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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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第68話 声を出す前の授業

68話です

先生が広場を去ったあとも、

街は、しばらく動かなかった。


誰も声を出さない。

誰も帰ろうとしない。


ただ、立ったまま、

あるいは座り込んだまま、

地面に引かれた二本の線を見つめている。


沈黙が、

ゆっくりと街に沈んでいった。



ミナは、胸の奥がざわついていた。


(……何も言われてないのに

 頭の中が……うるさい……)


さっきまで、

「話す」とか

「声」とか

そういう言葉に身構えていたはずなのに。


今は違う。


声を出さなくても、

考えが勝手に動いてしまう。


視線が、

線から井戸へ移り、

井戸から路地へ移り、

路地から――子どもたちの足元へ移る。


ミナの隣で、リオが小さく息を吐いた。


「……なぁ」


「なに?」


「先生さ……

 今日、なんもさせてねぇよな」


「……うん」


「なのにさ……

 頭、止まらなくねぇか?」


ミナは、小さく頷いた。



広場の端では、

何人かの大人が井戸の方を見ていた。


誰かが言い出したわけじゃない。


ただ、

自然と目が向いただけだ。


井戸の周りには、

昨日降った雨の名残が残っている。


ぬかるみ。

流れ込んだゴミ。

踏み固められた土。


そこから、

ほんの少し離れた場所に、

洗い場がある。


ミナは、はっとする。


(……あ)


昨日、

お腹を壊した子どもたち。


全員が、

同じ井戸を使っていた。


でも――

同じ水を使っても、

平気な子もいた。


(先生……

 答え、言ってないのに……)


気づく。


自分の中で、

「違い」を探している。



「……なぁ」


今度は、後ろの方から声がした。


大人の声だ。


だが、

大声ではない。


誰かに向けたというより、

自分に向けた声だった。


「雨のあとさ……

 井戸の周り、

 片づけた家と、

 そのままの家……

 あったよな……?」


それに、誰かが答えたわけでもない。


けれど、

数人が無言で頷いた。


沈黙の中で、

同意が伝わる。


ミナの背中が、ぞくりとする。


(……声、出してないのに

 話が……進んでる……)



リオは、地面に残された線を見つめていた。


二本の線。


先生は、

何も消していない。


(……気づく

 ……試す

 ……続ける)


言葉が、

頭の中で勝手に並ぶ。


(今日の俺たち……

 気づいてる段階だよな)


試してもいない。

続けてもいない。


ただ、

「今までと違う」ことに

気づき始めただけだ。


リオは、

それが妙に安心だった。


(……いきなり変われって

 言われてない)



しばらくして、

人々は少しずつ散り始めた。


だが、

話しながらではない。


それぞれが、

何かを考え込んだまま、

自分の生活へ戻っていく。


ミナは、家に帰る途中、

井戸の横で足を止めた。


水面を覗き込む。


澄んでいるように見える。


でも、

雨のあとだ。


(……見えないだけで

 混じってるもの、あるよね……)


その夜、

ミナは母にこう言った。


「ねえ……

 明日、井戸の周り……

 一回、掃いてみない?」


母は不思議そうに見たが、

否定はしなかった。



その頃。


教団の塔では、

強硬派の司祭が眉をひそめていた。


「……騒ぎは?」


「ありません」


「反論は?」


「……ありません」


司祭は苛立った。


沈黙は、

本来、支配の結果であるはずだった。


だが今、

その沈黙は――

従っていない。


(……何も命じていないのに

 何かが……動いている……)


司祭は、

地味な不安を覚えた。


叫びもない。

抗議もない。


ただ、

静かに“考えられている”。


それが、

一番、気味が悪かった。



翌朝。


井戸の周りが、

少しだけ、きれいになっていた。


誰がやったのか、分からない。


掃除をしたという声もない。


だが確かに、

ゴミは減っていた。


ミナはそれを見て、

胸が少し熱くなる。


(……先生

 これが……

 声を出す前の授業……)


リオも気づいていた。


(誰も命令してねぇ

 誰も褒められてねぇ

 でも……

 街、変わり始めてる)


そのとき、

遠くで鐘が鳴った。


いつもより、

少し遅れた音。


街は振り向かない。


ただ、

自分たちの足元を見ていた。


沈黙の中で、

街は――

確かに、

一歩目を踏み出していた。


まだ声はない。


だがそれは、

声を失っている沈黙ではない。


“話す準備をしている沈黙”。


先生の授業は、

まだ――

始まったばかりだった。

誤字脱字はお許しください。

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