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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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第79話 水は上から下へ行く

79話

朝、井戸の周りに人が集まっていた。


誰かが呼びかけたわけでもない。

けれど昨日、器の底に残った沈殿を見た人たちは、

無意識に“水の行方”を気にしていた。


ミナは、少し離れたところから様子を見ていた。


(……みんな……

 井戸を見てる……)


井戸は昨日と何も変わらない。

石組みも、滑車も、桶も同じだ。


それなのに、

今日は“安心して見られない”空気があった。



先生は、まだ何も言わない。


街の外れ――

ゴミ捨て場へ向かって歩き始める。


何人かが、自然と後に続いた。


リオも、黙って歩く。



ゴミ捨て場は、低い場所にあった。


街の中でも、

雨が降ると水が集まる場所。


壊れた木箱、腐った布、

魚の骨、割れた陶器。


そこに、昨日の雨でできた水たまりが残っている。


先生は、その水たまりの縁にしゃがみ込んだ。


「昨日の雨で、

 この水はどこから来たと思う?」


誰も答えない。


先生は続ける。


「空から落ちた水だけかな」


ミナは、はっとした。


(……流れてきた……?)



先生は、ゆっくり立ち上がり、

地面に線を引く。


街の中心から、

このゴミ捨て場へ。


「水は、上から下へ流れる」


「これは、誰が決めたわけでもない」


「ただ、そうなる」



人々の視線が、

自然と“上”――街の方へ向く。


井戸。

家々。

路地。


そして、

井戸のすぐ近くにある、

いくつかの古い家。



誰かが、声を潜めて言った。


「……うちの裏……

 雨が降ると、

 ここに流れてる……」


別の声。


「うちもだ……」


言葉は小さい。

だが、連なり始めていた。



先生は、それを遮らない。


ただ、静かに言う。


「じゃあ、考えよう」


「飲む水と、

 捨てるものが、

 同じ流れにあると――」


言葉を切る。


誰かが、続きを口にする。


「……混ざる」



その瞬間、

空気が一段、冷えた。


混ざる。


それは、

昨日まで“考えなくていい言葉”だった。



ミナは、喉が鳴るのを感じた。


(……水……

 きれいなものだって……

 信じてた……)



先生は、すぐに続けない。


代わりに、

ゴミ捨て場から少し離れた場所へ移動する。


そこは、

子どもたちがよく遊ぶ空き地だった。


先生は、石を一つ拾い、

地面に小さな溝を掘る。


ほんの指一本分。


そこに、水を少し流す。


水は、溝に沿って流れた。



先生は言う。


「水は、道を選ばない」


「道があれば、

 そこを通る」



リオが、低く言った。


「……じゃあ……

 道を……変えりゃいい……?」


先生は、初めてリオを見る。


「そうだ」


「止める必要はない」


「流れを、分ける」



先生は、地面に二本目の溝を掘った。


一つは、井戸の方向へ行かないように。

もう一つは、ゴミ捨て場へ集まるように。


水を流す。


水は、迷わず二つに分かれた。



誰かが、息を呑んだ。


「……こんな……

 簡単な……」



先生は首を振る。


「簡単じゃない」


「“気づかない”ことが、

 一番難しい」



ミナは、胸の奥がざわついた。


(……先生……

 怒らない……

 責めない……

 でも……

 逃がさない……)



先生は、街の方を振り返る。


「今日は、

 何も壊さない」


「井戸も、

 家も、

 ゴミ捨て場も」


「ただ――

 “線を引く”」



「飲む水の線」


「捨てるものの線」


「人が通る線」



言葉が、

ゆっくり街に染みていく。


誰も反論しない。


なぜなら、

それは“新しいルール”ではなく、

“見えていなかった現実”だったからだ。



そのとき。


遠くで、桶が倒れる音がした。


誰かが、井戸の近くで足を滑らせたらしい。


一瞬、

皆が身構える。


だが、

水は――

溝に沿って、

別の方向へ流れていった。



誰かが、

小さく笑った。


それは、

恐怖のない笑いだった。



先生は、最後に言った。


「明日は、

 “手”の話をしよう」


「水の前に、

 人ができることがある」


ミナは、その言葉を噛みしめた。


(……手……)


(……洗う……?)


街はまだ、

声を上げていない。


だが――

流れは、確実に変わり始めていた。


─────────

誤字脱字はお許しください。

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