第89話 決め方を、決めるということ
89話です。
鍋の前の騒ぎが収まったあとも、
広場の空気は元に戻らなかった。
人々は散ったが――
何かを抱えたまま、家路についた。
◇
ミナは歩きながら、違和感を覚えていた。
昨日までは、
「どう配るか」
「足りるか」
そんな話ばかりだった。
でも今日は違う。
(……みんな……
“誰が決めたか”を見てた……)
◇
リオが、小声で言う。
「なあ……
さっきの男、悪くなかったよな」
「うん……」
「でもさ……
数え始めた瞬間、
急に“信用される側”じゃなくなった」
◇
先生は、歩きながら答える。
「役目が変わるとね、
評価の基準も変わる」
◇
「“善い人かどうか”じゃなくて、
“間違えないかどうか”を見られるようになる」
◇
ミナの背中に、冷たいものが走る。
(それって……
教団と同じ……?)
◇
倉庫に戻ると、
すでに何人かの大人が集まっていた。
昨日まで、
こんなことはなかった。
◇
一人が言う。
「先生……
今日の配給のことなんだが」
◇
別の一人が続ける。
「誰が数えるか……
毎回揉めるだろ、これ」
◇
「今日は先生がいたからよかったけど」
◇
視線が集まる。
◇
ミナは、思わず先生を見る。
(……来た……
“決めてほしい”って空気……)
◇
先生は、すぐに答えなかった。
代わりに、問いを返す。
「君たちは、どうしたい?」
◇
沈黙。
◇
誰かが、ぽつりと言う。
「……誰か一人に任せるのは、怖い」
◇
別の声。
「でも、毎回話し合うのも無理だ」
◇
「じゃあ、交代制は?」
◇
「その交代を、誰が決める?」
◇
空気が、絡まり始める。
◇
先生は、その様子を見て、静かに言った。
「今、みんなが困ってるのは――」
◇
「“何を決めるか”じゃない」
◇
「“どうやって決めるか”だ」
◇
その言葉に、何人かが顔を上げる。
◇
ミナの胸が鳴った。
(……先生……
いま……
“制度の入口”を指してる……)
◇
先生は続ける。
「一人に任せると、不安が生まれる」
「話し合うと、時間がかかる」
「多数決にすると、恨みが残る」
◇
「つまりね」
◇
「どの方法にも、欠点がある」
◇
誰かが苛立ったように言う。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
◇
先生は、少しだけ首を傾けた。
「だから――
“完璧な決め方”を探すんじゃない」
◇
「“間違えたときに、戻れる決め方”を選ぶ」
◇
その言葉が、静かに広がる。
◇
リオが、思わず聞く。
「……戻れる?」
◇
「そう」
先生は、床に小さな円を描く。
「一度決めたら、
二度と変えられない仕組みは――
必ず、誰かを潰す」
◇
円の横に、矢印を書く。
「でも、
“やり直せる”って分かっていたら、
人は役目を引き受けられる」
◇
ミナは、今日の男の顔を思い出す。
(……あの人……
やり直せないと思ったから……
追い詰められたんだ……)
◇
先生は、最後にこう言った。
「今日は、決めなくていい」
◇
ざわつき。
◇
「代わりに――
“決め方の候補”を出してみよう」
◇
「正解じゃなくていい。
失敗しそうな案でいい」
◇
「それを、並べてみる」
◇
その瞬間。
誰かが、初めて手を挙げた。
◇
声は小さかった。
けれど――
確かに“声”だった。
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誤字脱字はお許しください。




