第93話 質問をやめさせる仕事
93話です。
倉庫を出たあと、
街の空気はわずかに変わっていた。
誰かが声を上げたわけではない。
何かが決まったわけでもない。
ただ――
人々の視線が、少しだけ下ではなく、横を向くようになった。
◇
その変化に、最初に気づいたのは教団だった。
黒衣の見回りが、いつもより多い。
立っている場所も違う。
井戸のそば。
倉庫へ向かう路地の角。
人が立ち止まりやすい場所。
彼らは何も言わない。
叱らない。
連れていかない。
ただ、見ている。
(……始まった)
ミナは、胸の奥が冷えるのを感じていた。
◇
その日の昼。
倉庫に集まった人数は、前日より少なかった。
誰かが止めたわけじゃない。
だが、来なかった。
「用があるから」
「今日は忙しい」
「また今度」
理由はどれも、もっともらしい。
リオが小声で言う。
「……減ったな」
「うん」
先生は数を数えない。
名前も呼ばない。
ただ、集まった顔を見る。
◇
そこへ、見慣れない男が入ってきた。
黒衣ではない。
だが、教団の印章がついた革紐を首に下げている。
事務方だ。
「失礼」
声は柔らかい。
敵意はない。
「ここで……
“話し合い”のようなことをしていると聞きまして」
誰も答えない。
男は、困ったように笑った。
「いえ、取り締まるとかじゃありません」
その言い方が、逆に重い。
◇
男は続ける。
「ただですね……
最近、“質問”が増えているそうで」
ミナの背中が、ぴんと張る。
「質問自体が悪いわけではありません」
男は、丁寧に言葉を選ぶ。
「ですが――
質問は、時に誤解を生みます」
誰かが、喉を鳴らした。
「特に、子どもがする質問は……
大人を困らせることが多い」
空気が、ゆっくりと沈む。
◇
先生は、静かに尋ねた。
「困ると、どうなります?」
男は一瞬、言葉に詰まる。
「……不安になります」
「不安になると?」
「……混乱します」
「混乱すると?」
男は、少し声を落とした。
「秩序が乱れます」
◇
倉庫の中で、何人かが目を伏せた。
昨日の問いが、
そのまま形を変えて戻ってきている。
(質問 → 不安 → 混乱 → 乱れ)
それは、教団がずっと使ってきた説明だった。
◇
男は、安心させるように言う。
「ですから――
質問は、正しい場で行うべきです」
「正しい場、とは?」
先生の声は、穏やかだった。
「教団が用意した場です」
男は、はっきり言った。
「管理された質問。
管理された順番。
管理された答え」
「それが、みんなのためです」
◇
沈黙。
だが、昨日までの沈黙とは違う。
考えている沈黙だ。
◇
後ろの方で、あの子どもが小さく手を挙げた。
男の顔が、一瞬こわばる。
「……なんでしょう」
「質問していいの?」
男は、微笑みを作る。
「もちろん。ただ――」
「ここじゃだめ?」
言葉が、詰まった。
◇
男は、慎重に言う。
「ここは……
“正しい訓練を受けた者”がいないからね」
「先生は?」
子どもは、まっすぐ先生を見る。
男も、そちらを見る。
◇
先生は、ゆっくり答えた。
「僕は、訓練を受けていない」
男の顔に、安堵が走る。
だが、次の言葉で凍った。
「だから――
答えを管理できない」
倉庫の空気が、ぴんと張る。
◇
先生は続ける。
「でもね」
「質問っていうのは、
管理できないから意味がある」
男は、反射的に言った。
「それは危険な考えです」
「そうだね」
先生は否定しない。
「だから、危険なんだ」
◇
その瞬間、男は理解した。
これは説得ではない。
衝突でもない。
整理だ。
この場所で何が起きているのかを、
はっきりさせられている。
◇
男は、立ち上がる。
「……今日は、記録だけ取らせてもらいます」
「どうぞ」
先生は止めない。
◇
男が去ったあと、
倉庫の中は静まり返った。
ミナが、ぽつりと言う。
「……質問って……
仕事になるんだね」
先生は、うなずいた。
「止める側にとってはね」
「じゃあ……」
ミナは、言葉を探す。
「これから……どうなるの?」
先生は、少しだけ考えてから言った。
「質問を“悪意”に変える仕事が始まる」
リオが、苦い顔で笑う。
「嫌な仕事だな……」
「でも、必要なんだ」
先生は、静かに言った。
「支配する側が、
“質問を恐れている”ってことが――
はっきりしたから」
倉庫の外では、
見回りの足音が増えていた。
質問は、まだ始まったばかりだ。
だがもう、
元には戻らない。
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