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 新月を10回数える頃、例によって遊びに出ていたユリウスが慌てて巣に戻ってきた。


 「キース!! キース!!」


 「何だよっ」


 「大変だっ! 以前お前が会っていた天使が……」


 「セシルか!?」


 「おそらく……ブロンドに青い目をしてるやつだった……」


 ユリウスはよほど全速力で飛んできたのだろう、窓にくず折れ、肩で息をついた。


 何か胸騒ぎがする。俺はへばっているユリウスに詰め寄り、胸倉を掴んで引き寄せた。


 「セシルに何かあったのか!?」


 「よく分からない…けど…あいつ、病気だ」


 「はぁ!?」


 俺は全身が一瞬で凍った気がした。勢いよく流れていた血流は、突然何かでせき止められた。しかしすぐに元に戻り、頭は思考を、口は言葉を吐く。


 「病気!? 何故っ……」


 「知らないぜ、オレは…オレが言うより行った方が速いぜ…」


 「ああ」


 俺はユリウスの脇を通り、紺碧の空に飛び出した。何故という言葉を反芻しながら全速力でいつもの赤い屋根のところに向かった。気持ちは急いて、ものすごく速いスピードで飛んでいるはずなのに、進み方がやけに遅い気がする。いつもならすぐに赤い屋根が見えるのに、今はまだ見えない。


 やっと赤い屋根と海が見えた。屋根の上に確かに白くて弱々しい光がともっている。俺は馬鹿みたいに大声で叫び続けた。


 「セシル!? セシル!!」


 屋根の上に降り立つと、うつぶせに倒れこんでいるセシルが、顔だけを上げた。


 「キー……ス……」


 俺が傍に行くと、セシルは無理して体を起こそうとしていた。しかし前よりも細くなった今の体では、簡単に壊れてしまいそうだ。


 「いいよ、起き上がらなくていい」


 「キース…」


 「無理するな」


 「……ごめん」


 「いいよ。それより、どうしたんだよ……急に…」


 セシルはまた横になりながら苦笑した。


 「………僕って、こんなに弱いんだね……君に会えなくなったくらいで……」


 俺は心臓を冷たい手で掴まれた気がした。


 セシルの翼はぼろぼろになり、肌は青白く、どう見ても健康ではない。


 それが全部俺のせいなのか……? 俺が、会いに行かなかったから……。


 俺の考えていることを読んだのか、セシルは俺を見て微笑んだ。


 「ううん、キースのせいじゃない。だってキースはただ気まぐれでここに来ていただけだし………ケホッケホッ」


 セシルは体を折り曲げて咳き込んだ。頬はやつれて生気はない。


 このまま消滅する気でいるのだろうか…?


