第一話 転生
「帰ってこない、か」
やや青みがかった塔の窓から、夕陽に燃える大森林を眺めて一人つぶやく。
母さんが西へと旅立ってからきっかり半年になるが、彼女は今日になっても帰ってこなかった。
俺は窓際に置かれている黒い文箱を手にすると「半年後まで開封厳禁!」と書かれた封を破り、蓋を開く。箱の中には薄っぺらな紙が二枚ばかりしまってあった。一枚は「ギルド魔女の箒様へ」と宛名の書かれた紹介状。そしてもう一枚は――
「ははは、母さんらしいや……」
羊皮紙にはやたら達筆な字で「私は死んだものと思え」とだけ書かれていた。思わず裏を見てみたが、白紙で全く何も書かれていない。見つめられただけで男なら背筋がゾクリとするほど色っぽいくせに、豪快で短気で大雑把で……そんな母さんにふさわしい最後の手紙だった。
「出かけるか」
手紙を入れなおすと、俺は再び文箱を閉じた。ぼたりぼたり。文箱の表面に堪え切れない涙がボロボロと零れ落ちた。
◇ ◇ ◇
飛行機は世界で一番安全な乗り物だと言われている。実際に統計上では自動車などよりもはるかに事故は少なく、とても安全で快適な乗り物だ。しかしどんなに安全だと言っても人が造るものである以上、絶対はない。運が悪ければ事故にあって死んでしまう。俺もまた、そんな運が悪い人間の一人だった。
社会人になって初めてもらえた長期休暇。ブラック寸前だが給料だけはきっちり払ってくれていた会社のおかげで金がたまっていた俺は、思い切って海外に出かけることにした。そうしてワクワクしながら乗り込んだ飛行機は順調に日本を飛び立ったものの、太平洋の真ん中あたりで猛烈な乱気流に巻き込まれ、エンジンが火を噴いた。そこから一気に機体が急降下して太平洋の荒波の中へザブン。意識がブラックアウトして先のことは覚えてない。
こうして死んだはずの俺だったが、気が付いたら赤ん坊になっていた。ネット小説で言うところの転生をしちゃったのである。仏教では悟りを開くことによって輪廻転生から脱するというから、悟りなどとは程遠い煩悩まみれの俺が転生するのも当然と言えば当然かもしれない。が、もちろん生まれ変わりなんて現象は非常識の塊には違いなく、俺は混乱した。それこそ焦りのあまり純正な赤ん坊みたいにビービー泣いたりもしたものである。
しかし、赤ん坊になった俺の適応力は高い。
いつの間にか転生したという現実を受け入れることができていた。泣こうがわめこうが以前の生活に戻るなんて不可能で、むしろ新しい人生をもらえてよかったとポジティブに生きることにしたのである。人はこれをあきらめとも言う。
そんな俺がここ数カ月で知ったことがある。それはどうにも俺は捨て子だったらしいということと、この世界が地球じゃないらしいってことだ。
俺は今、酷く古めかしい家に妙齢の女の人と二人で暮らしている。最初はこの女の人が俺の母親なんだろうなと自然に思っていた。しかし、どうやらそうではないらしい。俺が腹を空かせて泣くとミルクをくれるが、いつも母乳ではなく粉ミルクのようなものだ。加えて、俺を見るときいつも悲しそうな顔をしている。妹が捨て犬を拾って育てたことがあったが、その時と同じような顔だ。実の母親が息子にする顔ではおそらくない。
でも、彼女はとても優しかった。俺が夜泣きをすれば子守歌を歌ってくれるし、おもらしをすればオムツを取り替えてくれる。家族としてしっかり受け入れてくれているんだなと思う。
そんな女の人は生活するのに不思議な術を使っていた。例えば俺のオムツを取り替えるとき、バスケットボールほどの水の球を浮かべてその中に汚れたオムツを放り込むのである。すると水の中でオムツがグルグルと回転し、たちまちのうちに真っ白になっていく。他にも杖を振って散らかっているものを逆再生するように元の場所へ戻したり、高い場所にあるものを取るために空を飛んだり……。
きっと、彼女は魔法使いなんだろう。不思議な術の数々はどう考えても魔法としか思えなかった。加えて長く伸びた銀髪を揺らし、黒いローブを身に纏う彼女の姿はいかにも魔女といった雰囲気がある。
魔女なんてものが居る以上、俺が転生したこの世界は地球ではない異世界、それもファンタジーな世界に違いない。そう思った俺はこれからどうしようかと思案を巡らせる。けれど、赤ん坊にできることなど限られているわけで。
こうして赤ん坊のくせに脳を使い過ぎた俺に襲いかかってきた睡魔。ひとまずその心地よさに俺は身を任せた――。