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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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94/108

第94話 道具の持ち主

94話です。

その日の授業は、

いつもより早く始まった。


集まった人数は多くない。

だが、減りもしなかった。


来る者は来る。

来ない者は来ない。


それだけの、穏やかな朝だった。



先生は、倉庫の床に何も書かなかった。


チョークを持ってはいるが、

使わない。


代わりに、近くにあった桶をひとつ持ち上げた。


水汲みに使う、

どこにでもある桶だ。


「これは、誰のものだと思う?」


誰もすぐには答えない。


桶は特別なものじゃない。

だからこそ、判断が遅れる。


ミナが、慎重に言った。


「……持ってきた人?」


「そう考える人もいるね」


先生は否定しない。


別の子が言う。


「でも……井戸の近くに置いてあったから……

 みんなの、じゃない?」


先生は、ゆっくりうなずく。


「それも、一つの考え方だ」



先生は桶を置き、今度は柄杓を手に取った。


「じゃあ、これは?」


さらに沈黙。


「桶があっても、

 柄杓がなければ水は汲みにくい」


「逆も同じだ」


先生は、二つを並べた。


「ここで質問だ」


視線が集まる。


「桶を使う権利と、

 柄杓を使う権利は――

 同じだと思う?」


空気が、わずかに揺れた。



「……同じじゃない?」


「うーん……」


「柄杓の方が、先に壊れそう……」


答えはばらばらだ。


先生は、そのばらつきを止めない。


「面白いね」


「道具っていうのは、

 使い方が似ていても、

 “扱われ方”が違うことがある」


先生は、床に線を一本引いた。


「この線より向こうは、

 “みんなが使っていい”」


「こっちは、

 “使う人が決まっている”」


誰かが、はっとした顔をした。



「決まりがあると、

 道具は便利になる」


「でも――」


先生は、線の上に桶を置いた。


「決まりが増えると、

 道具は“縛り”にもなる」


ミナは、胸の奥がざわつくのを感じた。


(……これ……

 水の話じゃない……)



先生は、問いを重ねる。


「じゃあ、こう考えてみよう」


「道具を“正しく使う”って、

 どういうことだろう?」


誰かが答える。


「壊さないこと」


「長く使うこと」


「順番を守ること」


先生は、全部聞く。


否定しない。


「全部、正しい」


「でもね」


少し間を置く。


「それを“誰が決めるか”で、

 意味は変わる」



倉庫の外で、足音が止まった。


見回りだ。


中を覗くが、何も言わない。


ただ、聞いている。


先生は気づいているが、

話を止めない。



「道具を使う人が決めるとき」


「道具を管理する人が決めるとき」


「使わない人が決めるとき」


先生は、指を折っていく。


「同じ“正しさ”でも、

 中身は変わる」


リオが、ぽつりと言った。


「……使ってないやつに、

 決められるの、嫌だな」


誰かが、小さく笑った。


だが、その笑いは長く続かない。



先生は、静かに続ける。


「でもね」


「使っている人が、

 必ずしも“自由”とは限らない」


全員が、先生を見る。


「道具を使うために、

 決まりを守り続けるうちに――」


「いつの間にか、

 “道具のために人が動く”こともある」


空気が、重くなる。



先生は、最後にこう言った。


「今日は答えを出さない」


「ただ、覚えておいてほしい」


桶と柄杓を、元の場所に戻す。


「小さな決まりは、

 その場では便利に見える」


「でも――」


視線が、静かに広がる。


「別の場所では、

 当然の顔をして人を縛ることがある」


誰も声を出さなかった。


だが、

誰も聞き流さなかった。



授業が終わり、人が散っていく。


倉庫の外では、

いつもと同じ井戸がある。


いつもと同じ水。

いつもと同じ桶。


けれど――

それを見る目は、少しだけ変わっていた。


ミナは、何も言わずに桶を見た。


その中に映る空は、

曇っているのに、どこか遠かった。


先生は、それ以上何も教えなかった。


だがその日、

街には一つの問いが残った。


道具は、誰のものか。


使う者は、どこまで自由か。


その問いは、

まだ形にならない。


けれど確かに、

街のどこかで息をしていた。


そして――

それと同じ問いが、

どこか別の場所でも、

すでに“決まり”として生きていることを。


誰も、まだ知らなかった。


───────────

チョークには、別の先生が織りなす、他のシリーズもありますので、よろしければご覧ください。

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