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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第三章
13/26

 適度な距離というものは、円満な共同生活を送るために思いの外大切だ。そのことを、小春は身を持って学んだ。

 孤月が、静磨の世話をすると言い始めたのは、約束通り杖を用意した日のことだった。予想以上に仕事は早く、作ると言った翌日の昼前には立派な杖が静磨に渡された。


「ありがとうございます」


 受け取った静磨は、さっそく使い心地を試していた。それを見守りながら、孤月が徐に言ったのだ。


「昨晩から考えたが、おれが世話をしてやろうと思う」

「孤月が?」

「……孤月さんが?」


 協力してくれる気になったのかと喜ぶ小春と、やや迷惑そうな静磨とで、声の調子は対照的だった。


「おれの方が体力もある。適任だろう?」


 自信たっぷりに言うが、果たして世話をされる静磨はどうかと、ちらりと伺う。案の定、その表情は冴えない。昨日の、あのいざこざだ。杖を作ったからといって、全てを水に流せるものではない。

 しかしだからこそ、孤月も関係を改善しようと身の回りの世話をすると言ったのではないだろうか。あちらを立てればこちらが立たず、どうやってこの場を収めるべきか悩ましい。どうにか理由を付けて、孤月に世話を諦めさせなければいけない。


「でも、孤月。今でも忙しいのに静磨さんのお世話までするんじゃ、大変でしょ?」


 ここで納得してくれればと思ったが、一筋縄ではいかないのが孤月だ。


「お前たちの世話に、あと一人加わるくらい、何てことはない」

「……ああ……」


 忙しいのに、と気遣う風を取ってみたが、孤月は万事手際が良い。もう一人増えた所で何でもないだろう。


「安心しろ。悪いようにはせん。良いな、静磨」


 同意を得るというよりも、半ば脅しだ。ちらりと静磨が小春を見る。目で助けを求めているのは充分に伝わってきた。ここは腕の見せ所だ。承知したと伝えるために頷く。


「でも、孤月。私のせいで怪我をさせたんだし。やっぱり私がするわ」

「こいつの世話ができるようになるよりも、料理ができるようになってくれた方がありがたいな」


 つまり。世話を刷る暇があるのなら、料理の勉強をしろ、と。


「そうですね……」


 これではもう、手も足も出ない。


「異論はないな?」


 小春とて、助けたい思いはあるのだが、今回は難しい。いや、無理だと断言してしまっても良い。顔を伏せ、わずかに首を振った。


「……孤月さん、よろしくお願いします」


 観念し、渋々受け入れた。大事が起きなければ良いが、とそればかりを祈った。




 蓋を開けてみると、初日も二日目も大きな問題は起きなかった。何か起きるのではないかと、小春も、事情を聞いたタマ子も戦々恐々としていたから、逆に肩透かしを食らった。

 実の所、それは嵐の前の静けさだったのだが。大丈夫だと安心をした三日目に、事件は起こった。

 対屋から、大きな声が聞こえた。内容こそ聞こえないが、言い合いをしているようなのだ。こっそりと覗いてみると、孤月と静磨が睨み合っていた。今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気に、慌てて二人の間に割って入る。


「やめ! やめなさい!」


 腕を広げて静止した。


「何を言い合いしてたかは知らないけど。喧嘩は駄目!」


 仲裁に入りはしたが、年長の二人に対して何ができるのだろう。どうすれば一番かと懸命に考えていると、孤月が先に土俵から降りた。


「馬鹿馬鹿しい。付き合っておれん」


 心底呆れた様子で対屋を出て行く。


「孤月!」


 呼び止めても、振り向きもしなかった。溜息をつき、静磨に向き直る。見たところ、殴られたようなことはないようだ。


「どうしたの」

「それが――……」


 経緯を話しだすのかと思いきや、中途半端に黙りこむ。

「静磨さん?」

「いや、何でもないよ」

 笑って首を振る。

「でも、何か言い合いをしていたんじゃない?」

「まあ……意見の食い違いだよ」

 それきりで、詳しくは教えてくれなかった。


 その一件が切欠となり、良くなったかに思えた関係は元に戻り、小春も静磨の身の回りの世話をすることになった。元々、屋敷に置くと言い出したのは小春だから、不満がある筈もない。

 世話とは言っても、膳を運んだり、身体を拭く湯を用意する程度だ。洗濯など、静磨と顔を合わさずに済むことは孤月が受け持った。杖を与えられても、一人での遠出は危ない。静磨を一人きりにしておけぬから、自然と一緒に過ごす時間が増えた。


 廂に出て、のんびりと空を眺めながら過ごすのが日課となった。静磨は約束通り、様々な話をしてくれる。昔話、伝説、歴史。次から次に、出てくる話は尽きない。孤月やタマ子も一緒に聞けば面白いと思うのだが、いくら誘ってみても首を横に振るばかりだった。

 寝殿の階に、孤月とタマ子の姿が見えた。タマ子はすぐに小春の視線に気付いたようだったが、隣にある静磨の姿に気付き、大袈裟にそっぽを向いた。孤月は立ち上がると、寝殿の中へ姿を消す。静磨が気付いていなければ良いが、と思ったが。


