第88話 数える者は、なぜ孤立するのか
88話です。
翌朝。
鍋の前に立つ男は、昨日と同じ場所にいた。
だが――
昨日とは、周囲の距離が違った。
◇
誰も近づかない。
視線だけが、集まっている。
◇
男は気づいていた。
(……なんだ、この感じ)
◇
「今日はどうする?」
誰かが聞く。
男は答える。
「昨日と同じだよ。
一人、三つ」
◇
器が差し出される。
男は黙って、芋を数える。
一、二、三。
◇
だが、その手元を――
複数の目が追っていた。
◇
「……今の、二つじゃなかった?」
◇
男の指が止まる。
「三つだろ」
◇
「いや、今のは――」
◇
別の声が割り込む。
「いいだろ、三つだよ」
◇
空気が、微妙に割れる。
◇
男は、気づく。
(……俺、疑われてる)
◇
次の器。
今度は、声が早い。
「ちゃんと数えろよ」
◇
男は、少しだけ強く言う。
「数えてる」
◇
その言い方が――
火種になった。
◇
「なんだよ、その言い方」
「疑うなってのか?」
「疑われるのが嫌なら、代われよ」
◇
沈黙。
◇
男は、返せない。
◇
ミナは、その様子を遠くから見ていた。
(……昨日までは……
“配る人”だったのに……)
◇
今日の男は違う。
「決める人」
「数える人」
「間違えたら責められる人」
◇
先生は、まだ何も言わない。
◇
次の器。
男は、慎重に数える。
一、二、三。
……四。
◇
一瞬、迷う。
(……これ、入れていいか?)
◇
後ろの視線が、突き刺さる。
◇
男は、四つ目を戻した。
◇
その瞬間。
「ほらな」
◇
誰かが言う。
「今、迷っただろ」
◇
男の顔が、赤くなる。
「迷っただけだ!
入れてねぇだろ!」
◇
「でも、入れようとした」
◇
「……!」
◇
空気が、重く沈む。
◇
リオが、小さく言った。
「……もう無理だな」
◇
ミナは、息を詰める。
(数を使っただけなのに……
人が、こんなに変わる……)
◇
そこで――
先生が、初めて前に出た。
◇
男の横に立つ。
◇
そして、静かに言った。
「代わろうか」
◇
周囲がざわつく。
◇
男は、呆然とする。
「……先生が?」
◇
先生は、うなずく。
◇
鍋の前に立ち、
同じように数え始める。
一、二、三。
◇
誰も、口を出さない。
◇
その沈黙は――
男のときと、質が違った。
◇
ミナは、はっとする。
(……同じことしてるのに……
疑われてない……)
◇
配り終える。
◇
先生は、器を置き、言った。
「今、何が違ったと思う?」
◇
誰も答えない。
◇
先生は、男を見る。
「君は、悪くなかった」
◇
男は、唇を噛む。
◇
先生は続ける。
「でも――
“役目”が変わった瞬間、
見え方が変わった」
◇
「数える人は、
公平の象徴になる」
「だから――
一番疑われる」
◇
ミナの胸に、言葉が落ちる。
(……制度って……
人を守る前に……
人を疑わせるんだ……)
◇
先生は、最後に言った。
「だからね」
「“数”だけじゃ足りない」
◇
「数を扱う“仕組み”が必要になる」
◇
その言葉を聞いた瞬間。
遠くで、鐘が鳴った。
◇
司祭は、まだ知らない。
街が今、“制度を必要とする段階”に入ったことを。
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誤字脱字はお許しください。




