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 俺は月に一度だけ訪れる、新月の夜を楽しみにしている。


 月の出ない真っ暗な夜は、数多の星々がきらめいていてとても美しい。だから楽しみということもあるが、本当の理由は違う。


 俺は「いつもの場所」へ向かった。黒い翼を羽ばたかせ、上空をすいすいと飛んでいく。海が近くに見える、高い塔の三角屋根にそっと降り立った。


 「やあ」


 そこには「いつものやつ」が先に来ていて、俺が来るとこちらを向いてにこりと笑った。折りたたまれたそいつの白い翼は、俺の翼とは正反対に闇夜でもくっきりと浮き立つ。その笑顔も、まるでパッと明かりがともったように、暗い夜でも明るい。


 俺は毎月、この少年に会いたいがためにここへ来るんだ。


 「…今日は珍しいな。お前が先に来ているなんて」


 「悪い?」


 「いや、別に」


 俺はそいつの隣に腰掛けた。そいつとは少しだけ距離を置いて。


 「…今日はね、とても君に会いたくて…キース」


 そいつは俺に横顔を向けながら、くしゃりと笑ってそう言った。その可憐さに心がドキリとする。


 「セシル……」


 「だからついつい早く来てしまったんだ。何だか不思議だよ。僕と君は天使と悪魔なのに、僕は同じ天使たちといるよりも君といた方がホッとするんだ」


 少年――セシルは少し頬を朱に染め、目を細めながら子どものように足をブラブラさせた。


 「僕はいつもこの時間が待ち遠しくてたまらないんだ」


 「それ…俺もだよ」


 「ホント!? よかったあ……」


 満面の笑顔になるセシルは、僅かな風に髪や衣服をなびかせている。まるでそのまま吹き飛ばされてしまうのではないかと思うくらいに儚い雰囲気がある。おそらくそれは、体には肉がついていなくてすらりと細いこと、肌が透けるように白いことも関係しているのだろう。俺はその姿を首が痛くなっているのも気づかずに、じっと見つめていた。


 「何?」


 セシルは俺の視線に気づいて振り向いた。男でも女でもない中性的な顔立ちをしているセシルは、美人と言ってもおかしくない。その顔を真正面から見てしまったら、横顔の時と比較にならないくらいに俺の心臓の動きは激しくなる。そして同時に胸が苦しくなる。


 俺はついこの前、この気持ちが何なのか気づいてしまったんだ。


 天使と悪魔は対立している関係。決して混ざり合ってはいけない。


 それなのに……。


 俺はこの天使が好きになってしまったんだ。


 もうちょっとやそっと好意を抱いているというレベルではない。もう心を全部奪われてしまったんだ。


 セシルの青い瞳は純粋で澄んでいる。それを見ていると胸がチクチクと痛むので、俺はその瞳から逃れるように自分の膝元に目を落とす。


 「いや、別に……」


 禁忌を犯している。やめなければと思うけれど、そう思えば思うほどますますセシルが好きになってしまう。


 もう、自分の中ではどうしようもないんだ。


 「ねえ、目を逸らさないでよ!!」


 暗い夜に突然セシルの透明な声が響いた。ギョッとなってそちらを見れば、怒りに顔を歪めたセシルがいた。その手はぶるぶると震えている。


 「セシル……」


 「こないだの夜もその前も、君はずっとそんな調子だよ。僕のことをじっくり観察していたかと思えば、急にそっけなくなる。…僕、君に何かしたのかなってずっとずっと考えていたんだから!!」


 温厚なセシルが珍しく怒りを露にした。はあはあと肩で息をするセシルは、俯いて小声になった。


 「僕に……何か気にいらないことがあるなら言って欲しい。それがあるなら謝りたい。キースに嫌われるのは……嫌だ。悲しいんだ……」


 セシルは自身で細い肩を抱き、カタカタと震えていた。そして赤い屋根の上にぽとぽとと透明な雫を落とした。


 そんなに苦しめていたのかと驚いたが、俺はどこか嬉しかった。慰めるようにセシルのブロンドの頭に手を伸ばした。しかし、撫でようとした寸前でやめた。


 俺が今、天使であるこの人に触れれば、セシルの聖気を吸い取って、セシルを苦しめてしまうかもしれない。そして聖気を全部吸い取れば、セシルは消滅してしまう。天使は聖気を命の源にしているから、それを奪えば当然消えていなくなってしまう。


