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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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96/105

第96話 きれいにするという正しさ

96話です。

翌朝、

スラムの通りは、いつもより静かだった。


だが、よく見ると――

違和感がある。


水溜まりが、いくつか消えている。

通り脇のゴミが、端に寄せられている。

腐りかけていた布切れが、縄でまとめられていた。


誰かが、掃除をした。



井戸の前で、ミナが足を止めた。


「……誰か、片づけたんだね」


「そうだね」


先生は、それ以上言わない。


だが、ミナは気づいていた。


(昨日の授業のあとだ……)



井戸の周りには、

数人の大人が立っていた。


誰かが言う。


「最近、腹壊す子が多いだろ」

「水のせいじゃないなら……」

「やっぱり、汚れじゃねぇか?」


別の誰かがうなずく。


「先生の話、当たってたな」

「水と一緒に、流れ込んでるんだろ」


声は小さい。

怒気もない。


ただ――

“納得した声”だった。



先生は、輪に近づきもしない。


ただ、少し離れた場所で立ち止まり、

その様子を見ている。


リオが、低く言った。


「……これ、いいことだよな?」


「うん」


先生は、即答した。


「とてもいい」



昼前には、

通りの数か所で同じ光景が見られた。


誰かが掃き、

誰かが水を流し、

誰かがそれを手伝う。


「そこ、もう少し寄せた方がいい」

「井戸の下は、空けとけよ」


指示は、柔らかい。


笑い声もある。



だが――

午後になって、空気が変わった。



倉庫の前で、

一人の女が立ち尽くしていた。


足元には、

洗い終えたばかりの布。


だが、彼女は動かない。


通りを掃いていた男が、声をかけた。


「……それ、そこに置くなよ」


女が戸惑う。


「え?」


「水が流れる」

「また汚れるだろ」


言い方は、乱暴ではない。


だが――

はっきりしていた。


「正しい置き方」が、

すでに決まっている。



女は、慌てて布を持ち上げた。


「ご、ごめん……」


誰も責めない。


誰も怒らない。


それでも――

その場の空気が、少しだけ締まった。



ミナは、胸がざわついた。


(……今の……

 怒ってないのに……

 なんか……怖かった……)



夕方、

倉庫に集まった子どもたちの中で、

小さな声が聞こえた。


「ねぇ……」

「今日、掃除しなかった家……」

「ちょっと、見られてなかった?」


別の子が、首を振る。


「見てただけだよ」

「何も言ってなかったし」


「でも……」


言葉は続かなかった。



先生は、その様子を黙って見ている。


そして、ようやく口を開いた。


「今日、街はとても良いことをした」


子どもたちが顔を上げる。


「病気を減らすかもしれない」

「水をきれいに保てるかもしれない」


「全部、正しい」



一拍、置く。


「でも――」


先生は、床に小さな線を引いた。


「“正しいやり方”が一つに見え始めたとき、

 それは“正しさ”じゃなくなる」


ミナが、息を呑む。



「誰かが遅れたとき」

「誰かが知らなかったとき」


先生は続ける。


「その人は、

 “間違っている人”になる」


「そして――」


視線を上げる。


「誰も責めなくても、

 “見られる人”になる」



リオが、ぼそっと言った。


「……昨日の話と、同じだな」


先生は、うなずく。


「問いが危険になる前に、

 視線が変わる」


「善意が悪意になる前に、

 空気が変わる」



外では、

まだ誰かが掃いている。


音は、軽い。


だが、その音に、

“正しさ”が混じり始めていた。



先生は、最後にこう言った。


「きれいにすることは、

 街を守る」


「でも――

 “きれいにしている人”だけが

 正しいわけじゃない」


誰も反論しない。



倉庫を出ると、

通りの端で、

朝の女が、また布を洗っていた。


今度は、

誰も声をかけない。


だが――

何人かが、

一瞬だけ、目を向けた。



先生は、それを見て思う。


(小さな決まりは、

 静かに人を縛る)


(そしてそれは――

 別の場所では、

 “当たり前”として

 生きている)


空は、まだ明るい。


だが街には、

目に見えない線が、

一本、引かれ始めていた。


──────────

チョークには別先生が織りなすシリーズもあります。よろしければご覧ください。

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