金がない
分厚い鉄扉を背中で押し閉め、何重ものロック機構を作動させる。外界との境界線を引き直した途端、地下特有の冷涼な空気は断ち切られ、再び都市の熱気が肌にまとわりついてきた。
冷たく清潔な薬品臭ともしばしお別れだ。代わりに肺を満たすのは、安い揚げ油の酸化した臭いと、労働者たちの汗、それに路上のドブ川から立ち上る下水のマナが混ざり合った生活臭。頭上では、配管から漏れ出した蒸気がネオンの光を乱反射させ、極彩色の霧となって視界を遮っている。
俺はその霧の中を、胃袋の痛みを誤魔化すように大股で歩く。背後からは布擦れの音ひとつさせない幽霊がついてくる。
「……ご主人様」
「なんだ」
「先ほどの『不良在庫』というのは、具体的には何のことでしょう?」
こいつ、食い下がってきやがる。
足音にかき消されるような小さな声だが、そのクリアな音質は雑踏のノイズを突き抜けて俺の鼓膜に届く。経営不振の責任を追及する監査役みたいだ。
「言葉通りの意味だ」
俺は振り返らず、人波をかき分けながら答える。
「棚卸しが必要だってことだよ。俺の懐事情は、今氷河期を迎えてる。お前の修復に有り金全部突っ込んだせいでな」
前を歩く酔っ払いのドワーフが、千鳥足で俺の進路を塞ぐ。俺は慣れた身のこなしでそれを跺し、続ける。
「このままじゃ、インク代どころか、今月の酒代も怪しい。だから、手持ちのコレクションの中から、維持費ばっかり食って稼働率の低い穀潰しを売り払って、当座の運転資金に換えなきゃならんかもしれんって話だ」
身も蓋もない言い方だが、事実だ。
ネクロマンサーにとって、死体は資産であり、同時に負債でもある。保管場所、防腐剤のコスト、定期メンテナンスの手間。愛着だけで飯は食えない。
「維持費……燃費が悪い個体、ですか」
背後で、ミリが何かを考え込む気配がした。数秒のレイテンシ。そして、恐る恐る放たれた質問。
「それは……あの、聖女様のことでしょうか」
俺は思わず足を止めそうになった。
振り返ると、ミリが不安げに眉を寄せ、上目遣いで俺を見ている。その表情は、ドナドナされていく牛を憐れむ牧場の娘のようだ。
「……は?」
俺は呆れ半分、感心半分で鼻を鳴らす。
「なんでそうなる。あいつは俺のラボのトップエースだぞ」
「ですが、先ほどご主人様は仰いました。彼女は『金のかかる女』だと」
よく聞いてやがる。というか、あの時もう意識あったのかよ。
確かに言った。言ったが、それはあくまで愛情の裏返しというか、手のかかるスポーツカーを所有するオーナーの自虐みたいなもんだ。
「勘違いするな。あいつは換えが効かないんだ」
俺は溜息交じりに訂正を入れる。
「聖女の技術は、俺が何年もかけて調整した専用回路の賜物だ。あれをゼロから組み直すくらいなら、腎臓を売った方がまだマシだ」
俺の言葉を聞いた瞬間、ミリの表情が劇的に変化した。強張っていた肩の力が抜け、花が咲くように安堵の笑みが広がる。胸の前で小さく手を合わせ、まるで自分のことのように息を吐いた。
「そうですか……よかった。彼女が処分されるわけではないのですね」
「……お前なぁ」
俺は頭をポリポリと掻く。
「死体同士で友情ごっこか? 妙な連帯感を持ち込むのはやめてくれよ。お前らはユニオンを結成した港湾労働者じゃないんだ。ただの所有物だろ」
「はい。ですが、彼女は私の恩人でもありますので」
聖女は俺が命令して動かしたんだが、ミリの認識ではあれは協力として処理されているらしい。なんだかな。やはり、ミリの素体には、俺の理解を超えた何かが残留しているのかもしれない。
「ま、いいさ。そんなに聖女が心配なら、お前が稼いで維持費を浮かせりゃいいだけの話だ」
俺は話題を変えることにした。これ以上、死体の人権意識について議論しても仕方ない。
「お前らエルフの呼吸だが」
俺は歩き出しながら、思いつきを口にする。
「マナ吸収プロセス、意識的に制御できるか? 例えば、吸い込んだマナを自分の駆動に使うんじゃなく、体内で圧縮して外部に出力するとか」
「え……?」
