スペック表の1行目
聖女の胸部スロットから、くすんだ色に変色した魔力結晶を引き抜く。内側から強烈な光を放っていたそれは、いまや出涸らしのガラス玉みたいに薄汚れている。
聖女のボディは不気味な余熱を発している。ご覧の通り、ハイエンドな自動人形を動かすには、純度の高い魔力結晶が不可欠だ。
つくづく、こいつは金のかかる女だ。
だが、あの解剖台で寝ているお姫様は違う。
奴らは、呼吸をするだけでいいだろう。エルフという種族の設計思想は、根本からしてエコフレンドリーにできている。大気中に漂うマナ、大地から滲み出る地脈の波動。それらを肺や皮膚で吸収する光合成めいた機能が標準搭載されている。
この王都の空気は、人間の欲望と排泄物、腐りかけた魔導廃液の飛沫で構成されたスモッグだ。まともな神経をした自然派エルフなら、鼻をつまんで卒倒しかねない低品質なマナ環境だろう。
それでも、単に生命維持させておくだけなら、この汚染された大気からの吸気だけで十分にお釣りがくるらしい。戦闘機動で派手に火花を散らすならともかく、日常動作において外部電源は不要。完全なる自給自足。俺たち人間が、他の動植物の死骸を咀嚼し、胃袋を始めとする非効率な内燃機関によって、ようやくマナを捻り出しているのとはわけが違う。
俺は役目を終えた聖女の体を抱え上げる。結晶を抜かれた自動人形は、ただの重い肉と金属の塊だ。六本の義腕がだらりと垂れ下がり、床を引きずる。
鉛の棺桶にこいつを押し込む作業は、いつだって骨が折れる。稼働中の優雅な動きが嘘のような、死体特有の不快な重量感。よいしょ、と声を漏らしながら、俺は聖女の上半身を棺の中に押し込み――「お手伝いしましょうか?」
背後。
耳元に直接差し込まれたかのようなクリアな音声が、俺の鼓膜を震わせた。心臓が、肋骨の裏側で早鐘を打つ。物理的な驚愕で、背筋に冷たいものが走る。俺は反射的に飛び退き、腰のホルスターにある護身用の短杖に手を伸ばしかけ――そして、その光景に凍りついた。
そこに、立っていた。
解剖台の上に横たわっていたはずの、あのエルフの少女が。俺がかけたマナ遮断シートをいつの間にか羽織り、まるでパーティー会場でダンスのパートナーを待つ貴婦人のように、優雅に佇んでいる。
「は……?」
喉から漏れたのは、間の抜けた音だけだ。
あり得ない。
俺はプロだ。死体の扱いで飯を食ってる。
気配がない。
足音もしない。
背後を取られる?
この俺が?
床の埃ひとつ巻き上げず、空気の振動すら起こさず、彼女は俺の背後に転送されたかのように出現していた。
何より、その瞳だ。
再起動直後のネクロ特有の、あの濁った虚無がない。焦点が合っている。周囲の情報を瞬時に把握し、労働力の提供という最適解を提案してきた。蘇生直後の死体ってのは、壊れたみたいに痙攣するか、精々呻くのが相場だというのに。こいつはどうだ?
「あの、重そうでしたので」
鈴を転がすような声。
「……ああ、聞こえてる」
俺はどうにか声を絞り出す。
恐怖?
いや、違う。俺の背筋を駆け上がっているのはゾクゾクするような興奮と、得体の知れない不安がない交ぜになった感覚。
死体が喋った。しかも流暢に?
