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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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第70話 食べる前に、考える

70話です

朝。


井戸の周りは、

昨日よりも静かだった。


人が減ったわけではない。

むしろ、集まっている。


だが――

動きが遅い。


水を汲み、

桶を置き、

一度、地面を見る。


それが、

当たり前の動作になり始めていた。



ミナは、

いつもの時間に井戸へ来て、

気づいた。


……昨日、

自分が寄せた泥が、

さらに端へ動いている。


(……誰かが……

 続けてる……)


名前は分からない。

顔もはっきり思い出せない。


だが――

“同じことをした誰か”がいる。


それだけで、

胸の奥が少し温かくなった。



桶を洗っていると、

隣に立った女が言った。


「……あのさ」


ミナは振り返る。


「昨日……

 あんた、

 ここ掃いてたよね?」


責める口調ではない。


確認する声だった。


「……はい」


「じゃあ……

 今日は、

 うちがやる」


ミナは、言葉に詰まった。


「……え……?」


女は、少し照れたように目を逸らす。


「毎日だと……

 しんどいでしょ」


それだけだった。


命令でも、

相談でもない。


ただの、

“申し出”。


ミナは、

何も言えず、

深く頭を下げた。



倉庫の前。


リオは、

昨日より長く、

人の動きを見ていた。


掃く人。

掃かない人。

通り過ぎる人。


(……昨日と……

 同じ人ばっかじゃねぇ……)


気づいてしまった。


“自然に決まっていない”ということに。


そして――

続けるには、

“仕組み”が要ることに。


(……先生……

 これ……

 そのままだと……

 続かねぇ……)


だが、

先生は、

まだ何も言わない。



昼前。


倉庫に、

先生が現れた。


相変わらず、

何も持っていない。


だが、

視線だけは、

街を見ている。


先生は、

地面にしゃがみ込み、

チョークで小さく書いた。


線。

点。

昨日と同じ。


だが今日は、

その横に、

小さな円を一つ足した。


誰も質問しない。


先生も、

説明しない。


ただ、

円の中に、

小さく書く。


 ・


一つだけ。


「……一人?」


誰かが、

小さく呟いた。


先生は、

否定もしない。


肯定もしない。


ただ、

次の円を描いた。



午後。


井戸の近くで、

小さな揉め事が起きた。


「なんで、

 うちばっかり……」


声は荒れていない。


疲れた声だった。


集まった人々が、

困ったように立ち尽くす。


そのとき、

年配の男が言った。


「……毎日じゃなくて……

 交代にしねぇか?」


一瞬、

空気が止まる。


誰も反対しない。


だが、

誰も賛成とも言わない。


沈黙。


“考える沈黙”。


「……じゃあ……

 今日は、

 この辺の家で……」


曖昧な言い方。


だが、

それでよかった。


誰かが、

うなずく。


誰かが、

掃き始める。


仕組みは、

まだ歪だ。


だが――

“始まり”としては、

十分だった。



夕方。


倉庫の中で、

子どもたちが、

小さな声で話している。


「……お腹……

 今日は、平気……」


「……昨日は……

 痛かった……」


大人たちは、

それを聞いて、

顔を曇らせる。


食べることは、

生きることだ。


だがこの街では、

同時に――

危険でもある。


先生は、

子どもたちの近くに座り、

静かに言った。


「今日は、

 “食べない勇気”の話をしよう」


一瞬、

空気が張り詰める。


「お腹が空いているとき、

 すぐ食べるのは、

 悪いことじゃない」


誰も否定しない。


「でも――

 “食べない”という選択が、

 自分を守ることもある」


ミナは、

息を呑んだ。


(……食べる前に……

 考える……)


先生は、

続けた。


「それは、

 怖がることじゃない」


「“確かめる”ことだ」


水。

手。

器。


まだ、

名前は出さない。


だが、

次に来る授業の影が、

確かにそこにあった。



夜。


教団の見回りが、

倉庫の前を通る。


騒ぎはない。


集会もない。


だが――

人が、

勝手に動いている。


命令なしに。

祈りなしに。


「……気味が悪い……」


誰のせいでもない。


それが、

一番、

支配しづらい。



ミナは、

家に戻り、

手を洗った。


昨日より、

少し長く。


理由は、

説明できない。


でも――

“分かった気がする”。


教育は、

声じゃない。


今日の街は、

誰にも叫ばせず、

誰にも命じず、


それでも――

一歩、

前に進んでいた。


食べる前に、

考える。


掃く前に、

見る。


話す前に、

比べる。


先生は、

それを

“授業”とは呼ばない。


だが――

街は確かに、

学び始めていた。


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