第8話 殴られた子と、怒りの行き先
8話です。
12月11日改稿
その日の夕方。
授業が終わりかけたころ、
ミナが青ざめた顔で駆け込んできた。
「先生……!」
「どうした?」
「リオが……!」
嫌な予感が走る。
僕はすぐ立ち上がり、ミナのあとを追った。
路地の奥。
リオが地面に倒れていた。
頬だけでなく、腹も押さえている。
呼吸が荒い。
その前に立っていたのは、大柄な男――リオの父親だ。
「また余計なこと言いやがって……!」
父親は苛立ちが混ざった声で怒鳴った。
「“なんでだよ”だと?
こっちは一日中働いてんだぞ。
文句あるなら、お前が稼いでこい!」
「……“なんで”なんて言ってねぇし……」
リオがうめく。
「言ったようなもんだ!」
拳が再び振り上がる。
僕はその間に割り込んだ。
「やめてください」
「てめぇは黙ってろ!」
襟を掴まれ、壁に押しつけられる。
息が詰まりそうになるが、目はそらさない。
「殴る相手、間違えてますよ」
「なんだと?」
「あなたが本当に殴りたいのは、
“ここにいる子ども”じゃないはずです」
一瞬、男の力が弱まった。
「毎日働いても、飯は増えない。
寒さも変わらない。
見回りには頭を下げて、
教会にはスープで借りを作る」
男の顔に、図星を刺された色が浮かぶ。
「その怒りを、
自分より弱い相手にぶつけてるだけです」
僕は続ける。
「本当は、もっと上に向けたいはずでしょう」
「……何が言いてぇ」
「殴るなら、
“殴り返せない子ども”じゃなく、
“文句を聞く耳を持ってる相手”にぶつけるべきです」
「そんな奴、どこにいる!」
「少なくとも、一人はここにいる」
僕は自分の胸を指した。
「今日の分の怒りなら、僕が受けます」
「先生……!」
ミナが青ざめる。
父親は一瞬、呆れたように目を見開いた。
「……殴られに来たのか、お前」
「殴りたいなら、どうぞ」
怖くないと言ったら嘘になる。
けれど、ここで下がれば
この家の“ルール”は変わらないままだ。
長い沈黙。
やがて父親は、拳をゆっくり下ろした。
「……殴ったって、何にも変わんねぇ」
喉の奥から絞り出すような声だった。
「それは、俺が一番わかってる」
父親は壁にもたれ、ずるりと座り込む。
「働いても働いても、
子どもに腹いっぱい食わせてやれねぇ。
俺が殴りたいのは、
俺をこうした“全部”だ」
「……」
「でもよ、そんなもん、どこ殴りゃいいか分かんねぇ。
だから、目の前で口答えしてきたガキに、手が出る」
自嘲まじりの笑い。
同じパターンを、どこかで何度も見てきた気がする。
「最低だろ。
それくらい分かってんだよ」
僕は呼吸を整えながら言った。
「最低かどうか決めるのは、今日じゃなくていい」
「は?」
「今日、ここで手を止めた。
それだけで、昨日までとは違います」
父親は黙る。
「怒りの行き先が分からないなら、
まずは“言葉にする”ところから始めませんか」
「……」
「ここに来れば、
少なくとも僕は聞きます」
しばらくの沈黙のあと、父親はぽつりと言った。
「……子どもに、あんな顔させたくねぇんだよ」
視線の先には、
不安そうな顔でこちらを見ているリオとミナがいる。
「俺の親父も、
同じように殴ってきたからな」
「じゃあ、そこで止めましょうか」
「……そんな簡単に言うなよ」
「簡単じゃないから、
“殴りたくなったらここに来い”って言ってるんです」
父親は鼻で笑った。
「テメェ、本当に面倒くせぇ男だな」
「そういう仕事なんで」
「仕事なのかよ、それ……」
ほんの少し、空気が緩む。
父親はゆっくり立ち上がり、
リオにちらりと目を向けた。
「……悪かったな」
「……別に」
リオは顔をそむけたが、頬には涙が伝っていた。
父親は何も言わず、ふらつく足取りで去っていく。
僕はリオに手を差し出した。
「立てるか」
「……ああ」
リオは僕の手を掴み、立ち上がる。
「先生」
ミナがぽつりと言った。
「なんか、すごかった」
「何もすごくないよ。
怒りの行き先を、ちょっとだけ変えようとしただけ」
「それが、すごいんだって」
リオが小さく付け足す。
「殴られんの、もう嫌だしな」
その言い方は照れくさそうだったが、
目は昨日より少しだけ強くなっていた。
誤字脱字はお許しください。




