかしたら、という後に続く筈の言葉は途切れる。不安が一気に溢れ出した。追い打ちをかけるように、やけに低い声が問う。


「気にならないの?」

「気になるわよ……そりゃあ」

「だったら、どうして」

「もう、来るなって言われたもの」

「それは孤月さんが言ったことじゃないか。どうして、自分で決めないの」

「決めているわ。今だって、帰らないって決めたもの」

「自分で決めていないよ。孤月さんのせいにしているじゃないか」


 ぎくりとする。静磨の言う通りだ。孤月に言われて、拒否しても受け入れられなかったからそれに従った。渋々ではあったけれど。

 何より、伝えていないではないか。小春の気持ちを。邪魔されてでも伝えようと思えば、できたのではないか。拒否された、と、それを逃げの口上にして。


「僕や孤月さんが決めることじゃない。小春さん自身が決めることだと、思う」


 できることならば、孤月の所に戻りたい。しかし、小春を連れて来て喜んでくれていた静磨はどうなるのか。落ち込んでいる小春を元気づけてくれた静磨は。


「でも、私が居なくなったら……静磨さんは」


 静磨は溜息をつき、鼻先で笑う。


「困ったな。今度は僕のせいになるのか」

「違うわ」

「どう違うんだ。僕が悲しむから、山に戻らない? それは君の意思じゃない」


 その通りだ。従う相手が孤月から静磨に変わっただけで、小春の意思は含まれていない。唇をぎゅっと噛み、どうするか決められないでいた。


「どうして、僕が君を連れて来たか、分かる?」


 不意に投げられた問いに、聞き返すことしかできなかった。小春からの答えを待たず、先が続く。


「え?」

「姉を殺された恨みだよ。苦しめてやりたかった。だから――僕は、大切なものを奪いたかったんだ」


 何だ、そうだったのか。考えてみれば当たり前の理由に、つい笑ってしまう。


「だったら、役に立てなかったと思う。孤月は、私のことなんてどうでも良かったのよ」

「いつまで、そんなことを言うの?」


 懐から紙を取り出し、小春に差し出す。


「あの鬼が、こんな文を書いたんだから、上出来だよ。仇討ちは済んだ」


 文には、こはるへ、と書かれていた。裏返すと、こげつ、と名がある。平仮名しか読めない小春のために書かれたのだ、漢字は一つも使われていない。

 孤月は、こんな字を書くのか。



 こはると すごした まいにちは いままでで いちばん たのしかった

 こはるの おかげだ ありがとう

 つたえた きもちに うそいつわりはない

 だれより いとしい こはるへ

 こげつ



 この文まで本心からではないと疑える筈もない。小春に読めるよう、気遣いが散りばめてあるのだから。文を持つ手が震える。


「君の死に際に渡してやって欲しいと言われたんだ」


 他人の口を介してではなく、小春自身に読んでもらいたかったから平仮名だけの文にしたのだ。

 どんな思いで書いたのだろう。短い中に、ありったけの気持ちを詰めて。


「山から下りても、君を養うつもりなんて少しもなかったよ」


 手に力が篭り、文に皺が寄る。


「そんな文、捨ててしまっても良かったんだけれどさ。君がそんな顔をするのなら、取っておいて良かった」


 休む間もなく続く静磨の憎まれ口を、黙って聞く。


「どうやって追い出すか、理由を考えていた所だったんだ。手間が省けたよ」


 静磨の声が震えている。今、顔を見てはいけないのだと思った。手許の文をじっと見詰めたまま、問う。


「……だから、なの?」

「何が」

「だから、お寺を壊したのは孤月たちだって嘘をついたの?」

「知っていたのか。――そうだよ。できるだけ、悪い印象を持ってもらいたいじゃないか」


 そろそろと顔を上げる。静磨はそっぽを向いて、表情を隠してしまっていた。真意はその表情から窺い知れない。


「君のことが好きだなんて、嘘だからな。あんな言葉、真に受けるなよ」


 そう言いながら、握りしめた静磨の拳は震えている。誰に言われたからではない。小春自身はどうしたいのか、答えはもう、とうの昔に出ているではないか。山に戻りたい。孤月に会いたいのだ。


「ほら。どこでも好きな所に行けよ」

「少しの間でも、山から下りてみて良かった。楽しかった。静磨さんに会えて良かった」


 この出会いは、決して悪いばかりではなかった。あのまま、山に居ては気付かないことがたくさんあった筈だ。


「ありがとうございました」


 深々と頭を下げ、踵を返す。つっかえ棒を外し、戸を開ける。開いた戸の隙間から、喧騒が流れ込んできた。ここで怯んでしまいそうだったが、そうはいかない。戸を一気に開けてしまおうとしたが、腕を掴んで止められた。振り返ると、それを見計らったかのように、静磨が人差し指を立てて小春の唇に押し付ける。何をするのかと問うこともできない。


「僕が話している内に、さっさと出て行ってくれ」


 静磨だって、今、出て行けば非難の矢面に立たされてしまうのだ。それなのに、身を呈して小春を逃がそうとしてくれる。


「嫌いなのに、どうしてそこまで……」


 なぜ、手を貸してくれるのだろう。小春には見向きもせず、静磨は答える。


「嫌いだからこそ、だ。最後まで厄介事を起こしてもらっては、僕が困る」


 それが本心か、それとも強がりかは分からない。それでも、力になってくれることに変わりはないのだ。


「ありがとう、静磨さん」


 やや人数は減っていたが、それでも敵意をむき出しにした村人たちの姿があった。静磨が出ていくと、待ち構えたように取り囲む。


「先生。一体、どういうことだ」

「小春さんは、化物の仲間だったのかい」

「あの女が、が化物を連れて来たんだろう?」


 皆、口々に小春への負の感情を投げ付ける。日が沈むまでは、小春に優しく接してくれていたのが、嘘のようだ。


「いい加減にしませんか」

「先生が言い出したんだぞ」

「そうだ、そうだ。化物を退治をしなきゃいけないって」

「あんたが、あの女を連れて来たんだ」

「僕だって迷惑をしているんです。姉を殺されたのに、化物の肩を持つ筈がない」


 村人たちが静磨に詰め寄る。戸の影に隠れている小春には、誰も見向きもしなかった。恐怖で足が竦みそうになる。深く息を吸い、気持ちを静める。運を天に任せて駈け出した。背後で、小春に気付いた誰かが声を上げる。捕まえようと、無数の手が伸びる。だが、小春はずっと山で暮らしてきたのだ。タマ子を相手に山を駈けて育った。村人が敵う筈がない。きっと、今までで一番速く走った。

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