第87話 公平は、なぜ疑われるのか
87話です。
翌日。
鍋の前に、木炭で引かれた線があった。
地面に、短い線が何本も並んでいる。
◇
「……なんだ、これ?」
誰かが言う。
◇
昨日、配っていた男が答えた。
「数だよ。
一人分、ってやつ」
◇
周囲がざわつく。
「数……?」
◇
男は、少し照れたように続ける。
「昨日さ、
“同じ量”って言われても、
正直、よく分かんなくて……」
「だから、
先に数、決めときゃいいかなって」
◇
鍋の横に、器が並ぶ。
一、二、三――
配るたびに、地面の線を指でなぞる。
◇
ミナは、その光景を見つめていた。
(……量じゃなくて……
“数”を見てる……)
◇
配り終える。
昨日より静かだ。
誰も文句を言わない。
◇
だが――
一人の女が、ぽつりと言った。
「……でもさ」
◇
空気が、止まる。
◇
「数は同じでも、
中身、違わない?」
◇
誰かが苦笑する。
「それ言い出すと、キリねぇだろ」
◇
女は引かない。
「でもさ、
あの人の器、
芋多かった気がする」
◇
視線が、ひとりの男に集まる。
男は慌てて首を振る。
「ち、違う!
数は同じだろ!」
◇
女は言う。
「数はね。
でも、重さは?」
◇
沈黙。
◇
リオが、小さく息を吐いた。
「……来たな」
◇
先生は、少し離れた場所から、そのやり取りを見ている。
口を挟まない。
◇
別の声。
「じゃあ、量も量ってみるか?」
「どうやって?」
「石で……?」
◇
一瞬、期待が走る。
だがすぐ、別の声が出る。
「……そこまでやる必要あるか?」
◇
空気が、割れる。
◇
ミナは気づいた。
(……公平にしようとすると……
不満の“見え方”が増える……)
◇
男が、鍋の前で困り果てる。
「……俺、昨日よりしんどい」
◇
誰かが笑う。
「だろうな」
◇
だが、笑いは長く続かない。
◇
先生が、静かに言った。
「今、
何が増えた?」
◇
誰もすぐに答えられない。
◇
先生は続ける。
「量は増えてない。
食べ物も増えてない」
「増えたのは――
“比べる材料”だ」
◇
空気が、すっと冷える。
◇
「数字は便利だ。
でも――」
先生は、そこで止める。
◇
誰かが、代わりに言う。
「……疑いも増える」
◇
先生は、うなずいた。
◇
「公平を目指すと、
人は“確認”を始める」
「確認が増えると、
疑いも増える」
◇
ミナの胸が、静かに鳴る。
(……これ……
統計の入り口だ……)
◇
先生は、地面の線を指差す。
「この線は、嘘をつかない」
「でも――
人は、線を信じきれない」
◇
鍋の前に、沈黙が落ちる。
◇
先生は、淡々と言った。
「今日は、ここまででいい」
◇
「数を使った。
それだけで十分だ」
◇
人々は、納得しきれない顔で散っていく。
だが――
昨日より、明らかに“戻らなかった”。
◇
ミナは、先生の横に立ち、そっと思う。
(……答え、教えてない……
でも……
明日、また続けたくなる……)
◇
夜。
塔の記録室。
若い司祭が報告する。
「配給に……数を使い始めました」
司祭は眉を寄せる。
「数字だと?
なぜ、そんなことを……」
◇
それは、まだ些細なことだった。
だが――
街はすでに、“数で考える入口”に立っていた。
─────────
誤字脱字はお許しください。




