第85話 同じ鍋、違う満足
85話です。
昼前。
広場の隅で、
一つの鍋が火にかけられていた。
中身は粥。
昨日より少しだけ濃い。
◇
人は集まっているが、
列はできていない。
誰も指示していないからだ。
◇
最初に声を上げたのは、
若い男だった。
「……誰から取る?」
沈黙。
◇
次に、
別の声。
「子どもからじゃねぇか?」
◇
反対の声も出る。
「いや……
働くやつからだろ」
◇
その瞬間、
空気がわずかに張った。
怒鳴り合いではない。
だが、
“違い”が表に出た。
◇
ミナは、
その場に立ち尽くしていた。
(……同じ鍋なのに……
もう、空気が違う……)
◇
先生は、
少し離れた場所で、
何も言わずに見ている。
◇
鍋の前に、
三つの器が置かれた。
大きさは、
ほぼ同じ。
◇
年配の女が言った。
「……とりあえず、
先に三人分だけ盛ろう」
◇
誰が先か、
決めないまま。
◇
一人目が器を取る。
少し多め。
二人目が見る。
三人目が、
一瞬だけ手を止める。
◇
その一瞬で、
全員が気づいた。
“同じ”じゃない。
◇
リオが、
小さく舌打ちした。
「……こうなるよな」
◇
だが、
誰も責めない。
ただ、
視線が集まる。
◇
先生が、
初めて口を開いた。
「今、
何が起きた?」
◇
答えはすぐに出ない。
◇
やがて、
誰かが言う。
「……量じゃねぇな」
◇
別の声。
「順番……か?」
◇
先生は、
うなずかない。
否定もしない。
「もう一つある」
◇
沈黙。
◇
ミナは、
胸の奥がざわつくのを感じた。
(……まだ……
何かある……)
◇
先生は、
器を一つ指さした。
「これを取った人は、
悪いと思った?」
器を取った男が、
首を振る。
「……腹減ってた」
◇
「次の人は?」
「……少ないと思った」
◇
「三人目は?」
「……様子を見た」
◇
先生は、
静かに言った。
「満足は、
量だけで決まらない」
◇
鍋の中を見せる。
まだ、
十分に残っている。
◇
「“自分がどう扱われたか”で、
腹の感じは変わる」
◇
誰かが、
息を吸った。
◇
「今日は、
もう一度やってみよう」
◇
今度は、
先生が言う。
「子どもからでも、
働く人からでもいい」
「ただし――」
◇
「“同じ人が配る”」
◇
女が、
鍋の前に立った。
無言で、
一杯目をよそう。
次も、
同じ量。
次も、
同じ。
◇
不思議と、
誰も文句を言わない。
◇
ミナは、
気づいていた。
(……量より……
“見てた”って感じがある……)
◇
食べ終えたあと、
声が出る。
「……腹、落ち着くな」
「まだ残ってるのに、
足りない感じしねぇ」
◇
先生は、
それ以上何も言わない。
◇
夕方。
広場の端で、
小さな話し合いが始まっていた。
「明日は、
一人決めて配ろうか」
「順番は、
日替わりでいいか」
◇
誰も、
先生に確認しない。
◇
ミナは、
その様子を見て、
胸が熱くなった。
(……教えられてない……
でも……
決めてる……)
◇
夜。
塔の方向から、
低い鐘が鳴る。
三拍。
揃わない音。
◇
司祭は、
まだ動かない。
だが、
街の中では――
“同じ鍋”から、
“違うやり方”が
生まれ始めていた。
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