第十話 竜殺しのアルニア
「そんな、私になど配慮して下さらなくてもよかったのに……ありがとうございます!」
石楽亭へ帰る道中。俺がマスター執務室であったことを話すと、サレナはぺこりと頭を下げた。最後に話した「サレナと一緒のPTがいいって頼んだ」の部分が、彼女の心の琴線に触れたらしい。
俺としては、ただ単にこれからしばらく一緒にやっていくのであればチームも一緒の方が都合がいいと考えたからだ。まあ、短い付き合いだが知り合いが一緒にいた方が心強いというのも少しはある。かれこれ三日ほど一緒に過ごしたが、俺はサレナがそれなりに信用できる人物だと思いつつあった。
話しながら歩いていると、すぐに石楽亭の看板が見えてきた。建てつけの悪い扉を軋ませながら開くと、マスターが驚いたようにのけぞる。
「おう、無事に帰ってきたか!」
「はい、なんとか」
「どうだったよ、魔女の箒は? 噂どおり凄かったか?」
そういうとマスターはカウンターから身を乗り出し、俺たちの顔を覗き込んできた。マスターだけではない。酒場にいた人のほぼ全員が、こちらの様子をちらちらと見ている。……みんなよっぽど気になってるんだな、あのギルドのこと。俺は聞き耳を立てる人々に呆れながらも、ギルドで起きたことをかいつまんで話した。
俺が話を終えると、みんなほっとしたようながっかりしたような、何とも微妙な表情を浮かべた。マスターなど途中からフンフンと適当にうなずいていた。
「へえ、そうかい。じゃあ、噂の魔王とかには逢わなかったのか?」
「そんなのいなかったよ。荒っぽいけどみんな普通の人だ」
「ほう……やっぱ噂は噂ってことか。おっと、すっかり時間とらせちまったな」
外を見ると、すでに日が暮れかかっていた。西から差し込む茜色の光が眼にまぶしい。俺たちは少し早いが夕食を済ませると、それから部屋に戻った。
部屋に戻るとすぐに俺は渡されていた名簿を取り出した。名簿にはたくさんの冒険者の名前と顔写真、さらにはこれまでの実績などが事細かに記されている。さらにそれに加えて、ナツメさんが書いたと思しき注意書きまであった。おそらく、こういう時に備えてあらかじめギルドが作成しておいた資料なのだろう。
パラパラと名簿をめくるが、俺には正直、誰がいいのかよくわからなかった。甲乙つけかねるという状態である。そこで、俺はサレナの方に資料を差し出す。
「サレナは誰がいいと思う?」
「そうですねえ……」
サレナはパラパラ漫画でも読むように、かなりの勢いでページを繰った。どことなくインテリっぽい雰囲気のある女の子だとは思っていたが、相当な速読家らしい。
そうして名簿の中身に眼を通していたサレナは、あるページで手を止めた。彼女は開いたままの名簿を俺に差し出してくる。そこにはいかつい岩のような顔をした男の写真が、大きく貼られていた。髭が印象的な、健康的でダンディなおじさんである。
「このザルギア・フォードさんなんてどうでしょうか? タイラントコングの討伐実績がありますよ!」
「う、うーん……」
なんというか、暑苦しい。とにかくむさい。どうせ選べるのであれば、もっとこう……。しかし、それをサレナにどういったものか。直接的に「女の人がいい」なんて言うのはさすがに恥ずかしいし。
俺がうんうんと唸っていると、サレナは何かを察してくれたのか再びページを繰り始めた。すると、いちばん最後のあたりでピクッと眉を上げる。彼女は眼をこするともう一度そのページを確認した。
「す、凄いですよこの人! この歳でドラゴンを十頭以上も倒してます!」
そういって差し出されたページには、一人の少女が写っていた。燃え立つような赤毛に、意志の強さを感じさせる蒼い瞳。全体として勝気な印象を与える闊達な美少女である。年齢の欄を見ると、歳は十九のようだ。
実績欄には確かに「ドラゴン種を十七頭討伐」と書かれていた。ドラゴンにあったことがないのでその強さがどれほどのものかはよくわからないのだが、相当すごいのではないだろうか。事実、ナツメさんが書いた備考欄にも「実力はギルド屈指の竜殺し」と書かれている。
実力の方も見た目の方も申し分ないし、とりあえずはこの人で決定だな。
「アルニア・フランハルトさんか。よし、この人に決定!」
「はいッ!」
こうして目下最大の課題を終えた俺たちは、軽く湯を浴びるとそのまま床に就くことにした。しかし、ここで俺たちはベッドが一つしかないことに気付いた。そういえば、マスターにベッドを一つ追加してもらうことを忘れていたのだ。
「どうしましょう、私が床で寝ましょうか?」
「いや、一緒に寝ればいいさ」
「わ、わかりました! ソル様がお望みならば……」
「……大丈夫、何もしないよ」
ほんのり顔を赤らめたサレナにこう言ったまでは良かったものの。女の子と一緒のベッドで寝るということの辛さを俺は舐めていた。鼻をなでる髪の匂いとか、時折腕に触れる柔らかい感触とか……いろいろと半端じゃない。おかげさまで興奮してしまった俺は、日付が変わるころまで寝ることができなかった――。
◇ ◇ ◇
翌朝、俺は少し寝不足だったが朝食を食べると早々にギルドへと足を運んだ。そして拠点の扉を開くと、昨日とは比べ物にならないほどたくさんの冒険者たちが居る。ざっと二十人ほどだろうか。彼らはこれから仕事に出かけるのか、しっかりと身支度をしたものがほとんどだった。
「お、ソルとサレナやないか。おはよーさん」
冒険者たちでごった返すカウンターの中から、ナツメさんが声をかけてきた。彼女は並んでいる冒険者たちをどかせるとこちらへ近づいてくる。そして、手近なところにあった椅子に腰かけると俺たちにも座るように促した。俺とサレナは素直にそれに従う。
「ずいぶん混んでますね」
「ま、朝はクエストを受ける奴が多いからなあ。夕方から受けて夜に仕事するなんて変わりもんもおるけど。それより、誰がいいかは決まったん?」
「はい、このアルニア・フランハルトさんがいいです」
「アルニアか……結構いいとこやな。ちょっと待っとき、アルニアならもうじきギルドに帰ってくるはずだから」
ナツメさんは忙しそうにしているフィリスさんの脇でコーヒーを注ぐと、俺たちの分も持ってきてくれた。勧められるままにそれを口に含むと、深い苦みとその中に潜むほのかな甘みが口の中を走り抜ける。缶コーヒーなどよりもずっと上等な味わいだった。かなりいい豆を使っている。
「旨いなあ……」
「お、これの旨さがわかるんやな? 見た目によらず大人やのう」
「私にはちょっと苦いです……」
「ふふ、サレナちゃんはまだまだお子様ってことや」
渋い顔をしたサレナを見て、ハハッと笑うナツメさん。それからしばらく、俺たちはコーヒー片手に語らっていた。するとここで、遠くから地響きのようなものがしてきた。だんだんと近づいてくるそれは規則的にズシン、ズシンと地面を揺らす。さながら、怪獣の足音のようだった。怪獣映画で姿の見えない怪獣が近づいてくるシーンがよくあるが、ちょうどあんな感じなのだ。
「この足音は……アルニアが帰ってくるみたいやな――」




