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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第三章
14/26

 翌日。朝餉を終えて、屋敷を出た。弁当作りは、最初こそ手伝ったのだが、逆に邪魔になるとすぐに追い出されてしまった。出来次第、孤月が持って行くということで落ち着いた。

 一人で歩けるようになったとはいっても、杖頼りの静磨の足取りはゆっくりとしたものだ。それに、長く歩くのは久しぶりだから、ちょこちょこと休憩を挟みながら歩いた。

 辿り着いた寺の総門を見上げ、静磨は驚いたようだった。


「こんな、山の中に……」

「ある日、村の人が壊しに来たんですって。お堂や門に落書きをしたり。それ以来、寄り付かなくなってしまったから、和尚さまが暮らしているの」

「和尚?」

「そう。――あ、ほら」


 石段を見上げると、和尚が小春たちに気付いて手を降っている。指差し、静磨に紹介しようと向き直ったのだが――怯えていた。


「和尚さま、見た目は恐いかもしれないけれど、優しいのよ」


 思っていた通りの反応に笑いを堪えながら、出来る限り和尚の印象を良くしようと伝える。内面を知れば、きっと怖くはなくなる。聞いているのかいないのか、静磨は総門を見上げ、ぽつりと呟いた。


「……小春さん。人間が寺を壊したって、誰から聞いたの?」

「孤月や、和尚さまから」

「それを、信じている?」

「はい、ぶつ……名前は忘れたけど、お寺を壊すように命令されたんですって」


 寺を壊しに来たことは、村では伝えられていないのだろうか。


「どうして、人間が壊すんだ。信仰は拠り所だよ。わざわざ自分たちで壊すものか」

「そう……なの?」


 その感覚がよく分からなかった。どう答えて良いのか分からず、首を傾げる。孤月や和尚から聞いた話だったから、そういうものかと疑問も持たずに納得していたが――。言われてみると、確かに違和感はある。なぜ、自分たちで作ったものをわざわざ壊したのだろう。


「村の長老に聞いたんだ。このお寺に住んでいる僧侶が、ある日突然殺されたって。以来、化物が棲み着くようになって、村の人たちは寺を奪われた」


 淡々と、血腥い物騒な話が語られる。それは、果たして本当なのだろうか。しかし、信じるとすると住んでいた僧侶を殺したのは――。


「小春さんが何を信じるかは、自由だよ」


 人間に付くか、あやかしに付くかを決めろと言われているように感じたのは、小春の考え過ぎだろうか。




 石段をゆっくりと上り、寺の境内に着くと、和尚は快く静磨を迎えてくれた。


「怪我をして、屋敷で暮らしてもらっている、織原静磨さんです」

「初めまして」

「それはそれは。災難だったな」

「ええ……まあ……」


 災難の原因が、寺の総門から貰った蜘蛛の糸にあるとは言えなかった。


「まあ、何もないがゆっくりして行くと良い。わしは寝足りんから休んでおくぞ」


 和尚はそう簡単に言い残し、奥へと消えた。きれいに和尚の姿が消えて、静磨が問う。


「訊かなくて良かった?」

「何を?」

「どうして、この寺に棲み着いたか」


 聞ける筈がない。もし静磨の言ったことが本当だったとしても、和尚はきっと真実を明かさない。


「信じてるから」

「そう」


 言葉にすると、何と陳腐なものになるのだろう。信じていると言ったのは、半ば自身に言い聞かせるためのものだ。

 久しぶりに寺に来たは良いが、結局は場所が変わっただけでしていることは屋敷と同じだ。本堂の前の石段に腰掛け、空を眺めながらぼんやりとする。孤月とタマ子が居なければ、目的は達成できない。




 日が高い位置に上った頃、孤月の頭が見えた。遅れてタマ子の頭もひょっこり覗く。


「あ。お弁当!」


 空腹を感じていたから、見計らったかのように丁度良く現れた孤月――と言うよりも、その孤月が持って来た弁当に歓声を上げた。無論、自分よりも弁当の登場を喜ばれた孤月は不満そうである。


