第98話 数えるという親切
98話です。
翌日も、鍋は出た。
昨日より少し早い時間に、
昨日より少し手際よく。
火を起こす人、
水を汲む人、
野菜を刻む人。
もう、誰も指示していない。
「昨日と同じでいいよな」
「同じでいい」
その言葉に、異論は出なかった。
◇
先生は、やはり距離を保っている。
関わらない。
止めない。
導かない。
ただ、見ている。
◇
鍋の前で、
昨日と同じ柄杓が使われる。
縁の印も、そのまま。
「これで一杯」
「これで同じ」
安心した空気。
◇
だが今日は、
誰かが、ふと呟いた。
「……何杯分あるんだ?」
一瞬、手が止まる。
◇
「足りるか?」
「昨日は、ぎりぎりだったよな」
「今日は人、ちょっと多いし」
不安は、責めない。
不安は、計算を呼ぶ。
◇
「数えた方がいいな」
誰かが言い、
誰かが頷いた。
◇
鍋を覗き込み、
器を並べ、
昨日の数を思い出す。
「昨日は……たしか、三十杯くらい?」
「いや、二十八だったんじゃね?」
曖昧な記憶。
◇
「ちゃんと数えよう」
そう言って、
誰かが炭で壁に印をつけた。
一杯、一本。
|||||
◇
ミナは、その様子を見ていた。
(……悪いことじゃない……
ちゃんと分けるためだし……)
◇
配膳が進む。
一本、増える。
また一本。
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子どもたちは、
いつもより静かだ。
◇
途中で、
誰かが言った。
「昨日より、一本多くね?」
壁を見る。
確かに、多い。
◇
「じゃあ今日は余るな」
「よかったじゃん」
笑い声。
だが――
誰かが、続けた。
「昨日、足りなかった家もあるし」
「今日は、その分回せるな」
善意の言葉。
◇
配り終わる。
鍋は、少し余った。
「どうする?」
「昨日、来られなかったとこに持ってく?」
異論は出ない。
◇
だが、
そのとき、
また小さな声が落ちた。
「……昨日、来なかった理由って……?」
空気が、わずかに張る。
◇
「体調じゃね?」
「仕事だったんだろ」
誰も責めない。
だが――
壁の印が、目に入る。
昨日より一本多い。
◇
ミナは、胸がざわついた。
(……また……
数が……
理由みたいになってる……)
◇
片づけのあと、
倉庫で子どもたちが集まった。
先生は、静かに聞く。
「今日は、昨日と何が違った?」
◇
すぐに答えは出ない。
やがて、ひとりが言う。
「……数えた」
先生は頷く。
「どうだった?」
「安心した」
「足りるって分かった」
◇
「他には?」
沈黙。
◇
ミナが、ゆっくり言った。
「……数えたら……
“昨日”と比べたくなった」
先生は、何も言わない。
続きを促す視線。
◇
「比べたら……
“来なかった人”の理由を……
考えちゃった」
◇
先生は、静かに言う。
「それが、
数の力だ」
◇
床に、小さな点をいくつか描く。
「数は、
状況を“見える”ようにする」
「見えるようになると、
人は安心する」
◇
次に、点を線で結ぶ。
「でも同時に、
“理由を探す”」
「理由を探すと、
“正しさ”を作る」
◇
リオが、眉をひそめた。
「……正しいって……何がだよ」
先生は、少しだけ言葉を選ぶ。
「“来た人”と“来なかった人”」
「“足りた日”と“足りなかった日”」
「それ自体は、ただの違いだ」
◇
線を、もう一本引く。
「でも、
数が続くと――」
「違いは、
“評価”に変わる」
◇
ミナは、はっとした。
(……評価……
してないのに……
してる……)
◇
「善意で始めた記録が、
いつの間にか――」
先生は、少し間を置く。
「“誰が正しいか”を決め始める」
◇
外を見る。
器は洗われ、
壁の印は残っている。
誰も消そうとしない。
◇
先生は、最後にこう言った。
「数えることは、悪じゃない」
「記録も、間違いじゃない」
「でも――」
視線を戻す。
「それを“当たり前”にした瞬間、
人は、数で縛られる」
◇
沈黙が、深くなる。
恐怖ではない。
怒りでもない。
理解の沈黙。
◇
先生は続ける。
「別の場所ではね」
声は低い。
「この“小さな決まり”が、
もっと立派な顔をして――
人を並べる」
◇
誰も、どこかを思い浮かべない。
それでも、
何かが胸に残る。
◇
「今日は、ここまで」
先生は立ち上がる。
「明日は――
“続ける”話をしよう」
◇
倉庫を出ると、
夕暮れの街は穏やかだった。
鍋は空。
壁には印。
そして――
誰もが、
それを“良いこと”だと思っている。
その安心の中で、
数と記録は、
静かに根を張り始めていた。
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チョークシリーズは、他の先生の物語もありますので、よろしければご覧ください。




