第84話 腹が減る理由
84話です。
朝。
いつもより早く、
街が動き始めていた。
井戸の前。
通りの角。
小さな竈のそば。
どこでも、
同じ言葉が聞こえる。
「……なんか、腹減るな」
◇
不満ではない。
怒りでもない。
ただの、
事実の共有だった。
◇
ミナは、
自分の腹が鳴った音に気づき、
そっと手で押さえた。
(……昨日より……
ちゃんと食べたはずなのに……)
◇
広場に行くと、
昨日の小石がそのまま残っている。
増えてはいない。
減ってもいない。
だが、
今日は誰も触らない。
◇
先生は、
少し離れた場所で、
干してある芋を見ていた。
数は同じ。
大きさも、ほぼ同じ。
◇
「先生」
声をかけたのは、
年配の女だった。
「昨日と今日、
同じだけ食べてるのに……
今日は、腹がもたねぇ」
◇
先生は、
すぐには答えない。
代わりに、
別の人に聞いた。
「昨日は、
何を食べた?」
「……粥」
「今日は?」
「……芋」
◇
先生は、
頷いただけだった。
◇
リオが、
首をかしげる。
「量は同じだぞ?
芋のほうが、重いくらいだ」
◇
先生は、
地面にしゃがみ込み、
小石を二つ並べた。
一つは、
丸い。
もう一つは、
少し細長い。
◇
「これを、
“同じ”だと思う?」
誰も答えない。
◇
「重さが同じでも、
“中身”が違うと、
体の使い方が変わる」
◇
ミナは、
その言葉に引っかかった。
(……使い方……?)
◇
先生は続ける。
「粥は、
水と一緒に入る」
「芋は、
噛んでから入る」
◇
誰かが言った。
「……噛むと、
腹が減るのが遅いって、
聞いたことある……」
◇
先生は、
それを否定もしない。
肯定もしない。
「じゃあ、
今日は何回噛んだ?」
沈黙。
◇
「昨日の粥は?」
さらに沈黙。
◇
だが、
誰かが笑った。
「……数えてねぇな」
◇
先生は、
その笑いを逃さなかった。
「じゃあ、
今日は数えてみよう」
◇
「正確じゃなくていい。
十まで行かなくてもいい」
「“昨日より多いか少ないか”だけでいい」
◇
ミナは、
胸が少し軽くなるのを感じた。
(……まただ……
“できる範囲”だけ……)
◇
昼。
芋を食べる音が、
いつもより静かだった。
誰も急がない。
噛む。
止まる。
また噛む。
◇
子どもが言う。
「……あれ?
まだ、腹、鳴らない」
◇
別の声。
「……なんか……
眠くならねぇ」
◇
先生は、
遠くからそれを聞いていた。
◇
午後。
小石の横に、
新しい石が二つ置かれた。
片方には、
小さく傷がついている。
◇
ミナは気づく。
(……誰か……
“昨日と今日”を……
比べたんだ……)
◇
夕方。
女が、
また先生に言った。
「先生……
腹の減り方……
違うな……」
◇
先生は、
ようやく一言だけ言った。
「“同じ量”でも、
“同じ働き”はしない」
◇
それ以上は言わない。
◇
夜。
街では、
こんな会話が増えていた。
「芋、細かく切ったほうがいいか?」
「子どもには、
先に粥のほうがいいかもな」
◇
誰も、
命令されていない。
誰も、
正解を渡されていない。
◇
ミナは、
家に戻りながら思った。
(……これ……
給食の前……
“考えさせる段階”なんだ……)
◇
遠くで、
塔の鐘が鳴る。
今日は、
二拍だけ。
短く、
迷う音。
街はまだ、
教団に逆らっていない。
だが――
腹の感覚だけは、
もう嘘をつかなくなっていた。
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誤字脱字はお許しください。