「小春。おれが、弁当を持って来たのだ。弁当が来た訳ではない」

「あ……ごめんなさい」


 扱いに不貞腐れながらも、孤月は持っていた弁当を置き、片腕に抱えていた緋毛氈を広げた。タマ子と小春で皺を伸ばし、履物を脱いで上がる。

 孤月の作った弁当は、色とりどりで見ているだけで楽しくなる。これは期待できると思ったのだが。

 初めての、静磨も交えての昼餉に、やや緊張気味の空気が流れていた。いや、緊張と言うのだろうか。皆、無言だった。タマ子は黙々とおむすびを頬張るし、静磨は黙って煮物を食べている。孤月に至っては、背を向けて煙管を吹かしているのだ。緋毛氈が針の筵のように感じる。何か喋らなくては。


「こっ、孤月の、お弁当! やっぱり美味しいわ」


 上擦った声で言うと、満足そうに頷いた。この調子で場を和ませようと思ったものの、誰も会話に発展させようとしない。やはり無駄だったか、と項垂れかけたその時。


「本当に」


 静磨が会話に参加してくれたのだ。やはり、皆で食事をする場を設けて良かったと感激したのも束の間。


「ただ、もう少し味が薄い方が好みですね」


 感激を一気に壊してくれる。タマ子は眉間に皺を寄せた。


「文句があるのなら、食べないで欲しいのよ」

「まさか。文句ではなくて意見です」

「どっちも一緒にしか聞こえないの」


 座の空気が凍り付く。やはり、こうなってしまうのか。取り成すことも諦め、黙って弁当を味わうことにした。




 昼を食べ終えたタマ子は、孤月の手を引いて境内に向かう。結局、小春と静磨が残されるのだ。


「化物でも、感情なんてあるのかな」


 楽しそうに走り回るタマ子を眺めながら、静磨が呟いた。


「さっきから。化物なんて言わないでって言ったじゃない」

「……そうだったね」


 失言に、済まなそうに頭を下げた。しかしそれは、単に形だけのことで、気持ちは篭っていないのが分かる。静磨がこれでは、関係の改善は前途多難に思われる。まあ、急ぐことではない。ゆっくり、努力して行けば良いのだ。


「感情はちゃんとあるわ。だって、ほら。楽しそうでしょ?」


 孤月が楽しそうにタマ子と遊んでいる。


「父と娘みたいだね、孤月さんとタマ子さん」

「そう?」

「人間は、家族で暮らすものだよ。父と、母と。子供たち。そう言えば、孤月さんにも――そういう存在はあるのかな」

「そういう……って」

「奥方のような存在」

「居ないわ」


 苛立ちを覚え、すぐさま否定する。孤月に、妻のような存在があるかどうかなど、小春に訊ねずとも分かるのではないだろうか。共に暮らしているのだから。


「そうなの?」


 そうなのか。静磨の問いがずっしりと伸し掛かる。居ない筈だ。孤月は、何よりも小春のことを考えてくれていたから。

 そこまで考えて、みるみる顔が赤くなるのが分かった。なぜ、そんな当たり前のような顔をしているのか。孤月に大切にされることが当然のように思って。


「小春さんは」

「私?」

「孤月さんのことが、好き?」


 好きか、嫌いか。そんなことは考えてみたこともなかった。孤月はずっと傍に居るものなのだから。傍に居ることに不快はない。むしろ、居ない方が不安になる。それはやはり、好きなのだろう。


「好き、よ」

「そうだよね。孤月さんは、大切な父親代わりだからね」


 父親なのか。端から見れば、小春は娘にしか見えないのか。ひどくがっかりした。そして、思っている以上にがっかりしている自分に驚いた。娘でなければ、どう見られたいのだろう。