ミリは小首をかしげ、自分の手のひらを見つめる。
「試したことはありませんが……回路のイメージとしては、不可能ではない、気がします」
「なら、今度実験だ」
俺はニヤリと口角を上げる。
「お前が充電器代わりになれるなら、聖女を動かすための結晶代、大幅に節約できるかもしれん。空の結晶にお前がマナを吹き込めば、リサイクルが可能になる」
そうすりゃ、俺の財布の出血も止まる。
ミリは一瞬きょとんとした後、パッと花が咲くような笑顔を見せた。
「はい! 是非、やり方を教えてください!」
ミリは真剣な眼差しで俺を見上げた。
その反応速度。やはり、感情が少し豊かすぎる気がするが、まあ悪い気はしない。その瞳には、単なる命令への服従ではない、明確な意志が宿っているように見えた。健気なことだ。
到着した。俺は前方の看板を指差す。安酒場『踊る骸骨亭』。趣味の悪いネーミングセンスだが、出てくる骨付きリザード肉は少なくとも靴底よりは柔らかい。
「講義は後だ。まずは腹を満たす。お前も座ってるだけでいいから付き合え。……っと、その前に」
俺は懐からボロボロのフードを取り出し、ミリの頭に被せた。その耳と顔を隠すために。
こんな不良在庫をひけらかして、酒場の酔っ払いに絡まれるのは御免だからな。
ーーー
昨日は晩飯を食った後、すぐに寝てしまったようだ。酒のせいか殆ど記憶がない。
午後の日差しが、換気扇のファンを通して断続的に差し込んでくる。埃が舞う工房の空気は、今日も相変わらず淀んでいる。この倦怠感漂う午後こそが、フリーランスの技術屋にとっての日常というやつだ。
唐突だが、俺たち死体愛好家のシノギってのは、大きく分けて二つの流儀がある。
一つは『シーズ型』。これは完全に俺の趣味と実益がブレンドされた、アーティストスタイルだ。
遺跡で拾った上質なミイラだの、戦場で回収した英雄の片腕だの、あるいは冒険の果てに偶然手に入れた謎の生物の死骸だの。そういった「運命的な素材」からインスピレーションをビリビリと受信し、とびきりの一品を組み上げる。完成した作品は、闇オークションや目の肥えたブローカーに流す。当たればデカい。屋敷が建つ。
今回拾った『ミリ』なんかが典型例だ。
俺としてはこのスタイルで一生食っていきたいところだが、世の中そう甘くはない。良質な死体との出会いは、路地裏で美女とぶつかる確率よりも低いし、そのためのフィールドワークでは、モンスターの胃袋に収まるリスクが常につきまとう。ハイリスク・ハイリターン。まさに命を削るギャンブルだ。
そしてもう一つが、『ニーズ型』。こいつは夢もロマンもない、堅実な受注生産だ。
特定のスポンサー様――例えば警備会社だの、鉱山開発業者だのといった連中から、「こういうスペックの労働力が欲しい」という仕様書を受け取り、納期までに数と質を揃える下請け仕事。基本的にはローリスク・ローリターン。クリエイティビティの欠片もないルーチンワークだが、背に腹は代えられない時の命綱でもある。もっとも、俺と聖女のコンビは、王都の裏街道じゃそこそこ名の通ったブランドだ。そのおかげで、たまにはハイリターンな特注案件が舞い込むこともあるんだが……。
で、今日の俺の手元にある仕事はと言うと、これがもう、涙が出るほど世知辛い案件だった。
切実に、金がない。仕事を選んでいる余裕なんてない。
「今回のオーダーは『溝掃除用ゾンビ』五体。クライアントはあの大手、死体商社『グリム・リーパー&カンパニー』様です」
エプロン姿のミリが伝票を読み上げる。その声には、妙に明るい響きがあった。労働の喜びを知ったばかりの新入社員のような初々しさだ。
「……溝掃除、か」
この王都の下水道網は、何世紀にもわたる無計画な増改築の結果、複雑怪奇なラビリンスと化している。そこにはヘドロと汚物、そして時折、犯罪の証拠品や捨てられた赤ん坊なんかが詰まる。
人間様がやりたがらない汚れ仕事。それを代行する労働力。まさにネクロマンシーの面目躍如たる分野だが、技術屋としては頭の痛い案件だ。
