第86話 配る人を決める理由
86話です。
配る人を決める理由
翌朝。
鍋は、昨日と同じ場所に置かれた。
だが、空気は明らかに違っていた。
誰かが、ぽつりと言う。
「……今日は、誰が配る?」
◇
沈黙。
だが昨日の沈黙とは違う。
“決めようとしている沈黙”だ。
◇
年配の女が一歩前に出た。
「昨日は、私が配ったね」
誰も否定しない。
◇
若い男が言う。
「じゃあ今日は、別の人がいいんじゃねぇか」
「毎日同じだと、不満出るしな」
◇
ミナはそのやり取りを、息を詰めて見ていた。
(……もう……
“誰が正しいか”じゃなくて……
“どう回すか”の話になってる……)
◇
結局、
背の低い男が指名された。
理由は単純だ。
「文句言わなさそうだから」
笑いが、少しだけ起きる。
◇
男は戸惑った顔で鍋の前に立つ。
「……俺でいいのか?」
誰かが言った。
「ダメだったら、明日変えりゃいい」
◇
その一言で、男の肩が少し下がった。
◇
配り始める。
昨日より慎重だ。
何度も鍋を見て、器を見て、周りを見る。
◇
だが――
三人目のところで、手が止まる。
「……これで、足りるか?」
◇
沈黙。
誰も答えない。
◇
リオが、小さく息を吐いた。
「……出たな」
◇
男は、困った顔で先生を見る。
だが先生は、視線を合わせない。
◇
男は、周囲を見回し、言った。
「……文句、言われたくねぇ」
その瞬間、
空気が、少しだけ硬くなった。
◇
四人目、五人目。
量は、ほぼ同じ。
だが――
後ろに行くほど、男の動きが速くなる。
◇
配り終えたあと。
誰かが言う。
「……さっきより、少なくね?」
別の声。
「いや、同じだろ」
◇
だが、不満は消えない。
量の問題ではない。
“誰が、どう配ったか”の問題だ。
◇
男は、鍋の横で黙り込んでいる。
◇
先生が、ようやく口を開いた。
「今、何が起きた?」
◇
すぐに答えは出ない。
◇
ミナは、胸の中で言葉を探していた。
(……配る人が……
“守り”に入った……)
◇
誰かが言う。
「……配る人が、怖くなったんだ」
◇
先生は、その声だけを拾う。
「何が怖かった?」
◇
男が、絞り出すように言う。
「……責められるのが」
◇
先生は、静かにうなずいた。
「それが、“役割”だ」
◇
誰かが眉をひそめる。
「役割……?」
◇
「配る人は、
“公平”を背負う」
「公平は、
だれかが必ず不満を持つ」
◇
空気が、少し重くなる。
◇
「だから――」
先生は、続けない。
◇
代わりに、鍋を指さす。
「明日も、誰かが配る」
「でも、その人が一人で背負わなくていい」
◇
誰かが、気づく。
「……決め方、か?」
◇
先生は、何も言わない。
◇
夕方。
広場の隅で、声が上がっていた。
「配る人、二人にするか」
「いや、順番表作るか?」
「量、先に決めとく?」
◇
ミナは、その輪を見ていた。
(……先生……
答え、言ってない……
でも……
街が勝手に“制度”作ってる……)
◇
リオが、ぽつりと呟く。
「……責任ってさ、
押しつけると揉めるけど……
分けると、考え始めるんだな」
◇
夜。
塔の窓に、明かりが一つ増えた。
司祭は、報告を聞いて眉をひそめる。
「……配る者を、決め始めただと?」
◇
それは、小さな変化だった。
だが確実に――
“施し”が、“運営”に変わり始めていた。
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