第78話 なぜ腹を壊す子が出るのか
78話です。
朝、倉庫に集まった顔ぶれの中に、
昨日はいなかった子どもが混じっていた。
痩せて、顔色が悪い。
ミナはすぐに気づいた。
(……あの子……
歩くの、つらそう……)
先生は何も言わず、
その子が腰を下ろすまで待った。
◇
しばらくして、先生が口を開く。
「今日は、水の話をする」
井戸の方角へ、視線を向ける。
「飲み水だ」
ざわり、と空気が揺れた。
水は、この街の“命”だ。
それを疑うことは、
これまで誰もしなかった。
◇
先生は地面に、
昨日より少し大きな円を描いた。
「この街で、
昨日、お腹を壊した人は何人?」
誰も答えない。
「分からないなら、
“分からない”でいい」
そう言って、
先生は小石を一つ置いた。
「これは、一人」
そしてもう一つ。
「二人」
さらにもう一つ。
「三人」
ミナは、はっとする。
(……数えるって……
こういうこと……?)
◇
先生は続ける。
「じゃあ質問だ」
「昨日、水を飲んだ人は何人?」
今度は、
小さな笑いが起きた。
「全員だろ」
「飲まないと死ぬ」
先生は頷く。
「そう。
水は“全員に共通している”」
◇
次に、
別の円を描く。
「昨日、雨は降った?」
「降った」
「夕方に」
「強かった?」
「一気に来た」
先生は、
その円の端に小さな線を引く。
「雨が降ると、
何が動く?」
沈黙。
リオが口を開く。
「……泥」
「ゴミ」
先生は何も言わず、
その言葉の横に印をつけた。
◇
「じゃあ」
先生は、静かに言う。
「雨のあと、
どこの水を飲んだ?」
視線が、井戸へ集まる。
だが、先生は首を振った。
「“井戸”じゃない」
「“どの井戸”だ」
空気が変わった。
◇
この街には、
小さな井戸がいくつもある。
古いもの。
新しいもの。
修理されたもの。
放置されたもの。
先生は、
地面に点をいくつも打つ。
「ここ」
「ここ」
「ここ」
「全部、水だ。
でも――
同じ水じゃない」
◇
ミナの胸がざわつく。
(……水って……
同じだと思ってた……)
◇
先生は、
子どもたちを見渡した。
「昨日、お腹を壊した人」
「その人たちは、
どの井戸を使っていたか」
誰も答えられない。
「だから、
今日は“決めない”」
先生は言う。
「原因は、まだ分からない」
◇
その言葉に、
安堵の空気が流れた。
決めつけられない。
責められない。
それだけで、
胸が軽くなる人がいた。
◇
先生は続ける。
「でも――
“調べる”ことはできる」
「今日は、
井戸の水を“比べる”」
ミナが目を丸くする。
「……比べる?」
◇
先生は、
木の器をいくつか並べた。
「同じ量の水を汲む」
「同じ場所に置く」
「同じ時間、待つ」
誰かが聞く。
「……それで?」
先生は答える。
「“違い”が出る」
◇
夕方。
器の底に、
薄い沈殿が見えた。
ある水には、ない。
ある水には、ある。
誰かが呟いた。
「……色、違うな」
◇
先生は、
そこで初めて強く言った。
「いいか」
「水が悪いんじゃない」
「人が悪いんでもない」
「“流れ”が、混ざってるだけだ」
◇
ミナは、
雨のあと流れていたゴミを思い出す。
(……あれ……
水に……入ってた……?)
◇
先生は、
地面に一本の線を引く。
上
下
「上から下へ、
水は流れる」
「人も、
ゴミも、
同じだ」
◇
誰も声を出さなかった。
だが、
誰も目を逸らさなかった。
◇
先生は最後に言った。
「明日は、
“流れを変える”話をする」
「水を止めるんじゃない」
「通り道を、
少し変えるだけだ」
井戸の方から、
桶の音が聞こえた。
街は、
“見えないもの”を
見始めていた。
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誤字脱字はお許しください。




