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月に嘯く  作者: 甘露寺ちどり
第二章
12/26

 寝殿の昼の御座では、孤月が鳥らしき生き物の足から漆塗りの箱を受け取っていた。紐を解くと、中から分厚い紙の束――どうやら文らしい――を取り出す。さっそく読み始めたが、それはやけに長い文で、読んでも読んでも、終わりがないように見える。孤月の横にはこんもりと紙の山が築かれているというのに、手許にある紙はまだたっぷりと厚みを持っているのだ。


 対屋で見た、険しかった表情が嘘のように、穏やかだ。一歩が踏み出せず、柱の陰から中を覗いていると、気付いた孤月が声を掛けた。


「小春。どうした?」


 それで、中に入る切欠ができた。孤月とは直接のいざこざがあった訳ではないから、何事もなかった風で話し掛ける。ただ、タマ子とは正面から向き合う勇気がなかった。


「誰からの文?」

「姫御前からだ」

「姫……?」


 初めて聞く知り合い――しかも、女の――存在に、ちくりと胸が痛む。その理由が分からず胸を押さえていると、タマ子が孤月に駆け寄った。


「姫路の長壁姫さまですか?」

「ああ。息災のようだ。使いに、これを食わせてやって欲しいと書いてある」


 箱のなかに入っていた巾着袋を、タマ子の手に乗せる。中身が何であるか、知っているのだろう。心得たと巾着の口を解き、中身を取り出した。何かの粒がタマ子の小さな手のひらの上に転がる。


「長旅、お疲れ様」


 労いながら、粒を摘んで天井に伸ばす。小春もその先を見ると、梁には、先程の大きな鳥らしきものがぶら下がっていた。


「こ、孤月、あの鳥は大丈夫なの?」


 しかし怯えているのは小春だけだ。孤月は何事かと天井を見上げ、すぐに手許の文に目を落とす。


「姫御前の使いの蝙蝠だ。案ずるな」

「噛み付いたり……」

「しない」

「でも……すごく大きいし」

「大丈夫だ。それよりも、タマ子。姫御前が妹御と遊びに来たいと言っている」


 そんなこと。小春が初めて見る蝙蝠という生き物に怯えるのは、孤月にとってそんなことでしかないのだ。


亀姫(かめひめ)さまと? 楽しみ!」


 また、知らぬ名だ。タマ子は諸手を上げて喜んでいるが、小春の気持ちは沈むばかりだ。やはり、孤月もタマ子もあやかしだ。そして、小春だけは人間である。分かり合えると思っていたのが間違いだったのだ――きっと。

 黙って輪を抜けても、誰も気付かない。とぼとぼと東の対屋へ戻った。茵に潜り込み、頭まで布団を被る。耳を塞ぎ、音を切り離した。




 どの位、そうしていただろうか。いつの間にか眠っていたらしい。外を見ると、日が傾き、空は橙に染まっていた。身体は空腹を訴えている。朝、食べたきりなのだ。しかし、寝殿に行こうとは思えなかった。まだ顔を合わせたくはない。

 孤月の声がする。


「小春。腹は空いていないのか」

「……空いてない」

「朝、食べたきりだろう」

「食べたくないの」


 その言葉に反論するように、ぐうと腹が鳴る。みるみる頬が赤くなる。孤月の忍び笑いも聞こえた。足音が近付いてくる。孤月の声が、すぐ傍で聞こえる。


「どうした。おれの姫君は機嫌が悪いのか」


 なぜ、こんな時だけ見え透いた世辞を言うのだろう。姫と持ち上げれば小春が喜ぶと思っている。


「……他に居るじゃない」

「は?」

「他に居るのに。私を姫なんて呼ばないで」


 ありったけ、溜め込んだ毒を吐き出したのだが、孤月は怒らなかった。それどころか笑い声すら聞こえる。布団を少し捲って覗くと、孤月と目が合った。急いで隠そうとするが、引き剥がされてしまう。仕方なく、上体を起こした。


