第81話 清掃は罰ではない
81話です
朝。
スラムの通りに、
昨日までなかった音が混じり始めた。
――水の音。
――布を絞る音。
――石が擦れる、乾いた音。
◇
誰かが、
通りの端に溜まっていた汚れを、
水で流していた。
命令はない。
祈りもない。
ただ、
昨日、井戸のそばで起きた“手の動き”が、
少しだけ場所を変えただけだった。
◇
ミナは、家の前に立ち、
その様子を見ていた。
(……掃除……
誰に言われたわけでもないのに……)
子どもが一人、
棒で溝をつつく。
詰まっていたゴミが、
ゆっくりと流れた。
◇
そこへ、先生が来た。
何も言わない。
ただ、
溝の端にしゃがみ込み、
詰まりかけた場所を指差した。
「……ここ」
それだけだった。
◇
少年が、首を傾げる。
「……なんで?」
先生は、少しだけ考え、
短く答えた。
「水は、止まると腐る」
◇
それだけで十分だった。
少年は棒を動かし、
ゴミを引き抜く。
水が流れる。
◇
それを、
別の大人が見ていた。
(……あそこ……
うちの前も、似てるな……)
◇
午前中のうちに、
通りが一本、
少しだけ明るくなった。
臭いが、薄れた。
それだけの変化。
だが――
確かに、違った。
◇
昼前。
教団の見回りが、
通りに入ってきた。
視線が、地面に落ちる。
濡れた跡。
流されたゴミ。
眉がひそめられる。
「……何をしている」
返事はない。
だが、
誰も手を止めない。
◇
見回りは、
少し苛立ったように言う。
「掃除は、
罰として課されるものだ」
◇
その言葉に、
一瞬、空気が固まった。
◇
先生が、立ち上がる。
ゆっくりと。
声は低い。
「それは、
“誰のための罰”ですか」
見回りが、言葉に詰まる。
「……秩序のためだ」
◇
先生は頷く。
「じゃあ、
今の秩序は、
誰の役に立っていますか」
◇
沈黙。
見回りは、
周囲を見る。
子ども。
女。
年寄り。
誰も、怯えていない。
◇
「……勝手なことをするな」
そう言い残し、
見回りは去った。
◇
ミナは、息を吐いた。
(……怒られると思った……
でも……
止められなかった……)
◇
午後。
先生は、
通りの端に線を引いた。
地面に、
短い線を、いくつか。
「今日は、
もう一つだけ、考えよう」
人が集まる。
◇
先生は言った。
「この通りを、
毎日一人で掃除したら、
どうなる?」
誰かが答える。
「……疲れる」
「続かねぇ」
◇
先生は、頷く。
「じゃあ、
三人でやったら?」
「……楽になる」
「早い」
◇
先生は、線を三つに分ける。
「これは、“役割”だ」
◇
ミナは、
その言葉に引っかかった。
(……役割……
罰じゃない……)
◇
先生は続ける。
「罰は、
嫌なことを押しつける」
「役割は、
“必要なことを分ける”」
◇
誰かが、ぽつりと呟く。
「……じゃあ……
掃除は……」
先生は答える。
「生きるための作業だ」
◇
静かに、
だが確かに、
空気が変わった。
◇
夕方。
通りごとに、
自然と人が分かれ始めた。
今日はここ。
明日はあっち。
言葉は少ない。
だが、
動きは揃っていく。
◇
リオが、
溝を見ながら言った。
「……これ……
誰が仕切ってるわけでもねぇのに……」
先生は答えない。
ただ、
濡れた地面を見ている。
◇
夜。
通りの匂いが、
昨日より軽かった。
それだけだ。
だが――
人は、それを覚える。
◇
ミナは、
家に戻る途中、
ふと思った。
(……明日……
やらなかったら……
どう感じるんだろう……)
その問いが、
“義務”ではなく、
“選択”として浮かんだことに、
彼女はまだ気づいていない。
◇
遠くで、
鐘が鳴った。
いつもと同じ音。
だが、
今日は――
少し、届き方が違った。
街は今、
罰ではなく、
役割で動き始めている。
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誤字脱字はお許しください。




