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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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98/105

第98話 数えるという親切

98話です。

翌日も、鍋は出た。


昨日より少し早い時間に、

昨日より少し手際よく。


火を起こす人、

水を汲む人、

野菜を刻む人。


もう、誰も指示していない。


「昨日と同じでいいよな」

「同じでいい」


その言葉に、異論は出なかった。



先生は、やはり距離を保っている。


関わらない。

止めない。

導かない。


ただ、見ている。



鍋の前で、

昨日と同じ柄杓が使われる。


縁の印も、そのまま。


「これで一杯」

「これで同じ」


安心した空気。



だが今日は、

誰かが、ふと呟いた。


「……何杯分あるんだ?」


一瞬、手が止まる。



「足りるか?」

「昨日は、ぎりぎりだったよな」


「今日は人、ちょっと多いし」


不安は、責めない。

不安は、計算を呼ぶ。



「数えた方がいいな」


誰かが言い、

誰かが頷いた。



鍋を覗き込み、

器を並べ、

昨日の数を思い出す。


「昨日は……たしか、三十杯くらい?」

「いや、二十八だったんじゃね?」


曖昧な記憶。



「ちゃんと数えよう」


そう言って、

誰かが炭で壁に印をつけた。


一杯、一本。


|||||



ミナは、その様子を見ていた。


(……悪いことじゃない……

 ちゃんと分けるためだし……)



配膳が進む。


一本、増える。

また一本。


|||||||


子どもたちは、

いつもより静かだ。



途中で、

誰かが言った。


「昨日より、一本多くね?」


壁を見る。


確かに、多い。



「じゃあ今日は余るな」

「よかったじゃん」


笑い声。


だが――

誰かが、続けた。


「昨日、足りなかった家もあるし」

「今日は、その分回せるな」


善意の言葉。



配り終わる。


鍋は、少し余った。


「どうする?」

「昨日、来られなかったとこに持ってく?」


異論は出ない。



だが、

そのとき、

また小さな声が落ちた。


「……昨日、来なかった理由って……?」


空気が、わずかに張る。



「体調じゃね?」

「仕事だったんだろ」


誰も責めない。


だが――

壁の印が、目に入る。


昨日より一本多い。



ミナは、胸がざわついた。


(……また……

 数が……

 理由みたいになってる……)



片づけのあと、

倉庫で子どもたちが集まった。


先生は、静かに聞く。


「今日は、昨日と何が違った?」



すぐに答えは出ない。


やがて、ひとりが言う。


「……数えた」


先生は頷く。


「どうだった?」


「安心した」

「足りるって分かった」



「他には?」


沈黙。



ミナが、ゆっくり言った。


「……数えたら……

 “昨日”と比べたくなった」


先生は、何も言わない。


続きを促す視線。



「比べたら……

 “来なかった人”の理由を……

 考えちゃった」



先生は、静かに言う。


「それが、

 数の力だ」



床に、小さな点をいくつか描く。


「数は、

 状況を“見える”ようにする」


「見えるようになると、

 人は安心する」



次に、点を線で結ぶ。


「でも同時に、

 “理由を探す”」


「理由を探すと、

 “正しさ”を作る」



リオが、眉をひそめた。


「……正しいって……何がだよ」


先生は、少しだけ言葉を選ぶ。


「“来た人”と“来なかった人”」

「“足りた日”と“足りなかった日”」


「それ自体は、ただの違いだ」



線を、もう一本引く。


「でも、

 数が続くと――」


「違いは、

 “評価”に変わる」



ミナは、はっとした。


(……評価……

 してないのに……

 してる……)



「善意で始めた記録が、

 いつの間にか――」


先生は、少し間を置く。


「“誰が正しいか”を決め始める」



外を見る。


器は洗われ、

壁の印は残っている。


誰も消そうとしない。



先生は、最後にこう言った。


「数えることは、悪じゃない」


「記録も、間違いじゃない」


「でも――」


視線を戻す。


「それを“当たり前”にした瞬間、

 人は、数で縛られる」



沈黙が、深くなる。


恐怖ではない。

怒りでもない。


理解の沈黙。



先生は続ける。


「別の場所ではね」


声は低い。


「この“小さな決まり”が、

 もっと立派な顔をして――

 人を並べる」



誰も、どこかを思い浮かべない。


それでも、

何かが胸に残る。



「今日は、ここまで」


先生は立ち上がる。


「明日は――

 “続ける”話をしよう」



倉庫を出ると、

夕暮れの街は穏やかだった。


鍋は空。

壁には印。


そして――

誰もが、

それを“良いこと”だと思っている。


その安心の中で、

数と記録は、

静かに根を張り始めていた。


─────────

チョークシリーズは、他の先生の物語もありますので、よろしければご覧ください。

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