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 「え……?」


 「私は、あなたが苦しんでいたことを、ちゃんと分かっています。苦渋の決断で、あの子に会うのをやめたのも。あなたはあの子以上に心を痛めていました」


 「でも死んでしまったやつには及ばない」


 「いいえ。それは単にあの子の体が弱かっただけです。苦しみから言ったら、あなたの方が断然多いのです。ずっとあの子を天使でいさせてくれたこともそうです」


 「それは俺がそう望んだから……」


 「普通の悪魔ならそう思いません。常に誰かを陥れることしか考えていませんから。でもあなたにはそういう気質はないようですね」


 「それはない。俺も悪魔だから」


 「いいえ。だからセシルはあなたのことを好いたのでしょう。本当に、あなたたちが天使と悪魔でなければ……」


 大天使は哀れむような顔をした。


 同情など反吐が出る。俺は顔を背け、苛立ちを吐き出した。


 「今さらそんなことを言っても何もならねえだろ!! セシルはいなくなったし、俺は掟破りで牢獄行きだ。今さら天使だ、悪魔だ言ったって……」


 「いいえ!!」


 穏やかな大天使が大きな声を出した。再び大天使の方を向けば、口を一文字に結び、目をゆらゆらと揺らしていた。


 「大丈夫です、何とかしますから」


 「何が何とかするんだよっ」


 「それは言えません。ですが、何とかします。…キース、」


 「何だよっ」


 「それにあなたには、ずっと前に借りを作ってしまっているのです。それをお返ししなければならないのです」


 「借り……?」


 「はい。セシルが人間界で死にかけたときに、あなたは私を呼んできてくれました。そして一命を取り留めた………その時の借りを返さなければならないのです」


 「……」


 確かにそんなことはあった。あったけれども、それが何になるというのだ。


 もうどんなことをしたって悲しみの底へ進むことは決まっている。


 「だから、今は駄目でも、もう少し経ったらあなたたちは会えます。だからその時まで辛抱していてください」


 大天使は必死に説得しているが、果たしてその言葉は信用できるものなのか。いや、できない。


 セシルはもういない。世界中を探したってセシルは1人、いなくなったらそれまでだ。


 いくら神でも、セシルを再生させることはできない。もしその魂が他の何かに生まれ変わっても、必然的に前世の記憶やデータは削除される。もし仮にそいつと会ったとしても、まったく別の個体として生まれてきているのだから、セシルに会ったことにはならない。


 気休めなんて言うなよ。余計に苦しくなるだけじゃないか。


 「……っ」


 俺は屋根を蹴って飛び出した。下方で大天使が俺の名を呼んでいたが、構わず逃げ出した。


 後ろを振り返れば、海の向こう側が茜色に染め上げられている。俺はそれを少し眺めて、再び山際へと飛行を始めた。




 ふらふらと彷徨い飛んでいた時、背後で俺の名を呼ぶ低い声がした。明らかに、先ほどの大天使のものではない。


 振り返れば、全身黒ずくめの悪魔2匹が頑丈なロープを手に携えていた。


 「キース、お前を掟を破った罪で逮捕する」


 俺は抵抗することもなく、簡単に彼らに捕らえられた。そして、うちしがれた身を地中奥深くの牢獄に葬られた。


 俺は一生そこを出ることはなかった。


 セシルの残像にもがき苦しみ、魔力がなくなって衰退していった。幾度にもわたる罰を受け、俺はとうとう意識が途切れ途切れになって、体がバラバラに引き裂かれていくのをぼんやり感じながら、永久の眠りについた。


 孤独と、悲しみと、苦しみと、後悔の中で。


 セシルの死後から100年が経っていた。




※※※




 「――……あー…夢かぁ……」


 まだ明るくなっていない時間に俺は目が覚めた。気づけば体は汗だくで、喉が渇く。ベッドを這い出てキッチンに向かい、冷たい水を飲んだ。足元には飼っている黒猫が擦り寄ってきた。


 「ニャー」


 「何だよ」


 「ニャー」


 「ん?」


 黒猫は、俺の顔と空になった餌皿を交互に見ている。


 「何、お前餌くれって言ってんのか」


 「ニャー」


 「でもやらないぞ」


 「ニャァーー!」


 「怒ったってやらねえよ。お前ぽてぽてしてるから」


 「クゥーン……」


 黒猫は悲しそうな表情で俺を見つめてくる。その青い瞳を見ていると、嫌でもあいつと重なってしまう。


 死んでしまったあいつに。


 「……しょうがねーな! 今日だけは許してやるよ」


 俺がしゃがみ込むと、黒猫は嬉々とした鳴き声を上げて駆け寄ってきた。餌をたんまりあげると、首を突っ込んでガツガツ食べ始めた。


 正直で可愛い。でもあいつには、この猫のようにずる賢くはない。自分の要求をつき通すようなしつこさもない。この猫、いつも俺に何か言ってきてうるさいんだ。


 コップに再度水を注ぎ入れ、一気に飲み干した。コップを流し台に置いて、リビングのソファーに腰掛けた。


 俺は今、日本の都内にある大学に通っている。1人暮らしで、猫が飼えるほど不自由ない生活を送っている。


 俺はおそらく……悪魔としての使命を終えた後、その魂が人間界に生み落とされたのだろう。そうして今この体の中にある。


 しかしなぜなのか……「悪魔キース」だった前世の記憶も、性格も何もかも、新しい人間として生まれてきても消えていない。だから、悪魔であったことが昨日のように思い出せる。性格だって何も変わってはいない。人間になっても「悪魔キース」の続きをしているみたいだ。


