意外と繊細なのです
夜会の日、真っ青な顔で父の元へ戻ると、父は何も問わずにすぐに帰路に着いてくれた。
馬車の中でも、家に到着してからも、今日まで何も言わないし聞かない。
そのことに救われながら、結子はマダム・ミラーとの打ち合わせの中で、同じ色彩の青年の名を知った。
ジルヴァ・オディット。
隣国の伯爵家の次男で、生家と縁のある商人と共に滞在中。国内外を飛び回り、将来は上流階級を客層とした商会を任される予定。
水色の髪と瑠璃色の瞳は、隣国ではそう珍しいものではないが、この国ではあまり見ない。
近しい色味はある、程度だ。
なぜ、コルネリアが隣国の色を持っているのか。
考えれば考えるほど深みに嵌るようで、夜は繰り返しコルネリアの名を呼んだ。
コルネリアの名を口にすると、結子がコルネリアであることを意識できる。
生前の記憶ははっきりしているのに、なぜか夢の中の記憶が薄れていく中で、コルネリアの存在が結子の支えだった。
だんだん、結子とコルネリアの境界が、曖昧になっていく。
時折り結子は、結子こそがコルネリア自身であると思い違いをしたり、慌てて認識を正したりしたりして、足元がぐらついている自覚があった。
結子には、一度、生まれて死ぬまで別の人間として生きた人生がある。
だけど、逆に、コルネリアがどんな人生を歩むはずだったかが、うまく思い出せない。
(……ユイコ)
心の深く、一番あたたかく柔らかい場所から、柔らかい声がする。
最近になって、これがコルネリアだろうかと思う声が、時々結子を呼んだ。
だから、結子とコルネリアは別人であると、綯い交じりそうな意識を奮い立たせられる。
「……コルネリア」
そう、結子はコルネリアなのだ。
中身は確かにコルネリアとは違う人間だが、コルネリアは決して結子ではない。
「コルネリア、コルネリア」
何度も確かめて、鏡を見て、認識と視覚の差異に驚いて、落ち着いて。
彼女のために作ったふわふわのシマエナガを抱いて、毎晩眠りに就いた。
「顔色がよくないな。体調でも悪いか」
「いえ……」
数日ぶりに会った父に指摘され、結子はわずかに苦笑する。
変化に気づかれるとは思わなかった。
「少々寝不足なだけです。元気ですよ」
本当に、体調は悪くない。
言い訳のように笑顔で答えると父は、そうか、と引き下がってくれる。
「そろそろ社交シーズンだ。あれらが来るから、そのつもりで」
「……夫人は?」
「いつも通り〝体調不良〟だ」
社交シーズンになると、兄たちは領地から王都のタウンハウスにやって来て、社交に出る。
母は、滅多に来ない。
公爵夫人が社交しなくていいのかとも思うが、来たら来たで非常に面倒なので来なくていい。
兄たちは、到着の際に挨拶をしたら解散し、屋敷ではほとんど関わらない。
母は不在なのに、コルネリアはいつもその影に怯えて、兄たちに近づくことができなかった。
まあ結子としても、ほぼ見知らぬ青年にそうそう興味もないので、今回もそれでいいと思っている。
必要なら、父が呼ぶんじゃなかろうか。
出迎えた兄たちは、記憶にある通り父と同じ金髪碧眼の美形揃いだった。
長兄は無表情がデフォルトで、ほぼ父のコピー。次兄はモノクルがお似合い。末兄は快活そう。以上。
マダムの提案で、結子がデザインしたドレスは少々手を加え、慈善活動の一貫として期間限定で作成するという。
公爵家とコルネリアの名を冠したドレスの売上の何割かを慈善活動のため寄付し、デザインした結子の収益にもなる。
着ているだけで慈善活動をしているという見栄が張れるため、結子の夜会でのドレスを見た貴族女性たちから、すでにいくつも注文が入っているらしい。
広告塔としての役割は果たせていたようだ。
地道に作ったリメイク作品も、徐々に口コミで広まって公爵家に問い合わせが来ているようだが、作り手が一人なので事業にするのは厳しい。
マダムの店舗の一角で、小さなコーナーを持てることになったため、これもわずかだが結子の個人資産になる。
将来がどのようになるかはわからないし、仕事を持てたことはほんの少し、結子の心を落ち着けた。
ちくちく針仕事をしたり、マダムに急かされて追加のドレスをデザインしたり仕立てを依頼したり、相変わらず勉強が詰め込まれていたり。
忙しさは、正直助かった。
結子がコルネリアを完全に飲み込んでしまいそうな恐怖を感じる暇が、少しでも減ったから。
今日も今日とて、結子は忙しい。
朝から詰め込み授業を終えると、早足で父の執務室へと向かった。
「公爵、ゆ……コルネリアです」
「入って構わん」
以前は『入れ』とか端的な命令が返ってきたものだが、最近よく顔を合わせるからか、文章での会話ができるようになってきた。
扉を開けて、思わず足が止まる。
父と向かい合ってソファに座っている長兄の姿に、つい視線が泳いだ。
「…………お手隙でないなら、出直します」
「おまえが先約だ。こちらに座れ」
父に促されて隣に腰かけながら、長兄に軽く会釈する。目は見れない。
どこか唖然とした様子の長兄は、結子をじっと見ている。
視線に戸惑って、結子は父を見上げた。
美しい碧に魅入られる。
そういえば、父はいつからこんなにまっすぐ結子を見てくれるようになったのだったか。
「あれはおまえの兄だ」
長い指が差すのは、確かに長兄。
首を傾げつつ頷けば、ため息をつかれた。解せない。
「あれはいずれ私の後を継ぐ。拠点は王都」
「……承知しました」
王都に長兄が来る。なるほど。
領地の母の元へ行くか、婚姻して出て行くか、もしくは別の道か。
結子は、父と共にいられるのか。
「今すぐではない。ただ、いずれそういう時がくるということを念頭に置いておくように」
「承知しました」
請け負ったのは、長兄。結子は答えられず、ただ頷く。
父が、長兄をこの場に同席させた意図はわかった。
だけど結子は、いやコルネリアは、一度も兄たちを兄と呼んだことがない。
兄たちから名を呼ばれたことも。
深く俯いた頭を、父が撫でた気もしたけれど、気のせいだったかもしれない。