 「ただ、僕が、期待して、いたのが、悪かったんだッ…ケホッ」


 「セシル!!」


 セシルは胸をおさえて発作をじっと堪えていた。その痛々しい姿は見ていられなくて、涙が出た。


 「セシル、違う!! 俺は……」


 「だって僕はただの通りすがりの天使だ。君にとって何も……」


 「もう喋るな!!」


 心なしかセシルの影が薄くなってきている。これ以上無理をさせたら、本当に消滅してしまう。


 そうはさせない。


 しかし、俺は指一本触れられない。腕にも抱けず、背中をさすることだってできない。もし触れれば、セシルの聖気を吸い込んで、余計に消滅を早めるだけなのだ。


 もどかしい。


 「泣いて……るの?」


 セシルは虚ろな瞳で俺を見上げていた。そして、ふっと笑った。


 「……泣かないでよ。せっかくの美形が、台無しだよ……?」


 「うるせっ…いいんだよ!」


 「僕はやだな。キースの笑った顔、大好きだし。……ほら、笑って?」


 「わ……らえるかよ!!」


 セシルは急激な眠気に襲われているかのように、とろんとした表情になっている。声も少しずつゆっくり小さくなってきている。


 「僕…ずっと君の傍にいたかったな……」


 「しゃべるなよ……っ」


 「ごめんね、キース……僕の…最期に付き合ってくれて………嬉し……いよ」


 「…セシル…っ」


 「ありがとう……僕は…君に会えて……幸せだっ……た……」


 セシルの体が透け始めていた。瞼も閉じかけている。


 死にそうになっているというのに、相変わらずセシルは幸せそうに笑っている。


 「キース……」


 声も蚊のように細くなって……聞こえるか聞こえないかの境だ。


 「キース……大切な…人と……お…幸せに……ね………」


 セシルの体はガクリとなった。もう動く気配はない。


 「セシル……?」


 まさか……。


 「セシル……セシル!!」


 俺は信じられなくて、セシルの肩を揺さぶった。


 その時、初めてセシルに触れた。最初に触れたのが死んだときだなんて……切な過ぎる。


 セシルが死んだ。


 セシルが死んだ。


 セシルが死んだ。


 もう、いない――……。


 「セシル!! 目を覚ませよ!! 俺が好きなのは……――っ」


 セシルの体温は下がり、どんどん体は透けていく。それはそうだ、俺が肩に手を置いているから……。


 でも離せなかった。消えてしまうと分かっていながら、初めて触れたセシルの温もりを感じていたくて、離せなかった。


 「―…俺の大切な人は、お前だよ……っ!!」


 涙がとどめなく溢れてくる。それを袖で乱暴に拭い、セシルの頬を両手で包んだ。


 「初めて会ってときから……ずっとずっとお前が好きだったんだっ………だから、目を覚ませよ!」


 セシルの生気のない顔は、蝋人形のようだった。冷たく、固く、白く……。


 「セシル……」


 俺はセシルの残り香を追い求めるように、セシルの唇にキスをした。もうセシルの体温は下がりきっていて、酷く冷たいキスだった。これが生きているうちにできたらどんなに嬉しかっただろうか……今は、悲しみが募るだけだ。体がほとんど消えてなくなってしまっても、やめられなかった。


 そのうちふっと気配が消えた。目を開ければ、赤いレンガの屋根だけしか目に映らない。


 セシルが消えてしまった……。


 自分の罪深さに、自分を呪い殺したくなった。



 セシルが消えて呆然としていた時、天から一筋の光が差してきた。まぶしくて目を凝らしていると、その中から大天使が降りてきた。


 「大天使……ネル……」


 大天使は優雅な仕草で屋根に降り立った。神々(こうごう)しい光をまとった様子は、まるで真っ暗闇の中に新月の月が落ちてきたかのようだ。


 「……やはり、間に合わなかったようですね」


 大天使は悔しそうに顔を歪めた。俺は悲しみに暮れて、何も考えられなかった。


 「あなたは……キースという名ですよね」


 「……ああ」


 「セシルが病床に臥している時に、うなされながらあなたの名前を何度も口にしていました……」


 「俺の名前を?」


 「はい。よほどあなたのことが好きだったようですね。まあ、それは禁忌だということはあの子にも分かっていましたから、その想いを口に出すことはありませんでした。あくまで私の憶測でしかないのですが、でも新月の夜になると必ずあなたに会いに行っていたのですから、きっとそうだったのでしょう」


 「それは最近も?」


 「ええ。毎新月行っていましたよ。あなたが来ないと分かっていても。今夜も、病床から出てはいけないとあれほど注意したにもかかわらず……抜け出してしまったようですね」


 「セシルが病気になったのは……いつ頃なんですか」


 「……約4か月前くらいかしら。あなたに恋焦がれて思い悩んでいるうちに、聖気を蓄えることをしなかったのですから、病気になってしまったのです。まあ、もともと体の弱い子でしたから……一度病気になると大変なのです」


 大天使はため息をついて、袖から小さな瓶を取り出し、蓋を開けた。そしてぶつぶつと呪文を唱え、再び蓋を閉めた。中には、青白い光を放つ球体が入っていた。


 「セシルの魂です」


 大天使はそれを大事そうに見つめていた。


 「あの子はとてもいい子で……天界の誰からも愛されていましたから、とても残念です。あの時セシルと病床から抜け出せないように見張っていれば……消滅せずにすんでいたかもしれません。そのことは、ずっと後悔するでしょう…。あの子には、天使に生まれたのは苦だったのかも知れません」


 「…え…?」


 「悪魔に心を奪われていないで、仕事を全うしなければいけない。あの子は天界の決まりを守ろうと、そう努力していました。しかし恋の力は強大だったようですね。少し……可愛そうな気もします」


 大天使は瓶から目を離し、俺をまっすぐに見据えた。そして困ったような笑顔で言った。


 「そして、あなたもね」


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