だが、ここで腰を抜かして失禁でもしようものなら、俺の死体愛好家としてのプライドはドブ川行きだ。俺は半歩下がり、手のひらで聖女を指し示す。
「どうぞ。お言葉に甘えるとするよ」
彼女はコクリと、完璧な角度で小首をかしげると、音もなく聖女の元へと歩み寄った。その動きは滑らかだ。関節の駆動音がしない。筋肉の軋みがない。
彼女は、自分より一回りはゴツい聖女の胴体に手を回した。白い指が、汚れた鉛色の装甲板に食い込む。
「……んっ」
彼女の唇から、小さな吐息が漏れた。
そして、静止。
一秒。二秒。三秒。
世界は沈黙を守っている。
聖女の巨体は、ピクリとも動かない。彼女の細い腕が、小刻みに震え始めた。綺麗な顔に、微かな苦悶の色が浮かぶ。首筋に浮き出た血管が、彼女の全力を物語っている。
「……」
「……」
俺は口元を歪め、鼻から息を吐き出した。
単純な話だ。エルフの肉体は導魔率に特化しすぎている。奴らの筋肉は重い荷物を運ぶための油圧シリンダーじゃない。
彼女は諦めたように手を離し、肩を落として振り返った。その表情は、期待に応えられなかった犬コロのように、あからさまにしょげている。
「申し訳ありません。……想定よりも、比重が」
「気にするな。分かっていたことだ」
俺は肩をすくめ、彼女の隣に並ぶ。
「お前ら耳長族は、指先ひとつで城壁を吹き飛ばすくせに、米俵ひとつ担げない虚弱体質だってな。神様は二物を与えないってやつだ」
俺は聖女の上半身側を持ち上げる。
彼女には、比較的軽い足側を持たせることにした。
「せーの、だ」
掛け声と共に、鉛の塊が宙に浮く。
今度は動いた。俺の腕にズッシリとした重量がかかるが、彼女の方もどうにか持ちこたえている。狭い工房の中、足並みを揃えて棺桶へと向かう。
「……名前は」
不意に、俺は口を開いていた。
沈黙が気まずかったわけじゃない。ただ、これからコキ使うことになる労働力に、識別タグがないのは不便だと思っただけだ。
「名前、ですか? 私は……」
言いかけて、彼女は口をつぐんだ。眉間に微かな皺が寄る。
俺が予想した通り、ハードディスクの中身は初期化されているらしい。言語野や運動中枢といった基本機能は残っていても、記憶は消し飛んでいる。
「思い出せないなら、無理に掘り起こす必要はない。どうせロクな記憶じゃないさ」
俺は棺の縁に聖女の頭を引っかけながら、淡々と言う。
「俺が付けてやるよ。その方が管理もしやすい」
「……どのような名前を?」
「そうだな」
俺は少し考え込むふりをして、いくつかの候補を脳内でリストアップする。
「『シロ』。見たまんまだ」
彼女は無反応。
「『汎用型百弐号』。ちなみに『汎用型百壱号』は、先月実験で爆散した」
彼女の目が少し細められた気がする。
「『森』はどうだ? お前を拾った場所だ」
俺は笑いかける。
だが、彼女は怒るでも悲しむでもなく、ただ静かな瞳で俺を見つめ返してきた。その瞳の奥に、俺の知らない知性が灯っているのが見えた。
「……あなたの好きに呼んでください」
彼女はそう言って、わずかに微笑んだように見えた。
「チッ、可愛げのない」
俺は舌打ちしつつも、聖女の体を棺の中に押し込み、乱暴に蓋を閉めた。
さて、こいつの名前はどうしてくれようか。森とか良いと思うんだがな。出自をそのままラベルにしたような安直さが逆に。
少なくとも、この薄暗い地下室に似合わない名前が必要になりそうだ。俺は顎をさすり、少しばかり真面目に脳内の辞書を検索する。
こいつ、紅茶のカップを持ち上げただけで腕をプルプルさせかねないんだよな。強そうな名前を付けてそんなざまじゃ目も当てられない。だが、免罪符のような名前であれば多少のポンコツぶりも愛嬌として処理されるだろう。リスクヘッジだ。商売の基本だな。
「……『ミリ』だ」
俺はそう告げる。
「ミリ?」
彼女は、その単語を口の中で転がすように反芻する。
「ああ。単位だよ。小さい、極小の単位だ。その細い腕には、キロもトンも似合わない。お前のスペック表の1行目には、そう書いておくのが親切ってもんだろ」
我ながら、ひねくれたネーミングセンスだとは思う。
だが、言われた当の本人は、きょとんと目を丸くした後、口元を綻ばせた。
「ミリ……」
