第九話 名簿
俺は一人、ナツメさんに連れられてカウンターの奥にあるマスター専用の執務室へと来ていた。来客用と思しきソファに腰かけるように勧められたので、今はそこに腰掛けている。
ナツメさんは先ほどまでとは打って変わって、神妙な面持ちで俺の前に座っていた。そのわきには硬い表情のカグラさんも控えている。二人とも酒場にいたときとは比べ物にならないほど重い雰囲気だ。これが彼女たちのマスター、サブマスターとしての顔なのだろう。
「最初に聞いておきたいんやけど、初代は今どうしてるんや?」
「半年前に旅立ったっきり、俺にも行方はわかりません」
「そうか、やっぱり……」
自然と暗くなった俺の口調に、ナツメさんやカグラさんも暗い顔をした。何となく場の雰囲気が鬱々とした重苦しいものとなってしまう。俺は何も言えず、ナツメさんたちの顔を見ているだけだった。
しばらくすると、ナツメさんは気を取り直すように背筋を伸ばし、話を切り出した。
「とりあえず、初代マスターについて私の話を聞いてくれへんやろか。説明はそのあとにするから」
「は、はい」
俺が猫背になっていた姿勢を正すと、ナツメさんはこほんと咳払いをした。そして用意されていた茶を一服口に含むと、ゆっくりと話し始める。
ナツメさんの話によると、母さんは八十年前にこのギルドを設立した初代マスターにして、稀代の大魔導師だったそうだ。特一級先天型魔導書「雷天の書」と契約した彼女は轟天の魔女と呼ばれ、大陸中を股にかけて大活躍していたらしい。
そんな母さんのもとに七十年前のある日、大陸西部に凶悪な怪物が現れたとの一報が飛び込んだ。怪物を目にしたものはことごとく死亡したため、竜なのかはたまた魔王なのかすらわからない恐るべき存在だった。母さんはその怪物を倒すべく、たった一人で戦いを挑んだらしい。
戦いの結果がどうなったのかはわからない。というのも、二人が戦っている最中に聖府が極大破壊魔法を撃ち込んだのだ。ザジタリウスと呼ばれる戦略級魔法を受けた母さんと怪物は戦場となっていた町ごと跡形もなく吹き飛び、そのまま姿を消した――。
「それから七十年、エリーファ・ステンシアの生存を示す証拠は一切見つからなかった。せやからみんな、ザジタリウスに巻き込まれて死んだってことを疑うことすらなかったんや。だけどこの紹介状は……」
ナツメさんは紹介状の端に押されている血判の部分を指で示した。彼女は懐からややさびの浮いた古い指輪を取り出すと、そこに押し当てる。すると、指輪にあしらわれた紅玉が淡い輝きを帯びた。
それを見たカグラさんは眼を丸くした。彼女は唖然とした表情でナツメさんの方を見る。
「これは……魔力共鳴……!」
「そうや。この指輪に込められた初代の魔力と血判の血に含まれた魔力が反応しとる。間違いなく、これは初代が押した血判や。つまり、これは本物」
「しかし、初代は死んだと……」
「それは私らの思い込みだったってことや。初代はちゃんと生きてて、後継ぎまで残しとる。私だって信じられん気分やけどな」
ナツメさんはそういうと、改めて俺の方を見た。俺はその鋭い視線に、思わず唾を飲み込む。
「とまあ、いまのカグラを見ていてもらえばわかると思うんやけど、このギルドの者にとって初代は特別なんや」
とんでもない人だとは思ってたけど、まさかこれほどの人だったとは……。
こりゃ、下手に母さんの名前を出すとやばいな。知らないうちに目立ち過ぎて面倒事に巻き込まれるとか嫌過ぎる。この世界は明らかにヤバい雰囲気漂ってるし。
「……母さんの名前はあまり出さない方がいいですね」
「こちらとしても、ただのソル・ステンシアとして扱うことにしておく。ただ、完全に秘密にすることは無理やから、クエストを担当してるフィリスや一部の幹部には知らせておくけどな」
「ありがとうございます」
いろいろと気が利くなあ……。俺の実力についていろいろと期待されているのかもしれない。こちらとしてもそれなりに仕事はするつもりだから、問題はないのだけど。
「さてと、次はギルドの登録についてなんやけどそれについては大丈夫やな。普通に登録してもらおうと思う。ただ、うちのギルドにはちょっと変わった制度があってな。それについてどうするかや」
「変わった制度?」
「新人の冒険者は暫くの間、熟練の冒険者とPTを組むって制度や。冒険者としての技術をベテランから学ばせるっていうのが目的やな。ただ、君の場合は誰と組ませるのかが問題になってくる。生半可なものに任せられへんからなあ……」
「あー、なるほど……」
ナツメさんの言いたいことが何となくわかった俺は、大きくうなずいた。するとここで、カグラさんが自分の存在をアピールするようにナツメさんに近づく。
「でしたら四代目、私がソルを預かりましょう!」
「そらアカン、カグラには名指しの依頼が大量に来とるやないか。まずはそれを処理してもらわないと困るで」
「しかしですね……」
カグラさんはかなり渋い顔をした。ナツメさんはそれを制すると、執務机の方へと向かい、そこから一冊の名簿のようなものを取り出した。彼女はそれを俺の方に投げてよこす。その様子を見ていたカグラさんは、ため息をつきながらも納得したような顔をした。
「このギルドのエース級の冒険者はその名簿に全員載せてある。せやから、その本を見ながら明日までに誰がいいか決めてほしいんや」
「わかりました。ああ、ですけど……」
「なんや?」
「俺、さっきギルドに一緒に来てた女の子とPTを組むつもりだったんです。なので、できれば二人まとめて面倒を見てくれる人がいいんですが……」
「ああ、そのことだったら大丈夫や。新入りがまとめてくることなんてしょっちゅうやからな。こちらとしてもそのつもりやったで」
ナツメさんはグッと親指を上げた。俺は彼女に頭を下げると、執務室を出ていく。
どんな人がいいかな、できれば美人だったりすると――俺の頭の中は、すでにそんなことでいっぱいになりつつあった。