第97話 同じ量という安心
97話です。
昼過ぎ、
倉庫の前に、鍋が置かれた。
昨日の清掃の流れから、
自然に始まったものだった。
「みんなで食べた方がいい」
「腹を壊さないように、ちゃんと火を通そう」
誰かが言い出し、
誰かが薪を運び、
誰かが水を汲んだ。
先生は、最初から関わらない。
ただ、少し離れた場所で見ている。
◇
鍋の中では、
野菜と穀物が静かに煮えている。
匂いに、子どもたちが集まってきた。
「今日は、ここで食べるの?」
「いいの?」
「いいに決まってるだろ」
「余っても困るしな」
笑い声が混じる。
◇
やがて、
誰かが言った。
「……ちゃんと分けた方がよくね?」
場が、少しだけ静まる。
「不公平になると、揉める」
「前、あっただろ」
別の声。
「じゃあ、同じ量にしよう」
反対する者はいない。
◇
器が並べられ、
木の柄杓が置かれる。
「一杯ずつな」
「大人も子どもも、同じ」
誰かが、言い切った。
その瞬間、
安心した空気が広がった。
◇
ミナは、少しほっとした。
(同じなら……
文句、出ないもんね……)
◇
配膳が始まる。
柄杓一杯。
どの器にも、ほぼ同じ量。
「ほら、これで平等だ」
満足そうな声。
◇
だが――
途中で、ひとりの男が手を止めた。
「……あれ?」
器を覗き込み、
隣の器を見る。
「こっちの方が、多くねぇか?」
言い方は軽い。
冗談のようだ。
だが、数人が器を覗き込む。
◇
「そうか?」
「いや……気のせいじゃね?」
だが、
“比べる視線”が生まれた。
◇
誰かが、言った。
「ちゃんと量った方がいいな」
「どうやって?」
「目分量じゃなくてさ」
少し考え、
誰かが木片を持ってきた。
「これを目安にしよう」
◇
柄杓の縁に、
印がつけられる。
「ここまでな」
「これなら同じだろ」
空気は、さらに落ち着いた。
◇
先生は、その様子を見ている。
リオが、小さく言った。
「……これも、いいことだよな?」
「うん」
先生は言う。
「とてもいい」
◇
食事が始まる。
笑い声。
満足げな顔。
「腹いっぱいだ」
「うまいな」
◇
だが――
食べ終わりに、
小さな声が落ちた。
「……あの人、二杯目だったよな」
誰が言ったか、分からない。
◇
空気が、止まる。
すぐに誰かが言う。
「子どもが残したんだろ」
「いいじゃねぇか」
誰も責めない。
それでも――
何人かの視線が、
その男の背中に残った。
◇
ミナは、胸がざわついた。
(……まただ……
怒ってないのに……
見てる……)
◇
片づけのあと、
倉庫で子どもたちが集まった。
先生は、いつものように問いかける。
「今日、何が起きた?」
すぐには答えが出ない。
◇
やがて、
ひとりの子が言った。
「……同じにしたのに……」
「同じじゃなくなった気がした」
先生は、うなずく。
「どうしてだと思う?」
沈黙。
◇
「“同じ量”は、安心をくれる」
先生は言う。
「でも同時に――
“比べる理由”も作る」
ミナは、はっとする。
◇
「量を決めると、
“多い”“少ない”が生まれる」
「決まりを作ると、
“守った”“守らなかった”が生まれる」
先生は、静かに続ける。
「善意で作ったはずの決まりが、
いつの間にか――
人を見る物差しになる」
◇
リオが、低く言った。
「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
先生は、すぐには答えない。
少しだけ間を置いてから、言う。
「“決まりが必要な場面”と
“必要じゃない場面”を、
混ぜないことだ」
◇
「腹を満たすための決まりが、
人を評価する道具になるとき――」
先生は、床に線を引く。
「それは、別の場所では
“当然”として使われる」
◇
外では、
鍋が空になり、
器が乾かされている。
誰も揉めていない。
誰も怒っていない。
それでも――
街には、
また一本、細い線が引かれた。
◇
先生は、最後に言った。
「道具も、決まりも、
本当は――
“人を助けるため”にある」
「でもね」
視線を上げる。
「誰のものかを忘れた瞬間、
それは人を縛る」
ミナは、なぜか遠い場所を思った。
(……ここじゃない、どこかで……
同じことが……
当たり前みたいに……)
夕暮れの街は、
穏やかだった。
だがその穏やかさの下で、
比較と視線は、
静かに育っていた。
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