四
翌日、久しぶりに廃寺へ行くと、和尚は上機嫌で迎えてくれた。
「おお、よう来たなあ」
「小春ったら、タマ子とちっとも遊んでくれないのよ」
積もりに積もった不満をぶち撒けられる。和尚は、それを笑って聞いていた。
「まあ。こうして来たんだ。遊んで行きなさい」
「はあい」
タマ子は元気よく駆け出す。小春はそれには続かず、見送った。
「小春? タマ子と遊ばんのか」
立ったままの小春を、和尚は不思議そうに見る。出てきたは良いが、遊びたい気分ではなかった。それよりも、話が聞きたい。
「和尚さまは……私が捨てられていた時のこと、知っているんですよね」
「そうだなあ。ここの――ほら、本堂に捨てられていたからなあ」
指差すのは、朽ちた建物だ。
「孤月の旦那が泣き声を聞いて、拾ったんだ。わしだけなら、気付かずに飢え死にさせてしまっただろうな」
和尚は呵々と大笑したが、小春は笑えなかった。その小春の沈黙を、和尚は別の意味に受け取ったらしい。申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、すまん。失言だ」
「いえ。孤月がどうして私を拾ったのか……考えていたんです」
ふむ、と和尚は黙り込んだ。首を傾げ、思い出すのはその時のことか。
「孤月は、私をどう思っているんでしょう」
「さあなあ。覚ならば、分かるんだろうけれどもなあ」
話には聞いたことがある。覚は、目の前に居る人間の考えていることが分かるのだという。それが、同じあやかしに対しても効くのかは、小春も知らない。いや――。
「覚でも、孤月の考えていることは、分からないんじゃないかしら」
簡単に心を読まれるような孤月ではないだろう。ならば、和尚にも――小春にも分からないのも道理か。しかし、それは寂しい。
「まあ、旦那は最初こそ暇潰しだったかもしれないがな。今は小春を大切に思っているよ」
「本当ですか?」
タマ子も同じようなことを言う。だが、信じようとする度に、静磨に言われたことを思い出すのだ。情ではなく、欲を満たすために育てたのだと
「小春は分からんのか?」
「あやかしではありませんから」
だから分かる筈がない、と諦めていた。和尚は、呆れ果てた溜息を付く。
「あやかしや人間なんぞ関係なく、分かるだろう。自分が大切にされているかどうかなど」
「大切にしてはくれます。ですが……」
それには裏があるのではないだろうか。
「旦那は、朝昼夕、しっかり飯の用意をしてくれるのだろう?」
「はい」
「怪我をすりゃあ、手当をしてくれるだろう?」
「血相を変えて飛んできます」
タマ子に頼んで静磨の手当のために呼びに行った時。小春が怪我をしたと言うと、真っ青になって来た。
「だったら、これ以上訊かんでも分かるだろう」
「でも、それは単に、いずれ食べるため……なんでしょう? 孤月は人間を食べるから」
そうでなければ、人喰い鬼が人間を育てるなど考えられないではないか。
和尚は髪のない頭を叩き、ああ、と唸った。
「まあ……なあ。旦那が人間を食べると聞いたのか」
嘘をつくこともないから、黙って頷いた。
「そうか。……中途半端に教えてしまったな。済まなかった」
「良いんです、もう」
「それで。小春を食べると言ったのか」
それに対しても、黙って首を振った。
「そうか。――……まだ、難しいんだろうなあ」
「和尚さま、何か知っているんでしょう?」
明らかに何かを知っているような口ぶりなのだ。言うか言うまいか、悩んでいるような間があった。本人以外から聞くものではないとも思ったが、訊ねすにはいられなかった。
「いや。旦那はもう人間を食えないんだろうなあ」
「どうして」
それでは、食べるものがないではないか。そう思って問うたのだが。
「小春は肉を食わんから分からんか」
「何がですか?」
ぼんやりとしか語らない和尚の話は、輪郭さえも掴み辛い。わざと、そのように話しているのだろう。
「名前を付けると、途端にそれは物ではなく誰かになる。小春にとっての旦那は、鬼ではなく孤月だろう?」
「はい。そうです」
孤月を鬼と意識したことは、あまりない。静磨が来るまでは忘れていた程だ。
「タマ子も、化け猫でなく、タマ子という友だ。違うかな」
「違いません」
そこで、和尚は言葉を切る。花を摘んでいるタマ子を眺めながら、何かを考えているようだった。
「もし、小春がどうしても鬼を食べんといかんようになったとする」
「そんなこと、ありません」
「まあ、まあ。例えの話だ。例えば、そうなったとする。その時に、旦那を食べるか?」
「まさか。孤月は大切だもの。食べません」
満足のいく答だったのだろう、柔和な笑みで頷いた。
「しかし、空腹にはどうしても勝てない。不意のことで、食べてしまった。旦那を。小春はどうする?」
どうするだろうか。きっと自分を責めるだろう。欲に負けてしまった自分を。
「……小春なら、分かるだろう? 旦那がなぜ、何も食べないのか。わしが話せるのは、ここまでだな」
ぼんやりとではあるが、孤月がどんな思いをしたのかが分かる。知らなかったとはいえ、なぜあんなにも執拗に孤月に食事をさせたがったのだろう。必要ないと言われたのに。孤月は何と思っただろうか。
「小春? 大丈夫か」
涙が溢れてくる。手の甲で拭っても、涙は止まらなかった。