「どこに、小春の他におれの姫君がいる」

「……今日の、文の」


 間違いなく、姫御前と呼んでいたではないか。少し考えた後でようやく、ああ、と言って手を打った。


長壁姫(おさかべひめ)か」


 黙って頷く。意識せずとも、口がへの字に曲がる。


「姫御前は城に棲んでいるから、そう呼んでいるだけだ」


 小春がもやもやとしていたことも、孤月は何でもないことのように片付けてしまう。まだ口を曲げて不機嫌な小春に、孤月は何に気付いたか、手を打った。


「何だ、姫御前と仲良くなりたいのか。文を書いてみろ。喜ぶ」

「……私が字を書けないって知ってるのに、そんなことを言うの?」


 孤月だって意地悪で言っているのではない。分かってはいるが、どうしても捻くれた言い方になってしまう。小春が長壁姫と仲良くなれば、文が届いても仲間外れにされなくなる。が、その光景を思い浮かべても、気分は晴れなかった。むしろ、今よりも更に苛々してしまいそうな気がする。


「ならば、教えよう。そうすれば――」

「違うの」


 強い口調で孤月の言葉を遮った。確かに字を覚えれば何かと便利だろう。しかし、今の苛々の原因は違う。小春が言いたいことは、もっと別にあるのだ。


「……私のことはどうでも良いんでしょう?」

「誰がそんなことを言った」

「さっき、孤月が。私が話し掛けたら、そんなことなんて言うじゃない」


 孤月にはさっぱり伝わらないらしく、ぽかんとしている。それがまた、小春を苛立たせた。


「鳥が。大丈夫って、危ないんじゃないって訊いたのに」

「ああ――」


 ようやく気付き、何が可笑しいのか、笑った。


「なによぉ……」

「お前、あれは何度も大丈夫だと言っただろう。尋ねすぎだ」


 単に小春がしつこかったというだけか。孤月の手が伸びる。髪を一房、手に取った。


「安心しろ。おれの大切な姫君は小春だけだ」


 何の臆面もなく言うのだ。小春の方が照れ臭くて真っ赤になってしまう。


「あの男のせいで、小春と険悪になるのは嫌だからな」


 そう言って、孤月が振り返る。そこには、柱の陰から様子を覗くタマ子が居た。じっと覗きながら、しかし近付こうとはしない。


「タマ子が、小春に謝りたいそうだ。来い、タマ子」


 手招きされ、ようやく駆け寄ってきた。その目には涙をためている。


「……ごめんなさい、小春」


 孤月にこってり絞られたのだろう、唇を尖らせて不貞腐れている。


「あの男とおれが言い合いをしたのに、なぜお前たちが喧嘩をする」


 呆れたと言いたげだったが、どこか喜んでいるようにも見える。


「私も、ごめんなさい」


 小春も、タマ子につられて涙ぐむ。


「後は、あの男だな。小春が顔を見せないから案じていた」




 静磨の様子を覗きに行く。渡殿の途中で、何度引き返そうと思ったことか。静磨とは喧嘩をした訳でもないのに、顔を合わせるのが恥ずかしい。きっと、子供のようにふて寝していたからだ。


「小春さん」


 そろそろと対屋を覗くと、小春たちに気付いた静磨は、ぱっと表情を和らげた。そしてすぐに、済まなそうに俯く。


「すみません……僕のせいですね」

「いえ――」


 そんなことはないのだと言うより先に、背後から低い声がする。


「お前のせいじゃない。調子に乗るなよ、若造が」


 静磨の顔が引き攣るのが分かる。


「ただ、まあ――お前の怪我は小春にも原因があることだから、しばらく療養しろ。杖も作ってやるから、暇な時は無理のない程度で散歩でもしておけ」


 静磨のことであるのに、我がことのように嬉しかった。


「一人じゃ危ないから、私が一緒に」

「ただし」


 全てを言い終わる前に、孤月が釘を刺す。


「小春には一切触れるな」

「そんな……転んだ時はどうするの」

「おれを呼べ」

「無茶言わないで」

「遠出しなければ良いだろう」

「もう、知らない」


 何を言っても無駄なようだ。だが、留まることを認めてくれただけ、かなりの進歩だ。


「小春に指一本でも触れてみろ。叩き出してやるからな」


 静磨は怯えるとばかり思っていたが、意外にも吹き出していた。


「そうですね。僕も男ですから。いざ尋常に勝負――といきましょうか」

「勝てるものか。目出度い男だ」


 人間を相手に、何を言い出すのか。


「ちょっと、孤月」

「売られた喧嘩を買わぬ方が礼を失するだろう?」


 孤月も静磨も、やけにやる気満々だった。ここはもう、したいようにさせておくのが一番かも知れない。小春は、諦めの溜息をついた。

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