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 セシルは首を横に振って、体をこっちに向かせた。見上げてきた青い瞳はとても強い力がこもっていた。


 「キースは違う。キースはキース。悪魔だけど悪魔じゃない」


 セシルは目を瞑ってにっこりと笑った。


 俺は心臓が飛び出そうになった。


 「実はさ……」


 「うん?」


 その笑顔を見ていたら、長年心の底に溜まっていた思いが表面に浮かんで出てきた。


 「俺、いつも思うんだ。何で悪魔なんかに生まれてきたんだろうってね。理不尽じゃないか。皆生まれたくてそう生まれてきたわけじゃないのに、なぜ悪魔になったやつは悪者扱いされなきゃならないんだって」


 「キース…」


 「生まれたのに罪はない。ふるいをかけた神が悪いんじゃないか。俺は悪魔になんかに生まれたくなかったよ……っ」


 「キースっ…」


 セシルの目にはまた潤いでいっぱいになった。俺は黙ってそれを見ていた。


 「もし俺が悪魔じゃなくて天使だったら……こんな想いもしないのに」


 セシルを好きと言えない。それどころかその体に指一本触れやしない。


 苦しくてつらい。


 尚もセシルを見つめて言う。言葉に幾重にも重なる想いを込めて。


 「好きなやつにも好きといえるのに」


 セシルの青い目は、これでもかというくらいに見開いた。口もあんぐりと開いて、とても間抜けな面だ。


 「キー…ス、…天使で好きな方がいるの?」


 それはお前だよ。


 「んーそれはどうだかな」


 俺がごまかすように笑うと、セシルはシュンとした顔になった。


 「そ、そっか…キースに好きな相手がいて当たり前だよね……」


 「セシル?」


 「ううん。頑張ってね」


 落ち込んでいた顔をしていたくせに、セシルは無理やり笑顔を作って見せた。それはとてもいじらしくて、俺は抱き締めたい衝動に駆られた。


 両手がセシルの肩に伸びる。


 …駄目だ。セシルには触れてはいけない。


 でも……抱き締めたい。強く……強く。


 心の中の葛藤の末、俺は伸ばしかけた両手を自分の体のわきに戻した。


 好きと言えたらいいのに。


 好きなのはお前だと。


 …たとえ結ばれなくたっていい。


 好きという言葉が伝えられたらどんなに楽か。


 セシルに会うごとに、欲求が抑えきれなくなってきている。その震える肩に手を置き、猫毛の頭を撫でてみたい。手を握ることもできないのだから、セシルの傍にいることは拷問だった。


 胸が、苦しい。


 「キース…? どうしたの!?」


 「……な、何でもない」


 「大丈夫……?」


 胸を押さえて咳き込む俺を見て、セシルは俺の背中をさすろうとする。


 「やめろっ!!」


 俺は勢いよくはねのけて、後ずさった。セシルは悲しい顔をした。


 「セシル…俺に触るな」


 俺は自分のものとは思えないほどの低い声で言い放った。


 いつの間にか、ここに来たときにちょうど真上にあった星座は山際の方に傾いていた。


 「キース…」


 「お前が俺に触れたら、お前の力がなくなるだろう。聖気がゼロになってしまったら、お前は消滅してしまう」


 「でもっ……」


 「それに今、お前に触れられたら……俺は自分が制御できなくなる…っ」


 自分の気持ちが暴走して、セシルを奪ってしまうかもしれない。


 そんなの、お前も嫌だろう?


