息継ぎさせておくれ
結子がコルネリアになって、三ヶ月。
暇を見つけてはチクチク針を刺し、屋敷のほとんどの使用人に贈り物が行き渡った。
それでもまだ布は余っているのだから、いったい何着ドレスを持っているのか戦々恐々としているところだ。
父には、普通の白い布に模様のように布を縫いつけた、ちょっとばかりゴテゴテしたハンカチをあげた。
まじまじと眺めて『ああ』と懐に入れていたので、まあいいのだろう。
次は、どこか殺風景な屋敷を飾るタペストリーや、花を作れないかなと考えている。
主に似て、少々無愛想な屋敷なので。
「……う、わあ……」
その日は、我儘を実現させた新しいドレスの完成に合わせ、父が招待を受けた夜会にパートナーとして出席した。
どうやら、数人の婚約者候補も来るようなので、紹介も兼ねているらしい。
新しいドレスは見事な出来栄えで、首元や腕のレースにはほんの小さな宝石が光り、身体の部分には細かい刺繍が施されていた。
露出はないのに、ドレスの物珍しさと美しい繊細さでめちゃくちゃ目立つ。
会場である侯爵家の広間に入ってからずっと、結子は注目の的だった。
いや、コルネリアが美少女なのは間違いない。異論はない。
だが、今は結子なのだ。こんなに豪華な場所でドレスアップして視線に晒されるなど、体験するのは初めてだ。
「……緊張しているのか」
声をかけられて、エスコートする父の腕をあらん限りの力で掴んでいたことに気づき、慌ててパッと離す。
皺を伸ばすように撫でていると、ふ、と笑う吐息。
「構わん。それより、捕まっていないと攫われるぞ」
わずかに身をかがめた父から、何か爽やかな香りがする。
すん、と鼻を鳴らしながら背伸びをして顔を近づけると、碧い瞳が怪訝そうに細まった。
「公爵、これ何の香りですか? とっても涼やかで素敵です」
「独自に配合させた香水だ」
「へえ……」
「気に入ったなら、薬師を呼ぶ」
「…………いえ。大丈夫です」
公爵閣下が独自にブレンドさせた香水なんか、金貨が何枚飛ぶのか。
上げていた踵を戻して首を振ると、父は不思議そうにしながらも、スマートに行き先を促した。
今夜の父は、それはもう美丈夫っぷりが凄まじい。
輝く金髪の半分だけを後ろに撫でつけ、結子の髪と似た淡い水色の礼服に、瑠璃色のタイ。胸ポケットにはドレスと同じ布地のハンカチ。
白い手袋がまた色っぽく似合っている。
そういえば、父は何歳なのだろう。
兄たちとコルネリアは歳が離れているけれど、どう見積もっても三十そこそこ。
パッと見は二十代後半だ。計算と若干の齟齬を感じるが、異世界あるあるだろうか。
「お招き感謝する」
「おお、デイビス公爵閣下。本日は麗しい天使をお連れですな」
主催者である侯爵夫妻は父と旧知の仲のようで、穏やかそうな目で微笑ましげに結子、いやこの場合はコルネリアを褒める。
淑やかに挨拶を交わすと、夫人はさっそくドレスについて質問をしてきた。
数人の夫人淑女も近寄ってきて、口々に褒める。気分は動物園の珍獣だ。
社交デビューのため練習した挨拶に加え、生前の社会人経験を駆使して、結子はひたすら人々との会話に終始した。
「いたた……」
立ちっぱなしでしゃべり続け、少々疲弊した結子は、さりげなく場を離れてバルコニーに出た。
通りかかった給仕から受け取ったグラスを手に、痛む右足を庇って手すりに凭れる。
無事にやるべきことは終えたし、あとは父の用事が終わるのを待つだけ。
そういえば、婚約者候補という人たちとは会ってもいない。
まあ、父からの紹介より先に女性たちに捕まったため、父も諦めたのだろう。
ゆっくりと見上げると、結子の世界とは違う楕円形の赤い月。
滴るように蠱惑的な色を、どこか恐ろしいもののように感じるのは、異世界の記憶を持っているからだろうか。
「ご令嬢?」
ふと、驚いたような声をかけられて、なんとなしに振り返る。
途端、ぎしり、胸が引きつったような痛みを覚えた。
水色の、淡い髪。瑠璃色の瞳。────コルネリアと同じ。
ばくん、ばくん、と鼓膜で鼓動が鳴っている。
同じように目を見開いた青年は、コルネリアよりも年上に見えた。
「……デイビス、公爵令嬢?」
「…………は、い」
声が喉に張りついて、ちゃんと出せたかどうかも定かではない。
柔らかくて、優しい、なぜだか心惹かれる声音。
心地よくて身を預けたくなる衝動に、結子はぐっと強く足に力を入れた。
引力のように、気を抜いたらこの人の元に駆け寄ってしまいそう。
不自然で不気味で、なのに本能的な渇望が愛しく湧き上がって、はく、と吐息が漏れた。
────コルネリア。ルネ。公爵。
そうだ、この同じ色彩の青年を、父と会わせてはいけない。
なぜか瞬間的にそう思いついて、結子は踵を返した。返そうと、した。
「ご令嬢!」
ああ、だめ。お願い。逃がして。
血が、細胞が、神経までもが、欲している。異様なまでに。
あまりに暴力的かつ飢餓的な欲求が、結子の内側でガツンガツンと脳を叩く。
必死に思い出すのは、孤独に頑張る孤独な少女の努力。感情に乏しい碧の瞳。嬉しそうにぬいぐるみを包む侍女の手。
「……コルネリア」
今、結子は結子だから。コルネリアの人格ではないから。
この衝動がどちらのものかわからない。そして、なぜこんなにも酷似した色味なのかも。
「公爵……」
逃がしてほしい。すぐに、ここから。
ふらつくように踏み出した足の靴擦れが、やけに熱かった。