「これは、かなり嫌われてしまったんだな」


 しっかり気付いていた。おろおろしながら、必死に取り繕う。


「……そんなこと、ないと……思う、よ」

「慰めてくれて、ありがとう」

「いえ、そうじゃ……」


 いや、あれだけそっぽを向かれたのだから、いくら何でも好かれているとは思えない。大丈夫だと言われたところで、その場凌ぎの慰めにしかならない。どうにかして、静磨との距離を縮めさせたい。仲良く、とまではいかなくとも、今のように険悪な空気はなくしてしまいたいのだ。腕組みをし、必死に頭を働かせる。


「――さん?」


 何が悪いのだろう。今の状況で、悪いところはどこだろうか。

 まず、お互いが分かり合っていない。孤月たちにも静磨にも、良い所はたくさんある。それがわかれば、格段に関係は良くなると睨んでいる。だが――どこを、どうやって見てもらえば良いだろう。


「小春さん?」

「えっ、あ、はい!」


 何度も呼ばれていたのか、大きな声の返事に静磨は笑う。


「考えごと?」

「ええ……まあ……」


 適当に濁して誤魔化す。ありがたいことに、それ以上の詮索はされなかった。


「孤月さんは凄いね」

「どうして?」

「僕のことを嫌っているのに、しっかり怪我を診てくれる。こうして杖まで作ってくれた」


 そう言って、脇に置いていた杖を手にとって見せた。


「そういう所はしっかりしてるの」


 小春にとっては当たり前のことでも、静磨には意外に見えるのか。なるほど、そういう所を知ってもらえれば良いのではないか。孤月の、細やかな気遣いがある所を知れば、もっと印象が良くなる筈だ。必ずそうなるという確約はないが、全く駄目だとも言い切れない。そのためには――。


「静磨さん、杖を使うのには慣れた?」

「そうだね。慣れてきたよ。一人で歩けるようにもなったし」


 ならば外に出ても大丈夫だろう。屋敷の中では、自然と自分の居場所が決まってしまい、他人の場所には踏み込まない。まずは居場所の敷居をなくすことからだ。


「静磨さん。明日、出かけよう」


 急な提案に目を丸くされる。


「出かけるって…どこに」


 反応はあまり芳しいものではない。


「お寺、です。山の中にあるの。どうですか? 楽しいですよ」

「ま――まあ、良いよ。だけど」


 押し切る形で承諾させる。後に何か続きそうだったが、小春はもう聞いていなかった。妙な条件を出されても困る。善は急げとばかりに、すっくと立ち上がり、寝殿へと急ぐ。この勢いで、もう一方にも承諾を取り付けるのだ。途中、思い出したように足を止めて振り返った。


「静磨さん、約束ですからね!」


 明日になって、なかったことにされないよう、念を押す。


「分かってるよ、大丈夫」


 あまりしつこくしすぎてしまっただろうか、静磨は笑って頷いた。

 静磨の了承は取り付けた。次は孤月だ。寝殿に姿を消したが、どこに行ってしまったのだろう。孤月の名を呼びながら歩きまわったが、どこにも居ない。足を止めて、大きな声で呼ぼうと息を吸い込む。口を開け、声を発する直前、水の音が聞こえた。どうやら、外から聞こえるようだ。何の音かと台処から外に続く戸を潜る。孤月は、汲み置いた瓶の水を使い、衣類を洗っていた。


「洗濯?」

「ああ。天気が良いからな」


 すぐ隣にしゃがみ、何の前置きもせずに用件を告げた。


「孤月。明日、お弁当作って。三人分。孤月も食べるなら、四人分」

「おれは食わん。三人と言うと、小春とタマ子と、あいつか。弁当なんぞ持って、どこに行くんだ」

「お寺よ。あ、和尚さまも食べるかしら」


 目的地を聞くなり、孤月は鼻先で笑った。


「昼間は食わん。しかし、寺に行くくらいで面倒なことをさせるな。昼になれば、帰ってくれば良いだろう」

「そうだけど……」


 その通りではある。しかし、寺に行って皆で孤月の作った弁当を食べることに意義があるのだ。一緒に食事をすれば、関係は良くなるだろうと睨んでいる。どうやって納得させようか、思案していると孤月は全てを見透かしたように笑う。


「また良からぬことを考えているのだろう」

「そんなのじゃないわ」


 企んでいる計画はあるが、決して良からぬことではない。


「どうせお前のことだ。あいつとの関係をどうにかしようだの、あいつのおれたちへの見方を変えさせようだの、そういうところだろう」


 全て分かっているではないか。ならば話は早い。


「私も手伝うから」

「当然だ」

「いいの?」


 もう少しごねられると思っていたから、意外だったが。


「作ると言うまで引かないのは誰だ」

「……私、です」


 仕方なさそうにしながらも、どうにか承諾してもらえた。


「まあ、手伝いはあまり期待してはいないがな」

「どうして?」

「自分の腰巻も洗わない奴に、弁当が作れるか」


 水を絞り、広げた白い布は――小春の腰巻だった。


「ばか! どうして勝手に洗うのよ!」


 ぱん、と小気味良い音が響く。孤月の頬に、季節外れの紅葉が色付いた。

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