 そうか、あの大天使が言っていたことはこういうことだったのか。


 魂が次の世代として生まれ落ちる際は、普通は記憶やデータを消去し、マッサラな状態にする。そうしないと、俺のように物心がついたときに酷く困惑するからだ。今はもう自分がキースだと受け入れられているが、事情が分からない人間はそうはいかないだろう。神はどうやったのかは分からないが、俺の記憶やデータをキープして、その魂をそのままこの体に植えつけたのだ。それであいつを探せるようにと。


 だがしかし――俺が人間に生まれ変わったとしても、あいつはどうなのだろうか。もしあいつも俺と同じように生まれてきていたとしても、この世界は広い。なかなか出会えない。


 何が恩返しというのだろう。何も結果を得られずに死ぬかもしれないのに。それなら、「別の人間」として生まれてきたほうがよっぽどマシだった。次世でまた苦しい思いなんてしたくはなかった。


 餌を食べ終わって満足したのか、黒猫はソファーの上に飛び乗り、のそのそと俺の膝の上に乗ってきた。そして丸くなったと思ったら、数秒後には寝息を立てていた。

 

 「……ずうずうしいヤツ」


 猫の気持ちよさそうに寝ている顔を見ると、何だかムカついてくる。いじってヒゲを引っ張っても全然気にせずに熟睡している。何をやっても起きないので、諦めた。


 ったく。


 猫を膝に抱いていると、じんわり温かくて、また眠気が襲ってきた。明るくなるまで俺はソファーで寝直した。




※※※




 「ニャーニャーッ」


 「何だようるせーなッ」


 「ニャー」


 黒猫は玄関を見ては必死に訴えている。


 「ニャーッ」


 俺の足に擦り寄っては飛び上がる。俺は無視を決め込む。


 「ニャー…ガブッ」


 「いてっ」


 生意気に、黒猫は俺の太ももに飛びついて噛み付いてきた。


 「あーもうしつけーなっ。外行きたいんだろ?」


 「ニャー」


 「でもお前まだ避妊手術してないから、むやみに外に出したくないんだよなー」


 「クゥーン……」


 「変な虫につかれたら後々大変だもんな」


 「キューン……」


 黒猫は俯いて悲しそうな声を上げる。演技だと分かっていても、胸が痛くなる。


 「……そんなに行きたいか?」


 「ニャー……」


 俺は多分、この猫には頭が上がらない。


 「そうか。仕方ない。玄関で待ってろ」


 「ニャー!」


 一体こいつは人間の言葉をどれくらい理解しているのかは知らないが、声音を変えてまるで会話しているみたいだ。でも俺がいったんキッチンに向かうと、黒猫は執念深く俺の足の周りにくっついて離れない。洗い物をして洗濯物を干し終わるまで、「行くまで離れないわよ!」と言っているかのようにストーカーしてくる。


 「よーし、散歩行くぞ」


 俺がリード(散歩用のヒモ)を持って玄関に向かうと、猫は飛び上がって騒ぎ出した。よほど嬉しいのか、玄関でごろんごろんして、黒い毛皮に砂をまぶしている。


 「汚ねー。つか早くこれ付けないと行けないぞ」


 「ニャー」


 「この発情期のメス猫め」


 色気ムンムンを全身で表現している真っ最中の黒猫をヒョイと抱え上げ、首輪にリードを取り付けた。そしてそのまま家を出て、近くの公園まで歩いて行った。



 日がよく当たるベンチにそいつをつなぎ、俺は座って本を読んでいた。たまに猫のことを見ていれば、かえるやバッタを追いかけたり、とにかく1人でよく遊んでいる。相変わらずノーテンキなヤツだ。


 猫の散歩をしているのは珍しいらしく、通りすがる人は皆、一言声を掛けてくる。俺は面倒なので適当に返事をする。無愛想だなと思うのか、すぐに離れていくが、次々と違う人がやってきて話しかけてくるのだから、追っ払ってもキリがない。


 「おい、お前少し歩かないか」


 「ゴロニャーン」


 俺がヒモを解けば、黒猫は俺の少し前を歩く。途中で自分の気になるものがあれば、リードや俺の存在を忘れて、それをどんどん追いかけて行ってしまうのだから、全然前に進まない。


 「おいホラ、行くぞ」


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