「小春さんが、どこかに嫁いだら、奥方を娶るのかな」


 孤月の、奥方。小春が居なければ、そういう存在があったのだろうか。例えば、例の姫のような。考えていると、もやもやと嫌な気持ちになってくる。


「今日の外出は、小春さんの提案なんでしょう?」

「……分かった?」

「当たり前だよ。分かりやすいなあ」

「静磨さんと、皆が少しでも仲良くなれば良いと思って。……台無しにされたけど」


 ついつい恨み節が混じる。静磨は悪びれもせず、笑っていた。


「あれは文句じゃなくて、意見だから」

「その意見のせいで、お弁当を味わうどころじゃなかったんだから」

「ごめん、ごめん。……こうして、外で食べるのも、たまには良いね」

「でしょう?」


 少なくとも、気分転換にはなったのだから、良しとしよう。


「そもそも、どうして孤月さんは料理ができるんだろう」

「孤月は、長生きだもの」

「だけど、作っても自分では食べないんだろう?」

「そう。でも、作るのは楽しいんですって」


 小春も同じことを訊いた。やはり、皆同じことを考えるのだと思うと嬉しくなる。


「妙だとは思わない?」

「妙……なのかしら」

「自分では食べないのに、作るなんて。おかしいよ」


 そういうものなのか。考えたこともなかった。食べないのに作ってもらうのは済まないと思ったことはあったけれど。


「姉さんの作ってくれた料理の味に似ていたな」


 ぽつりと、どうにか聞き取れる程度の声だった。


「お姉さんが居るの?」


 そういえば、静磨から家族の話を聞いたことはない。初めての話に興味がわき、尋ねたのだがそれ以上語ろうとはしなかった。ただ、一言。


「居たよ」

「それ――……どういう……」


 居る、と、居た、とは、ほんの少し違うだけだが、言葉が持つ意味はがらりと変わる。だが、姉の話はそれ以上語られることはなかった。


「小春さん。真剣に考えて欲しいんだ」

「何を?」

「山を下りることを」

「そうね。孤月に言って、何日間か遊びに行ってみたいわ」


 静磨に案内してもらうと言えば、機嫌が悪くなってしまうかもしれないが。怪我が治るまでに、信頼関係を築こう。


「そうじゃないよ。……そうじゃなくて。山から下りて暮らそう」

「前にも言ったでしょう? 私は……」

「僕の家に住めば良い。僕が、君の居場所を作るから」

「どうして」


 そんなに気にかけてくれるのだろうか。単なる親切心からだろうか。


「僕は、小春さんが好きだよ」

「ありがとう」


 半ば無理矢理、屋敷に留めて、孤月たちからの風当たりも強く、下手をすれば纏めて嫌われても仕方がないのに、静磨は好意を向けてくれる。それはとても、ありがたいことだ。


「そうじゃなくて。――……僕は、孤月さんとは違う。父親役としてでなく、男として君が好きだよ」


 静磨の指先が、頬に触れる。少し高い位置にある顔を見上げると、黒い瞳に自分の顔が映っているのが分かる。孤月の瞳とは全く違う色だ。

 ぐいと強い力で身体を引き寄せられる。抵抗などする間もなく、静磨の腕に抱き締められていた。


「し……静磨さん?」


 慌てる小春を黙らせるように、静磨は更に強く腕に力を込める。振り払えなくなる。腕の中で、どうすれば良いのか分からず身体を硬直させる。誰にも気付かれないよう、静磨が早く離してくれるよう、無心に祈った。抱き締められていたのは、そう長くはなかった筈だが、小春には永遠に続くかのように思えた。ようやく解放されると、まだ顔の熱は取れないままで、静磨とは顔を合わせられなかった。


「好きだよ、小春さん」


 抱き締められる前にも聞いた同じ言葉が、今は違って聞こえる。


「でも……」

「君の気持ちは訊かない。今は――色良い返事が貰えないのは分かっているから」


 その言葉の裏に隠れる真意が分からない。本当に、好きなのだろうか。問う前に、静磨は立ち上がる。ぎこちなく杖を操り、と歩き出した。


「せっかく小春さんが考えてくれたんだから、遊んでこようかな」


 その背を追うと、孤月と視線がかち合う。後ろめたくて、慌てて目を逸らした。怒られるようなことはしていない。孤月に、どうこう言われる年齢でもない筈だ。それなのに、孤月には見られたくなかった。小春も、静磨を好いていると想われては困る。二人きりの時に説明しておこうと思ったのだが――終ぞ、その機会は訪れなかった。

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