参
翌日は、すっきりと目が覚めた。久しぶりに聴く笛の音が心地良かったのだろう。寝付けなかったのが嘘のようだ。タマ子も隣で眠そうな目を擦りながら起きた。寝間着を着替え台処に行くと、孤月がいつものように料理に勤しんでいた。まだ不機嫌だろうか。兢兢としながら挨拶をした。
「おはよう、孤月」
「ああ、おはよう」
「朝餉……支度してくれてありがとう」
しかも、膳はしっかり三人分。静磨の分まで支度してある。
「あのね。……静磨さん、村に戻っても看病してくれる人が居ないんだって。だから、無理して帰らなくて良いって言ったの。ここに居る間、村の話を聞かせてくれるって」
ちらと反応を見たが、孤月は背を向けたままで何も返事をしない。構わず先を続けた。
「もしかしたら、孤月は私が山を下りたがっていると思っているかもしれないけど。……その、確かに一度くらいは下りてみたいけど。でも、暮らしたいとか、ここから出て行きたいなんて思っていないから。孤月が迷惑じゃなければ、ずっとここに居たいの」
「そうか」
背を向けたまま、簡単な一言だけが返ってくる。
「孤月」
「まだあるのか」
「うん。――いつも、ありがとう」
漠然としすぎていたのか、振り返った孤月の表情は困惑していた。
「昨日、夕餉の支度をしたの」
「ああ……放り出してしまったからな」
「……でも。孤月のようにはできなかった」
「年季が違うんだ。簡単に追いつかれてはおれの立つ瀬がない」
作りたいという気持ちはあったが、孤月には到底及ばないのだ。いつも孤月は手際良く作るから、そこまで大変だとは思っていなかった。
「運んでこい」
「うん」
湯気を棚引かせながら、西の対屋へ渡った。まだ休んでいる所に邪魔をしても良いものかと、こっそりと覗いてみたが静磨はもう起きていた。
「おはようございます、小春さん」
「おはようございます。朝餉ですよ」
膳を茵の傍に置く。昨晩とは打って変わっての立派な朝餉に、静磨は感心した声を上げた。
「料理、お上手なんですね」
「はい」
孤月の料理を褒められ、得意満面で頷く。
「凄いな。得意料理は何ですか?」
「煮物が美味しいです。山で採れるものを使って」
「そうか。食べてみたいな、小春さんの作った煮物」
「……え?」
「いや、煮物。得意なんでしょう?」
「えー……ああ……その」
まずい。この朝餉は小春が作ったものだと思われている。そして小春は料理上手で煮物が得意だと。昨晩の言い方を踏まえれば、それも仕方がない。
誤解をこのまま放っておくのはまずい。静磨にも、孤月にも。孤月が朝餉を作ってくれている間、小春は眠っていたのだ。
「いえ……あの、すみません……。孤月が作りました」
「え……?」
静磨は呆けたままで、理解してくれたのか否か分からない。改めて同じ内容を伝える。
「朝餉を作ったのも、煮物が得意なのも孤月なんです」
「孤月……というと、あの」
「手当をした男の人です。孤月は私よりもはるかに料理が上手なんですよ」
その表情には明らかに警戒の色があった。中々、箸に手を付けようとしない。
「嫌いなものがありましたか?」
なぜ手を付けないのか、遠回しに尋ねる。
「小春さんは、召し上がったんですか?」
「いえ、まだ……」
言いかけて、今の状況が静磨にとって食べ辛いものだと気付く。当然だ。小春とて、誰かにじっと見られながら食べろと言われても、箸は進まない。
「あ。いえ、まだなので、私も、頂いてきますね」
静磨に礼をし、対屋を出た。
孤月かタマ子が運んでくれたのだろう。昼の御座に、小春の分の膳が用意されていた。
「いただきます」
一日ぶりの孤月の作ってくれた食事に、タマ子は大喜びだった。
「やっぱり孤月さまの作る料理は美味しいの」
「そうか」
大絶賛を受けて、孤月は嬉しそうだ。
「孤月の作る料理が一番美味しい」
独り言よりも、少し大きい程度の声だったが、孤月には届いただろうか。確認するのは少し恥ずかしく、膳だけを見詰める。
「食べてもらいたい相手に美味しいと言ってもらえるのが、一番だな」
兢兢として顔を上げると、孤月がじっと見詰めていた。視線がぶつかると、双眸を細めて微笑む。その表情がひどく優しくて、こうして自分に向けられていることが恥ずかしくなる。真っ赤になって顔を伏せ、ただ黙々と食事をした。