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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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95/105

第95話 悪意と呼ばれる瞬間

95話です。

その日、

先生は授業を始めなかった。


倉庫に集まった人々は、

しばらく待ったが――

何も起きない。


チョークも持たない。

線も引かない。


ただ、そこに立っている。



最初に違和感に気づいたのは、

子どもではなかった。


大人たちだ。


昨日までなら、

先生が黙っていても不安はなかった。


だが今日は違う。


(……何か、起きるのか?)

(なぜ始めない?)

(様子を見ているのか?)


視線が、先生に集まる。


その視線の数が、

昨日より明らかに多い。



先生は、ようやく口を開いた。


「昨日の授業で、

 一つだけ残した問いがある」


誰もが、息をひそめる。


「“道具は誰のものか”」


「覚えているね」


小さく、うなずきが広がる。


「今日は、その続きをやろう」



先生は、静かに言った。


「問いが生まれたとき、

 必ず次に来るものがある」


誰かが首をかしげる。


「それは――

 “評価”だ」


空気が、ぴたりと止まった。



「誰かが問いを出す」


「すると、必ず別の誰かが言う」


先生は、淡々と続ける。


「それは正しいか」

「それは間違っているか」

「それは危険か」


ミナは、胸がざわついた。


(……昨日の話……

 もう、“危ない”って思われ始めてる……)



先生は、ゆっくり視線を巡らせる。


「質問そのものに、

 善も悪もない」


「でも――」


一拍、間を置く。


「“危険だ”と呼ばれた瞬間、

 それは悪意になる」


誰かが、思わず声を出した。


「……でも、

 本当に危ない質問もあるだろ?」


先生は、すぐにうなずく。


「あるよ」


否定しない。


「だからこそ、

 今日の授業は難しい」



先生は、床に小さな印を一つ描いた。


丸でも線でもない、

ただの点。


「この点を、

 “善意”だとしよう」


誰も反論しない。


「この点が、

 誰かの役に立つつもりで出されたとする」


先生は、点の周りに円を描く。


「でも――」


「周りにいる人が、

 こう言い始めたらどうなる?」


声を少しだけ低くする。


「それを聞くと、

 困る人がいる」


「それを考えると、

 秩序が乱れる」


「それは、

 余計な考えだ」



円が、少しずつ歪んでいく。


先生は言う。


「善意は、

 中身が変わらなくても――」


「“呼び方”が変わる」


ミナは、はっとした。


(……中身は同じなのに……

 名前だけで……)



「次の段階に行こう」


先生は、声を張らない。


「問いが“危険”と呼ばれると、

 何が起きる?」


沈黙。


「誰かが止めに来る?」


「処罰される?」


「記録される?」


答えは、どれも正しい。


先生は、うなずく。


「でも、その前に起きることがある」



先生は、自分の胸を軽く叩いた。


「人はまず、

 “見る目”を変える」


誰かが、息を呑んだ。


「問いを出した人を、

 少し距離を置いて見る」


「直接何も言わない」


「でも――

 覚えておく」



倉庫の外で、

誰かが足を止めた。


見回りではない。


街の人だ。


ただ、立ち止まり、

中を見ている。


先生は、視線を外さずに言った。


「これが、

 “監視”の始まりだ」



「制度じゃない」


「命令でもない」


「ただの――

 “気にする視線”」


リオが、低く言った。


「……それ、

 止められねぇな」


先生は、静かに答える。


「止めにくい」


「なぜなら――

 善意から始まるから」



「誰かを守りたい」

「街を混乱させたくない」

「問題が起きる前に防ぎたい」


先生は、一つずつ言葉を置く。


「全部、善意だ」


「でも、その善意が集まると――」


視線が交差する。


「“悪意を探す目”に変わる」



ミナは、背中が冷えるのを感じた。


(……昨日の問い……

 もう……

 誰かに“見られてる”……)



先生は、最後にこう言った。


「悪意と呼ばれる瞬間は、

 大声で決まらない」


「血も流れない」


「ただ――」


一歩、後ろに下がる。


「“あの人の質問、

 ちょっと危ないよね”」


その一言で、

世界は変わる。



「だから、覚えていてほしい」


先生の声は、いつもより低い。


「善意と悪意の線は、

 内容じゃない」


「“誰が決めたか”だ」


沈黙が、重く沈む。



授業は、それで終わった。


誰も拍手しない。

誰も質問しない。


だが――

倉庫を出る人々の目は、

昨日より鋭くなっていた。


井戸を見る目。

桶を見る目。

そして――

人を見る目。



先生は最後に、

誰にも聞こえないほど小さく言った。


「監視はね、

 作られる前に、

 “始まっている”」


その言葉を、

誰が聞いたのかは分からない。


ただ一つ確かなのは――


街に生まれた問いは、

もう“問いのまま”では

いられなくなった、ということだった。


────────

チョークには、別の先生の織りなす他のシリーズもあります。よろしければご覧ください。

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