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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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74/105

第74話 掃くという決断

74話です。

翌朝。


井戸の周りは、

一見すると昨日と変わらなかった。


鍋は使われ、

水も回っている。


だが――

地面だけが、少し汚れていた。


魚の内臓。

濡れた布の切れ端。

踏み固められた泥。


誰も捨てた覚えがない。

だが、確実に増えている。


ミナは足元を見て、

眉をひそめた。


「……昨日より、汚れてない?」


隣にいた女が、

曖昧に笑う。


「……まあ、みんな使ってるしね」


その言い方が、

妙に引っかかった。


(“みんな”……)



昼前。


子どもが一人、

転んだ。


手をついた場所は、

濡れた泥。


泣き声が上がる。


母親が駆け寄り、

抱き起こす。


「もう……気をつけなさい!」


だが、

地面はそのままだった。


誰も、

掃こうとしない。



倉庫。


先生は、

何も言わずに

その話を聞いた。


そして、

チョークを手に取る。


床に、

四角を描く。


「これは、井戸の周り」


四角の中に、

小さな黒点をいくつも打つ。


「これは、汚れ」


ミナが小さく息を吸う。


「……増えてる……」


「うん」


先生は淡々と答える。


「汚れはね、

 “放っておくと増える”」


「しかも――」


チョークを止める。


「誰のものでもない顔をして」


リオが、

嫌そうに言った。


「……一番タチ悪いな、それ」



先生は、

子どもたちではなく、

大人たちの方を見た。


「ここで質問だ」


空気が張りつめる。


「この汚れは、

 誰の責任だと思う?」


沈黙。


誰も答えない。


否定も、

肯定もない。


ただ、

逃げ場を探す沈黙。


先生は続ける。


「一人が捨てたわけじゃない」

「でも、誰も掃いていない」


「この状態を――

 “自然”だと思う?」


ミナは、

喉がきゅっと締まった。


(自然じゃない……

 でも……

 誰が悪いって言えない……)



夕方。


井戸の周りで、

小さな口論が起きた。


「昨日、あんたのとこ魚捌いてただろ」

「だからって、うちだけの汚れじゃない」


声は低い。

だが、

確実に尖っている。


誰も掃かない。

だが、

誰も汚れから目を逸らせない。



先生は、

その様子を遠くから見ていた。


止めない。


代わりに、

ミナに小さく言う。


「今、何が起きてると思う?」


ミナは考える。


「……責任の……押し付け合い……?」


「半分正解」


先生は言った。


「もう半分は――

 “誰も決断してない”」


リオが顔をしかめる。


「掃けばいいだけだろ」


先生は、

静かに首を振る。


「“掃く”っていうのはね」


一拍。


「“この汚れは、放っておけない”って

 宣言することなんだ」


ミナの背筋がぞくりとした。


(……宣言……)



夜。


倉庫で。


先生は、

またも文字を書かない。


代わりに、

線を二本引く。


一本は短く。

一本は長く。


「短い線は、今日」

「長い線は、明日」


「汚れは、

 今日より明日の方が増える」


「でも――」


線の間に、

小さな点を打つ。


「掃くかどうかを決めるのは、

 “今”しかない」


リオが腕を組む。


「じゃあ……

 当番、作るか?」


先生は、

即答しなかった。


「当番は、

 “やらない理由”を作る」


ミナが気づく。


(……当番じゃない日は……

 “自分の仕事じゃない”って言える……)


先生は続ける。


「今日は、

 掃く人を決めない」


「代わりに――」


視線を上げる。


「“掃かないことの結果”だけを、

 みんなで見る」



翌朝。


井戸の周りは、

さらに汚れていた。


子どもが、

また転ぶ。


今度は、

誰も怒らなかった。


ただ、

周囲が静かになる。


視線が、

地面に集まる。



その沈黙の中で。


一人の男が、

箒を持って立った。


何も言わない。


ただ、

掃き始める。


誰も褒めない。

誰も命じない。


少し遅れて、

別の女が加わる。


さらに、

もう一人。


音は小さい。


だが、

確かに動き始めていた。



ミナは、

その光景を見て思った。


(……決めてないのに……

 始まってる……)



夜。


先生は、

いつものように言った。


「今日は、ここまで」


誰も異論を挟まない。


リオが、

ぽつりと聞く。


「先生……

 これも、

 いつか決めなきゃなんねぇよな」


先生は、

火の方を見たまま答えた。


「うん」


「でも――」


一拍。


「“決めなくても困る”を

 体験してからじゃないと、

 “決めたルール”は守られない」


リオは、

何も言えなかった。



汚れは、

放っておくと増える。


だが、

掃くかどうかは――

人が決める。


命令でも、

罰でもない。


“ここは放っておけない”

という、

小さな決断。


街は今日も、

声を出さずに学んでいた。


次に必要なのは――

「決める理由」だ。


──────────

誤字脱字はお許しください。

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