第三話 契約と世界
俺にくっついてきた謎の本は、呪いの本なんかじゃなかった。
特一級先天型魔導書「暴食の書」というのが、この本の正式名称らしい。呪いを解いてくれと言って本を見せたところ、母さんが真っ青になりながら教えてくれた。
魔導書には実は二種類の物が存在する。一つは元々ただの本だったものが長年の間に魔力と意識を備え、魔導書へと進化した物。日本で言うところの九十九神に近いような存在で、後天型と呼ばれている。そしてもう一つが、最初から魔導書として生み出された物。こちらは先天型と呼ばれ、後天型に比べてはるかに強大な力を有していることが多い。
暴食の書は古代文明末期に造られた物で、先天型の中でも最も強力な魔導書のひとつなのだとか。伝承によるとありとあらゆる魔法を吸収し、無効化してしまうらしい。
こんなパンフレットみたいな厚さの本が……マジか。俺は犬みたいに足にすり寄っている本を持ち上げると、母さんの眼をじーっと睨む。
「なんだ? 私の鑑定結果が信じられんのか?」
「母さんを信じないわけじゃないけど……」
「雷天弾!」
「のわッ!」
母さんの指先から電光が迸り、俺の方へと殺到した。火花を散らして迫る稲妻の迫力たるや、凄まじい。とっさに腕をクロスさせて顔をガードしたが、俺は思わず目を閉じてしまった。
しかし、いくら待っても衝撃が来ない。ゆっくりと眼を開くと、俺の体の前に暴食の書が浮いていた。心なしかさっき見たときよりも厚さが増している気がする。
「これが暴食の書の力だ。わかったか?」
「……わ、わかった。けど、もし本が守ってくれなかったらどうするつもりだったんだよ!?」
「何、当たったところで大したことにはならなかったさ。そんなやわな鍛え方はしてない」
その通りといえばその通りだ。今の俺なら、さっきの攻撃をまともに食らっても軽い火傷ぐらいで済んだだろう。その程度であれば母さんの治療魔法ですぐ治せる。だからといって、息子に電撃を放つ母親なんているか?
俺が呆れてポカンとしていると、暴食の書がほめてほめてとばかりに俺の頬にすり寄ってくる。本当に可愛いやつだ。呪いの本だなんて思って、さっきはごめんな。俺は暴食の書をぎゅーっと抱きしめてやった。すると嬉しいのか、ますます俺にくっついてくる。
「ずいぶんと懐かれているな。本来はこんなところに落ちてること自体が異常なんだが……。まあいい、さっさと契約してしまえ。こんなチャンスめったにないぞ」
「契約?」
「ああ、お前にはまだ教えてなかったか。契約というのはな、魔導師と魔導書の間につながりを作ることだ。これをやっておくと、魔導書に記された魔法を自在に使えるようになる。暴食の書の場合はおそらく、魔法を吸収したり書が蓄えた魔力を使えるようになったりするだろうな」
母さんは胸元からナイフを取り出すと、俺の方に投げてよこした。柄の部分に紅い宝石で装飾の施された、かなり豪華なナイフだ。刃も青みがかっていて、切れ味はよさそうである。
「そのナイフで親指を少し切って、表紙裏に血判を押せば契約完了だ。やってみろ」
言われた通り血判を押すと、題名しか書かれていなかった本の表面に六亡星を模したような複雑な魔法陣が浮かび上がった。同時に俺の左手が、お湯でも掛けられたかのようにじんわり熱くなってくる。見ると、黒い痣のようなものが手に刻みつけられていた。これが契約の証しなんだろうか。
「できたようだな。これでお前も、半人前だが魔導師だ」
母さんはそういうと俺の肩をポンポンと叩いた。
それからというもの、俺は魔法の訓練だけではなくこの世界に関する勉強もすることになった。母さんが言うには「魔導師たるもの賢者であれ」ということだそうだ。俺としてもいずれはこの塔や森を出て、外の世界に行くつもりなので異存はない。
◇ ◇ ◇
察してはいたけれど、改めて説明されるとこの世界はとてもとてもファンタジーな世界だった。地球とはいろいろ違い過ぎて、俺の世界史の知識とかはあまりあてにならないレベルだ。
俺たちが暮らす大陸はアトラティカ大陸といい、世界で唯一の大陸だそうだ。人間だけではなくエルフやドワーフといった様々な種族が暮らしている大陸である。その中でも人間が一番幅を利かせていて、たくさんの国家とそれを統合する聖府という強大な組織を持っている。
聖府というのは地球の国連を強化したようなもので、いわゆる世界政府のような存在だ。陸・海・空と強力な軍隊を保有し、各国政府の上に君臨している。この世界で軍といえば聖府軍のことを示すのだそうで、各国は騎士団程度の軍事力しか保有していないらしい。
どうしてここまで強力な聖府が出来上がったのかというと、彼らが古代文明の継承者として本物の神に認められているかららしい。
かつてアトラティカ大陸には高度な魔法文明が栄えていた。しかし千年前の大戦により滅びて歴史から消え去ってしまった。その戦争の直後に神が降臨し、アインヘリアルという空中都市から今も地上を見守っているらしい。聖府の最高指導者である教授会の面々は、その神から地上を任されているのだという。……母さんはそんなもの眉唾だと言っていたけれど。
こうして神の力を背景にして巨大化した聖府だが、大きくなりすぎたゆえに小回りが利かない。世界規模の組織である彼らは小規模な魔物の討伐など、細々したことをいちいち面倒を見ていられないのだ。
しかし、人々はそのようなことをしてもらわないと困るわけで。それをやるために各地にギルドなるものが存在する。
ギルドというのはいわゆる冒険者と呼ばれる人々の集団で、魔物の討伐から傭兵まで金さえ払えば大抵のことをやってくれる。中には暗殺など、裏の仕事までこなすギルドまであるらしい。しかしそれぞれのギルドには得意としている分野があり、ギルドの方針というものが存在する。
例えば配達系ギルドや発掘系ギルドといったものが存在する。前者は配達系の依頼に特化したギルドであり、後者は古代遺跡などを探索してその発掘品を売りさばいたりすることで成り立っているギルドである。大きなギルドはどんな依頼でも請け負ってくれるが、小さなギルドだとこのように特定の系統に特化したところが多い。
このようにたくさん存在するギルドだが、登録するための条件は非常に緩いところが多い。名前と住所さえ書ければ大丈夫なところがほとんどなのだそうだ。ただし冒険者の世界は実力主義で、ギルドに登録しても依頼をこなさなければ食っていけない。
「塔を出たら冒険者になるといい」というのは母さんの言葉。確かに身分も何もない俺が生活していくには、冒険者はうってつけだろう。せっかくのファンタジー世界なのだし、世界を見て回ったりするのもいい。
「まずは文字を覚えないとな……」
俺はそう呟きながら、ぐしゃぐしゃになっているノートを見た。この世界の文字は地球で言うところのアラビア文字か何かに似た形で、日本人だった俺にはとても書きにくい上に読みにくい。英語などよりもはるかに難しいものだ。
こうして俺は毎日苦戦しながら、一年がかりで文字を習得したのだった――。