第67話 沈黙の教室
67話です
塔から戻ったあと、先生は歩き続けた。
目的地を告げることもなく、
ただ静かに、街の中心へ向かっていく。
ミナとリオ、
そして気づけば、街の人々が後に続いていた。
誰も話さない。
けれどその沈黙は、
昨日までのそれとは明らかに違っていた。
考えている沈黙。
待っている沈黙。
――言葉を浴びる準備をした沈黙。
ミナは胸の奥が落ち着かない。
(先生……
街が……
“何かを聞く側”になってる……)
◇
広場に着くと、先生は立ち止まり、
ゆっくりと手を上げた。
それだけで、
人の流れが止まった。
声を出さずとも、
沈黙が一斉に揃う。
街の視線が、
一点に集まっていく。
ミナは、その光景に小さく息を呑んだ。
(……先生
今の先生、
誰かの上に立ってるみたい……)
だが先生は、
威圧するような立ち方はしなかった。
深く息を吸い、
落ち着いた声で切り出す。
「今日は、
答えの話はしない」
ざわり、と空気が揺れる。
「代わりに、
“仕組み”の話をする」
仕組み。
聞き慣れない言葉に、
広場が静かにざわつく。
「仕組みっていうのはね」
先生は地面に、一本の線を引いた。
「人が、
何度も同じ行動を選んでしまう理由のことだ」
ミナの胸が小さく鳴る。
(……先生がよく言うやつ……)
リオも無意識に、
線へ視線を落としていた。
「たとえば――」
先生は続ける。
「人が声を上げないのは、
臆病だからじゃない」
一拍。
「声を上げないほうが、
“安全だと教えられてきた”からだ」
広場の空気が、わずかに張る。
否定も、反論も起きない。
「それは、
正しいかどうかの問題じゃない」
先生は線をなぞる。
「“そう学んできた”というだけの話だ」
沈黙が、
言葉を吸い込み、
そして静かに広げていく。
街が、
一つの教室のように整っていく。
◇
先生は、もう一本線を引いた。
二本の線が、
並んで地面に残る。
「人が変わるときは、
一度に変わらない」
指を折る。
「まず、
“気づく”」
折る。
「次に、
“試す”」
折る。
「最後に、
“続ける”」
ミナの喉が、きゅっと締まった。
(……難しい話なのに
分かる……)
先生は静かに続ける。
「街は長い間、
沈黙に慣れすぎていた」
人々が息を呑む。
「だから、
“気づく力”が鈍っていた」
一拍。
「でも――
昨日から、何かが変わり始めている」
その言葉に、
誰かがわずかに姿勢を正した。
「今日はね」
先生は線を消さないまま、言った。
「次の段階に“進む話”はしない」
ざわめき。
「ただ、
“準備が整っているかどうか”を
街に聞きに来ただけだ」
ミナは気づく。
(……先生
答えを渡してない……
置いてる……)
◇
そのとき、
広場の端で、黒い外套が揺れた。
教団の強硬派。
視線を伏せ、
だが確かにこちらを見ている。
空気が、きゅっと締まる。
ミナの背中に冷たいものが走った。
(……見られてる)
だが先生は、
そちらを見ない。
見ないまま、言った。
「今日は、
ここまででいい」
ざわめきが起きる。
「え……?」
「もう……?」
「何もしないのか……?」
先生は振り返らず、
静かに言葉を落とす。
「今日、何も言わなかったこと」
一拍。
「それ自体が、
次の学びになる」
それだけ告げて、
歩き出した。
ミナとリオが、後を追う。
背後では、
街の人々がまだ立ち尽くしていた。
声はない。
だが、
誰一人、考えるのをやめていない。
沈黙が、
重く、深く、
街に根を張り始めていた。
そしてその沈黙を、
最も嫌う存在だけが――
遠くで、確かに息を詰めていた。
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