「素材支給あり。対象は『王都特別清掃法に基づき回収された、所有者不明の路上生活者』……」
ミリは淡々と読み進める。
「つまり、浮浪者の死体を使って、ドブ掃除をさせるわけだ」
浮浪者の死体をリサイクルして社会貢献か。実にエコで健全なサイクルだ。まあいい。
問題は、この仕事の中身だ。一見、ただの雑用ゾンビの量産に見えるが、技術屋視点で見るとこれが意外に厄介なのだ。
キーワードは「溝掃除」。つまり、水場だ。
水と死体愛好家の相性は、最悪と言っていい。通常、安価なゾンビを作るなら、皮膚の表面に導魔塗料で回路を描く『表面実装』で済ませる。これならコストも安いし、量産も効く。
だが、汚水の中に浸かるとなれば話は別だ。表面の回路なんて、水に濡れれば即ショート、下手をすれば盛大にマナ漏れしてゾンビが爆発死するコントみたいな事態になる。
だから、防水加工が必須になる。あるいは、コストをかけて皮膚の下に回路を埋め込む『皮下埋設』を行わなきゃならない。手間がかかる割に、単価が安い。これが「ドブ掃除案件」が嫌われる理由だ。
「まったく、足元を見やがって。防水加工の手間賃をなんだと思ってるんだ」
俺は悪態をつきながら、インクの配合を調整する。撥水性の高い蜥蜴の脂を混ぜる必要がある。本来なら受けない案件だ。だが、背に腹は代えられない。
「素材の状態が悪ければ、防腐処理のコストも嵩みますね」
ミリが的確な指摘を飛ばしてくる。
「腐りかけの浮浪者なんて回された日には、目も当てられない。洗浄だけで一日が終わるし、脆くなった骨に補強を入れる手間もバカにならん。そうなれば完全な赤字案件だ」
俺は天井を仰ぐ。
死体商社の担当者は、いつだって「安く、早く、そこそこの質で」としか言わない。俺みたいな偏屈な職人が交渉に出向いても、「嫌なら他を当たる」と足元を見られて、一番質の悪い廃棄寸前の死体を押し付けられるのがオチだ。
「ご安心くださいご主人様」
不意に、ミリが誇らしげに胸を張った。
「素材の搬入、完了しております」
彼女が指差したのは、工房の入り口付近に並べられた五つの死体袋だ。
俺はおそるおそる、その中の一つを開けてみる。
「……マジか」
そこにあったのは、死後数時間も経っていないであろう、驚くほど状態の良い新鮮な死体だった。
外傷も少ない。栄養状態は……まあ浮浪者なりだが、少なくとも病変や腐敗による組織欠損は見当たらない。これなら、皮下埋設のオペもスムーズに行くし、防腐剤の使用量も最小限で済む。
赤字スレスレのローリターン案件が、一気にそこそこ利益が出るミドルリターン案件に化けた。
「どうやった? あの商会の倉庫番は、性格の悪さで有名なケチだぞ」
俺はまじまじとミリを見る。
「代理で受け取りに参りましたと伝えて、少し世間話をしただけです」
「世間話?」
「はい。『初めてのお使いで不安なんです』と申し上げたら、倉庫の奥から一番状態の良いものを出してきてくれました。あと、飴も貰いました」
ミリはポケットから安っぽいキャンディを取り出し、ふふっと笑う。
なるほど。俺があの薄暗い倉庫に出向いていたら、間違いなく一番手前の、カビの生えた在庫を押し付けられていただろう。
だが、世間知らずの美少女エルフが、不安げに上目遣いで頼み込んだとしたら?倉庫番の親父の父性本能か、あるいは下心が、在庫管理のルールを一時的にバグらせたに違いない。
「……でかした」
俺は素直に称賛を送る。
「お役に立てて光栄です!」
ミリは嬉しそうに目を細め、早速とばかりに袖をまくり上げた。
「では、オペの準備を始めましょう。聖女様を起こしますか?」
「いや、こいつらレベルなら俺とお前で十分だ。稼働コストがもったいない」
俺はメスを手に取る。
「よし、やるぞミリ。お前は防腐剤の調合だ。分量はマニュアル通りでいいが、隠し味にミントの香料を足しておけ。下水道で働く連中への、せめてもの手向けだ」
「了解しました、ご主人様!」
楽しそうに笑うエルフの死体。
俺は苦笑しながら、最初の一体にメスを入れた。




