第76話 時間は誰のものか
76話です。
朝。
倉庫の前に、
人が集まる時間が――
ずれ始めていた。
昨日までは、
なんとなく同じ頃。
だが今日は違う。
早く来る者。
遅れて来る者。
途中で立ち去る者。
ミナは、
それが妙に気になった。
(……昨日はあんなに
うまく回ったのに……?)
◇
鍋の準備は、
すでに終わっていた。
だが、
誰も食べ始めない。
理由は単純だった。
「まだ来てない人がいる」
その一言で、
全員が止まった。
十分。
二十分。
三十分。
空腹よりも、
沈黙が先に重くなる。
リオが耐えきれず言った。
「なあ……
先、食っちまえばいいじゃん」
数人がうなずく。
「遅れた方が悪い」
「待つ必要なくね?」
先生は、
すぐには答えなかった。
代わりに、
地面に線を引いた。
一本の横線。
「質問だ」
静かな声だった。
「今、ここで止まっているのは
“食事”かな?」
誰も答えない。
「それとも――」
線の上に、文字を書く。
時間
◇
ミナの胸が、
ひくりと鳴った。
(……時間……?)
先生は続ける。
「今、
誰かが来るのを待っている」
「その間、
何が止まっている?」
「食事?」
「作業?」
「会話?」
「それとも――
“全員の時間”?」
ざわり、と空気が動く。
◇
遅れてきた男が、
息を切らして現れた。
「す、すまん……
水汲みが……」
誰も責めなかった。
だが、
誰も笑わなかった。
先生は、
男を見て言った。
「今、あなたが遅れた理由は
“仕事”だね」
男は頷く。
「じゃあ、
その間、
待っていた人たちは?」
沈黙。
「彼らの時間は、
誰のものだったと思う?」
男は、
言葉を失った。
◇
先生は、
線を二本に分けた。
左に書く。
個人の時間
右に書く。
共同の時間
「水汲みは、
個人の時間」
「でも、
食事は――」
ミナが小さく言った。
「……みんなの……?」
先生は頷いた。
「そう。
“共同の時間”」
◇
リオが腕を組む。
「じゃあさ……
共同の時間に遅れたら、
どうすりゃいいんだよ」
先生は、
すぐ答えなかった。
その代わり、
昨日の人数表を思い出させる。
「昨日、
人数を決めたね」
「今日は、
何を決めてない?」
ミナが気づく。
(……時間……
始める時間……)
◇
先生は、
初めてはっきり言った。
「“始める時間”を決めよう」
ざわつき。
「毎日、
同じ時刻に食べる」
「来た人から始める」
「遅れた人は、
自分で温める」
リオが吹き出す。
「冷てぇな……」
先生は、
首を振った。
「冷たいんじゃない」
「“公平”だ」
◇
その言葉で、
空気が変わった。
誰かを待つ。
誰かを責める。
誰かに遠慮する。
全部、
“時間が決まっていない”から起きていた。
ミナは、
はっとする。
(……時間って……
感情の引き金だった……)
◇
その日から。
倉庫の前に、
一つの目印が置かれた。
棒と、
簡単な影時計。
誰が言い出したわけでもない。
先生は、
作り方だけ教えた。
「影がここに来たら、
始める」
それだけ。
◇
翌日。
誰も待たなかった。
誰も責めなかった。
遅れた者は、
黙って後から食べた。
早く来た者は、
静かに準備した。
声は少ない。
だが、
空気は軽かった。
◇
ミナは、
皿を洗いながら思った。
(……時間を決めただけで……
人が優しくなった……?)
先生は、
その背中に言った。
「時間はね」
「奪うと争いになる」
「決めると、
道具になる」
◇
リオが、
ふと聞いた。
「なあ先生」
「街全体でも……
これ、使えんのか?」
先生は、
少しだけ笑った。
「使えるよ」
「次は――
“掃除の時間”だ」
ミナは目を見開く。
(掃除……?
それって……教育……?)
先生は、
何でもないことのように言った。
「街はね」
「汚れより先に、
“時間”で壊れる」
影時計の影が、
静かに動いていた。
次に動くのは、
街そのものだ。
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