 罪を犯せば天使は消滅できなくなる。聖気はなくなっても、堕天使として生きていくことになる。堕天使となったセシルなどかわいそうで見ていられない。


 「駄目だ。…絶対に」


 堕天使となれば、もう一生天使には戻れない。戻れなくなるどころか、一生罰を受けなければならないんだ。


 セシルにはそういう思いをさせたくない。


 「キース……」


 「……ごめん」


 しばしの間、重い沈黙がのしかかった。俺は耐え切れなくなって、横を向き、オレンジ色に染まる海を眺めた。


 「あ…夜明け…」


 「だな」


 夜明けの時間。それは俺たちの別れの時間を意味する。


 悲しいような、物寂しいような――…ホッとしたような。


 また次の新月まで、俺たちは会えない。


 いや、もう会わないかもしれない。俺が自主規制して会いに行かない。


 もうこれ以上傍にいたら、セシルに何かしそうだから。


 だからこれが最後だと、海を見つめるセシルの横顔を目の奥に焼き付ける。


 朝日にオレンジ色に染まった頬。海底のような瞳。形の良い唇。


 華奢な体、しなやかな肢体。


 背中には小さめな、純白の翼を携えて。


 これがセシル。胸の奥にしまっておこう。


 「じゃ、もうそろそろ戻らなくちゃな。俺は地界へ、お前は天界へ」


 「…うん」


 「人間はいいよなー呑気で。夜も働いている俺たちに代わって欲しいぜ」


 「……そうだね……クスッ」


 「…何で笑うんだよ」


 セシルは口に手を当てて笑いを堪えていた。その顔もよく記憶しておこう。


 「だって…だって、おかしいんだもんっ」


 「何が」


 「キースが」


 「…俺!? のどこがおかしいんだよ!」


 ケラケラと笑うセシルに、俺は脱力して何も言えなくなった。その笑う姿を見ていると心が温まるから、文句も言えなくなる。 


 …離れがたい。セシルから離れたくない。


 しかし夜は明けている。もう太陽が水平線から頭をのぞかせている――……。


 「…本格的にもといた場所に戻らないと。なあ、セシル」


 「……うん、そうだね」


 セシルは微笑みながら指で涙をすくった。


 「ねぇ、キース」


 「ん?」


 セシルは顔に似つかない、ニヤリとした笑みを浮かべた。


 「人間って、いいよね」


 俺が驚いて言葉を奪われている隙に、セシルは羽を広げて勢いよく飛び立った。そして太陽が昇る水平線に向かって飛んで行ってしまう。俺はあっけにとられたまま、その姿を見送っていた。


 セシルが人差し指くらいの大きさになった時、セシルはふと立ち止まり、こちらを振り返った。


 「キース。またね」


 逆光でセシルの顔はよく見えなかったが、どんな顔をしているかなんて見ないでも分かった。


 セシルは天に上り詰め、上空へと消えていった。


 もうその花が咲いたような笑顔ともおさらばなのか。俺は悔しさを抱えながらも、黒い翼を広げ、屋根を蹴って風に乗る。


 「…じゃーな、……セシル」


 俺は夜が去っていく山際へ進み、真っ暗な地界へともぐり込んだ。




※※※




 それから俺は、新月になってもセシルに会いに行かなかった。新月の夜だけは、天界・地界とも休日なので、俺たちの仕事はない。同僚たちは皆遊びに出かけたけれど、俺は1人、巣の中に閉じこもった。


 「あれ、キース行かないのか?」


 仕事仲間――というより相棒のユリウスは、出かける準備をしている。


 「ああ」


 「珍しいじゃないか。いつも新月になったとたんに巣から飛び出していたお前が。一体どうしたんだよ」


 「べっつに。気分が乗らないだけだよ」


 「ふーん。そういや最近妙に落ち込んでるよな。何かあったのか?」


 「……別に何も」


 「何かあったんだな」


 「……」


 「もしかして、失恋か?」


 図星を言われ、俺はギクッとした。ユリウスを見れば、ニタニタと笑っている。


 「そんなんじゃねえよ!! 早く出てけよ!!」


 からかわれていることに苛立ちを覚え、俺はユリウスを乱暴に巣から追い出した。逃げるように飛んでいくユリウスの姿を、誰もいなくなった部屋で仰け反りながら眺めていた。


 ……お前にこの気持ちが分かるものか。


 大好きなものを泣く泣く諦めたこの苦しみが。悔しさが。


 今でも、これで本当によかったのかと思う。今夜だって……何も知らないセシルは、またあの赤い屋根に来ているかもしれない。いや、十中八九来ているだろう。俺が行かなかったら不審に思うだろう。そして、悲しむかもしれない。


 行きたい。会いに行きたい。


 俺は窓に手をかけて翼を広げかけた。しかし、やはり駄目だという気持ちが働き、窓にくず折れた。


 駄目だ。絶対に行ってはならない。


 俺たちのお互いの幸せを考えたら……会わないほうがいいんだ。


 歯を食いしばり、窓枠を握る手の力は自然と強くなった。苦しいけれど、この想いを誰にぶつけることもできない。


 セシルは今どうしているのだろうか……。


 そんな思いに駆られながら、俺は重い足を引き摺ってベッドに突っ伏した。そしてその後も胸が詰まるような日々を幾度も幾度も乗り越えていった。今夜こそは本当に会おうかと思った日もあったけれど、決して行くことはなかった。


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