 俺は伸ばしかけた手を引っ込めた。自分の手は、良者を悪の道へと引きずり込むために作られている。悪魔である以上、俺はセシルに触れることはできない。その清くて美しい身を汚したくはない。


 だから俺は今までセシルに触れたことはない。その柔らかそうな皮膚の温もりを手にしたことはない。これからも触れることはできない。酷く情けない話だけれど、これは運命が定めたことなのだ。我慢をするしかないのだ。


 「バカだな…セシル。確かに俺が悪かったけど、そんなに泣くことじゃないだろう」


 「う……くっ…」


 「ほら、顔上げて」


 しぶしぶと顔を上げたセシルの頬には、幾筋もの涙の跡があった。俺は苦笑せざるを得なかった。


 「せっかくの顔が台無しだぜ?」


 「いいもんっ…」


 「俺は嫌だな。セシルの泣き顔よりも笑った顔の方がいいし」


 「知らないっ」


 恥ずかしくなったのかそっぽを向いたセシルは、膝を抱えて背中を丸くした。


 その可愛い行動はとても微笑ましかった。しかしセシルの心は純粋すぎて、壊れやすい。もう少し汚れを知っている心だったなら、今すぐにでもこの人を奪っていただろうに。


 一点の曇りもないセシルの心。尊くて清くて…俺は近づくことができない。割れ物のように、そうっと慎重に接しなければならないんだ。


 「セシル……ごめんな。別にお前が嫌いとか、嫌なことがあるとか、そういう意味じゃないんだ」


 好きだから、お前と目を合わせられなくなるんだよ。


 俺はもう、好きという気持ちが暴走してお前を傷つけないように制御するので精一杯なんだ。


 「じゃあ……何」


 セシルは拗ねたようなくぐもった声で言った。


 「それは……」


 でもそれは言ってはいけない。セシルが好きだからなど、絶対に口にできない。


 なぜならば、言ってしまえば天界・地界の掟を破ることになる。天使と悪魔が互いに色恋事をしているとなれば、俺たちは翼をもぎ取られて永久に牢に閉じ込められ、いつか身がバラバラになって消滅させられてしまうのだ。


 だから、言えない。もしそれで、俺だけが罰を受けるのならいい。でも「好き」と告白してしまったら、セシルまで同じ目にあってしまう。セシルには、いつまでも白く輝く天使でいて欲しい。


 「んー……何だっけなー。セシルの瞳って青いよな」


 「話そらさないでよ」


 「ん? んー。お前の青い瞳を見つめてると、どれだけ俺の心が汚れているか嫌でも思い知らされるんだよ。俺もお前みたいになれたらいいなってよく考えるんだ」


 「キースって変な悪魔!!」


 「お前も人のこと言えないだろ。天使なんてみんな悪魔を毛嫌いしてるくせに」


 「だって…それはキースだからだよ。同じ悪魔でも、キースは違う。キースは悪者じゃない!!」


 「なっ……」


 隣にある小さな背中はますます小さくなった。


 「キースは……他の悪魔とは違うもの。僕には分かる。僕が人間界に落ちて動けなくなった時、助けてくれたじゃないかっ」


 こいつと初めて会った時――こいつは無様な格好で人間界の地面に倒れていた。きっと他の悪魔に攻撃されて聖気がなくなり、飛ぶことができなくなったのだろう。俺は真っ先に普段行かない天界に上がって大天使を呼び、セシルの元へ連れて行った。


 「あの時…キースが大天使様を呼んでくれなければ、僕は完全に消滅していた。僕は君が優しい人なんだなって……悪魔でも悪くない人なんだなって思った。君は、生まれてきたのは悪魔かもしれないけれど、心は天使のような人だと思う」


 「セシル…でも俺は悪魔だぜ? 今まで散々悪事も働いてきたし……」


 「ううん」


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