彼女は自分の手のひらを見つめ、確かめるようにその単語を咀嚼する。
「ミリ。……はい。素敵です」
その表情は宝石でも贈られたかのように誇らしげですらあった。
意味わかってんのかこいつ。俺の皮肉が通じていないのか、それとも回路の初期化で羞恥心までフォーマットされちまったのか。まあいい。本人が気に入ったのなら手間が省けたというものだ。
さて。名前も決まったところで、ここからはビジネスの時間だ。
俺は咳払いを一つして、意識を「商売人」のモードへと強制的に切り替える。この新たなアセットをどう運用するか、脳内で収支決算書を組み立てる。
手元の計算機を弾く。
まず、初期投資。
森までの旅費、探索にかかった時間的コスト、リスク手当。
王都でも五指に入る(と自負している)技術者の、脳細胞の酷使代。
そして何より、今回の修復に費やした資材費だ。あの古狸からふんだくられたインク代、それに聖女を稼働させるために消費した魔力結晶のコスト。
諸々を積み上げると、損益分岐点を超えるには相当な高値で売り抜ける必要がある。
スペックは申し分ない。
俺が再構築した回路は、理論値で言えば王宮魔術師団の連中が束になっても敵わないアウトプットを叩き出すはずだ。魔力回路の伝達効率は人間の魔導師が一生修行しても到達できない領域にある。
だが、物理面が致命的だ。荷物持ちには使えない。前衛に立たせれば一撃でお陀仏だ。
となると、用途は限られる。真っ先に思いつくのは、王都の貴族連中。特に、金と見栄だけは肥大化した豚のような連中。
奴らはいつだって、自分の権威を飾り立てるためのレアアイテムに飢えている。
「エルフの従順な自動人形」なんて代物が市場に出れば、オークション会場は血の雨が降る騒ぎになるだろう。提示される金額は、俺が一生遊んで暮らせる額に届くかもしれない。
あるいは、裏社会のシンジケートに売り飛ばすか?暗殺、破壊工作、あるいはもっと趣味の悪い愛玩具として。奴らは金払いだけはいい。
「……」
俺は『ミリ』を見る。
彼女は、俺が与えた名前をまだ大事そうに口の中で転がしながら、部屋の隅にあるマナランプの光を眩しそうに見つめている。その横顔は、不気味なほどに無垢で、完成されていた。
俺の描いた回路。背骨に沿って埋め込んだ、黒く重いインクの奔流。
複雑怪奇で、吐き気がするほど込み入った配線の芸術。
あれは俺の技術の結晶だ。現時点での俺の最高傑作だ。
それを、あの豚どもに?
魔術の「ま」の字も理解できない、回路の優雅さよりも「エルフの女」というガワにしか興味のない、審美眼の腐り落ちた連中に?
想像してみる。
こいつが、脂ぎった貴族の屋敷の床に侍り、下品な酒の酌をさせられている姿を。男が、ワイングラス片手に所有物について自慢げに語る。
ミリは虚ろな瞳で――いや、俺が調整した完璧な回路のおかげで、生前と変わらぬ美しい微笑みを浮かべて佇んでいるはずだ。
「……ッ、」
俺は無意識のうちに舌打ちをしていた。胸の奥底で、ドス黒い不快感が鎌首をもたげる。
勘違いするなよ。俺は別に、このエルフ娘に情が湧いたわけじゃない。
俺は死体愛好家だ。自分が手塩にかけて組み上げた精密死体人形が、使い方も知らない猿の手に渡り、泥まみれにされるのが我慢ならないだけだ。それは時計を金槌代わりに使われる時計職人の怒りに近い。自分が組み上げた回路が、使い方も知らない素人の元で埃を被るのが許せない。
ただ、それだけのことだ。
「あの、ご主人様?」
ミリが不安げにこちらを覗き込んでくる。
「顔色が優れませんが、マナ酔いでしょうか?」
「……いや、なんでもない。ちょっと、不良在庫の処分方法について考えていただけだ」
俺は乱暴に頭を振って、思考のノイズを追い払う。
売るか、売らないか。あるいは、別の使い道を見つけるか。結論はまだ保留でいい。
とりあえず今は、この腹の虫が鳴き止むような晩飯のことを考えるとしよう。
俺は彼女――ミリに向かって、ぶっきらぼうに顎をしゃくった。
「行くぞ、ミリ。飯だ。お前には必要ないだろうが、俺には必要なんでな」
「はい! お供します」
彼女は弾かれたように背筋を伸ばし、俺の後ろをトコトコとついてくる。
石畳を踏む音すらしないその軽い足取りが妙に心地よかった。




